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  [No.4097] 亀ノ瀬隧道の一部が発見されたそうです 投稿者:姫川@琴音   投稿日:2009/12/09(Wed) 22:21:08

大阪府柏原市峠の大和川北岸の地中から、れんが造りの鉄道トンネル「亀ノ瀬隧道(ずいどう)」の一部が約80年ぶりに見つかり、国土交通省大和川河川事務所が9日、報道陣に公開した。

 明治25年に開通し、崩落の危険があり昭和7年に使用中止に。その後埋め戻しや崩落で埋没したと考えられていた幻のトンネルで、地滑り対策工事で偶然見つかった。内部は高さ4・6メートル、最大幅4・3メートルのU字形。黒いすすが付着し、蒸気機関車が走っていた往事の姿を伝える。市教委は今後、一般公開も行う方針。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00000619-san-soci
一般公開も行われるようなので足を運んでみたいですね


  [No.4099] Re: 亀ノ瀬隧道の一部が発見されたそうです 投稿者:やまちん   投稿日:2009/12/11(Fri) 10:36:41

奈良県民ですが、亀ノ背の地滑りは有名ですね。
奈良盆地から流出する河川は大和川だけですので、
この地滑りによって大和川が一時せき止められ、
奈良盆地が水没の危機に瀕したとのことです。
いろんな方が亀ノ背随道の痕跡を探しておられた
ようですが、なんと一部が残存していたんですね。
それも公開が可能なくらいに!
ものすごい大規模な地滑りなもんで、隧道なんて
すべて押し潰されているもんだと思っていました。
ぜひぜひ訪れて、この目で見てみたいと思っています。


  [No.4100] Re: 亀ノ瀬隧道の一部が発見されたそうです 投稿者:王寺の王子   投稿日:2009/12/11(Fri) 11:30:34

亀の瀬隧道が残ってたんですね!驚きました。
あそこを掘り返せばレンガとかなら出てくるんじゃないかと思ってたんですが、こんな完全な形で残ってるなんて!お宝ですね。

http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/pr/20091209/20091209.html

このページの下の方に有るPDFにちょっと詳しい事が載ってます。

一般公開されたら見に行かねば。


  [No.4101] Re: 亀ノ瀬隧道の一部が発見されたそうです 投稿者:猫洞   投稿日:2009/12/11(Fri) 14:22:13

動画もあるんですね。すばらしい。
http://www.asahi.com/video/news/TKY200912090485.html

> 亀の瀬隧道が残ってたんですね!驚きました。
> あそこを掘り返せばレンガとかなら出てくるんじゃないかと思ってたんですが、こんな完全な形で残ってるなんて!お宝ですね。
>
> http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/pr/20091209/20091209.html
>
> このページの下の方に有るPDFにちょっと詳しい事が載ってます。
>
> 一般公開されたら見に行かねば。


  [No.4102] Re: 亀ノ瀬隧道の一部が発見されたそうです 投稿者:音山   投稿日:2009/12/11(Fri) 14:02:22

動画がありましたよ〜。

http://www.asahi.com/national/update/1209/OSK200912090149.html

これを迂回するための鉄橋は、トラス橋の上にトラス橋を積み重ねたような造りで、一見の価値在りです!
Nagajis氏が詳しそうですが。


  [No.4104] Re: 亀ノ瀬隧道の一部が発見されたそうです 投稿者:Hirabar   投稿日:2009/12/11(Fri) 16:30:53

廃隧道の位置をGoogleマップで確認しました。
で、そのあたりに線路が通っていたということは、このあたりの道が・・・・・廃線後ですかね?

http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&ge ..... 6,,0,20.46

(URL長くてごめんなさい)
ワクワクしてきました!


  [No.4106] レールが残ってない。 投稿者:明治   投稿日:2009/12/11(Fri) 21:18:46

レールどころか、画像や動画を見る限り、砂利も枕木も残っていません。
異常を感知してあわてて供用中止にしてから崩壊したのではなく、
「このままだとヤバそうだ」ということで、早い段階から撤収作業をしてから崩壊したのでしょうか。
だとすれば、先見の明があったというか、よくメンテが行き届いていたものだと思います。
昭和7年といえば満洲事変の後、満洲國が建国され、いよいよ戦争の足音が近づいていた時代。
その頃はまだそれくらいの余裕はあったんですね。


  [No.4110] Re: レールが残ってない。 投稿者:大正   投稿日:2009/12/12(Sat) 07:44:43

> レールどころか、画像や動画を見る限り、砂利も枕木も残っていません。
公開されたのは明治時代に建設されたトンネルの方。
複線規格で作られた大正時代のトンネル移行時に、レール他撤去されたのではないでしょうか。
後者の状態が如何様になっているかが今後の期待ですね。


  [No.4113] 洞内分岐? 投稿者:z-tips   投稿日:2009/12/13(Sun) 01:37:17

この区間に廃棄された隧道は2本と3本のどちらでしょうか?

国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所のPDF(下記URL)の2ページでは、
明治25年に単線隧道開通、大正13年の複線化時に別ルートで単線隧道2本開通となっているので、計3本と考えられます。
http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/pr/20091209/20091209.pdf

しかし、上記PDFの4ページでは、下り線=明治、上り線=大正となっていて、
複線化時には上り線のみが開通したと考えられ、隧道は2本と考えられます。
asahi.comでも上り線を増設となっていますね。
http://www.asahi.com/national/update/1209/OSK200912090149.html


以上のことを疑問に思いながらぐぐっていたところ、昭和7年の地すべり時の工事記録が引っかかりました。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/08-03/08-03-1600.pdf

これを読むと、以下のような記述があります。
「2.沿革、・・・(略)・・・引続き下り線たる旧線の反向曲線を改良する為め、
一部の改良工事を施し西口旧隧道に接続せるもので・・・(略」
「6.竣工年月日、上り線703米44及び下り線445米44は大正12年12月、下り線258米即ち旧型部分は明治23年8月」

もしかして、亀ノ瀬隧道下り線は明治の隧道に大正の隧道が接続する洞内分岐があったのでしょうか!?


  [No.4118] Re: 洞内分岐? 投稿者:z-tips   投稿日:2009/12/13(Sun) 21:22:40

亀ノ瀬隧道の洞内分岐については、鉄道廃線跡を歩くIXに書いてあったのですね。
上記書き込みの際には手元に鉄道廃線跡を歩くIXがなかったのですが、本日書店で確認したらばっちり書かれていました。

先に確認してから書き込みするべきでした。
一人で勝手に盛り上がってしまい、大変ご迷惑をお掛け致しました。