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> なぞとして残るのは火災の時期、桁の消失(撤去?)時期、主索など撤去時期だと思います。図書館で北日本新聞をひっくり返していただけば、ある程度分かりそうな気もします。富山県民のみなさん、頼りにしてます。
土木学会図書館のHPを見ていまして。
JSCE橋梁史年表の検索で「利賀」をググりました。
それによると、
「利賀大橋」(最近)は、1948年(昭和23年)6月開通。幅員3m全長178.8m。1965年代に火災廃橋、
とあります。その前代が1937年(昭和12年)開通。問題はそのスケール。幅員3,6m全長181,8m。僅かにデカイ。そしてその前が1934年(昭和9年)流出の木橋で、その前(大正期)は吊り橋、その前は木造刎橋だったとあります。その寿命の短さ。いかに険しい谷に架橋されていたかを示す数字ではないでしょうか。どの情報が正しいんでしょうねえ。昭和40年代に焼失していたとすれば、それから10年以上も残骸を放置した?その下を連絡船が行き来していた、なんて到底信じられないんですが。なぞがなぞを呼ぶような…。