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  [No.12324] ミニレポ第215回 昭和橋と天田橋の架け替えについて 投稿者:元和歌山県民   投稿日:2021/08/12(Thu) 18:37:29

和歌山県の広報紙「県民の友」に、現・天田橋が開通したときの記事が載っていました。
既にコメントで他の方のご指摘がありますように、昭和28年の大水害が契機となっています。
5年も前のミニレポに対して今更と思われるかもしれませんが、仮設橋の写真もありますのでご参考いただければ幸いです。
(当該レポのコメント欄に書こうとしたところ、思いのほか長文になったので掲示板にて失礼いたします)

(1)昭和28年8月15日号 P.4
http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s28_29/pdf/s280815.pdf
『問題は道路の復旧 =その見とうしは=』
▲国道和歌山ー松坂街道
日高川天田橋と塩屋橋の開通は九月二十日ごろになるので、自動車の通行はそれまで不能である

(2)昭和28年9月15日号 P.2
http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s28_29/pdf/s280915.pdf
『開通した天田橋』
▲天田橋▼
九月七日に仮橋完成、荷重四屯まで通行できる。【中略】(写真は開通した天田橋)

(3)昭和30年1月1日号 P.9(日高・御坊版P.4)
http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s30_35/pdf/s300101.pdf
『取りはずし自由な組立式の天田仮橋』
七・一八水害で流失した天田橋は、紀北と紀南を結ぶ幹線道路和歌山ー松阪線(旧国道四十一号線)の一部であり、交通量が多いので応急復旧の木製仮橋ではすぐ駄目になつて、非常に不便を感じていましたが、本工事完成までの仮橋としてベイリー式KSK組立式構桁が採用され十月二十五日からお目みえしました。

(4)昭和30年12月1日号 P.1
http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s30_35/pdf/s301201.pdf
『本県縦貫の要衝 =天田橋堂々完成=』
一昨年の七・一八水害で流失した国道和歌山ー松阪線の天田橋は、【中略】去る十一月二十一日、めでたく渡り初め式が挙行された。
【中略】
天田橋は流失後いちはやく木造の仮橋を架設したが、昨年六月三十日の豪雨でまたまた流失、その後はベイリー式KSK組立式構桁を使用していた。

(1)の「塩屋橋」とは何か、となるのですが、昭和橋周辺の地名が御坊市塩屋町であること、また他に日高川を渡る箇所はないことから、旧昭和橋の通称だった可能性があります。
時系列で並べると以下の通りで、凸凹の旧昭和橋は2年ほど現役国道として使われたものと思われます。

■昭和28年7月18日 水害で旧天田橋と旧昭和橋(塩屋橋)が一部損壊。国道が不通になる。(1)
■昭和28年9月7日 国道暫定復旧。天田橋は木造仮設橋を新設、昭和橋は従来より狭い幅で再建。(2)
■昭和29年6月30日 水害で天田仮設橋が流失する。
■昭和29年10月25日 ベイリー式KSK組立式構桁の天田仮設橋(2代目)が完成。(3)
■昭和30年11月21日 新天田橋(と新昭和橋)が開通、国道が新ルートに切り替えられる。(4)


余談ですが、この「県民の友」は昭和22年から現在まで70年分以上のバックナンバーを全てPDFで公開というなんとも太っ腹なサービスをしています。
交通インフラの整備が県として喫緊の課題だったゆえか、幹線道路の建設や開通に関する記事も少なくなく、廃道界では有名な池田隧道の写真付き記事もありました。(昭和30年10月1日号 P.3)
http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s30_35/pdf/s301001.pdf