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小学校の2年生で学校の裏の川の中にポツンと立つ廃線跡の橋脚を見つけてしまってから、40年以上もチャリで走り回ったりしながら廃線跡探索を続けて来た者として、他人とは思えない方です。
以前にも、コメントはさせていただいたことはありますが、今回「山いが氏」の実地探査を果たせてうれしく思いました。
2日目最後にぎりぎり間に合ったのですが、そこでの話しにひとつ意見
「未成」というモノに想いはあるか?という話がありましたが、道路の場合部分部分でも使えてしまうことが多く、普通に走る者には「計画の挫折」はあまり意識されず、「明らかな未成」という例も少ないと思うのですが、鉄道の場合、特に国鉄時代には全国各地で薄く広く公平に予算を付けて、鈍足に工事を進めて行ったために、財政危機の壁を越せずにほとんど完成直前というような大規模な「未成」を大量に出現させる結果となりました。
で、想いは無いのだろうか?という点ですが、廃線においての「過去にあったつながり絆が断たれた」という想いに対し、「あと一歩で実を結んだのに果たせなかった」という想い、これも捨てがたいものと思います。
私は宗派上の理由で(笑)菩提寺の住職からも「霊だの迷信だのに捉われるな」と諭されて居るものの、この廃線跡、未成線探索に関してだけは、前から「どう考えても自縛霊、水子霊を巡礼しているようなもんだ・・・だって、俺には見えちゃうんだもんな・・・」と思ってました。
単に野山を走り回るのではなく、確実に過去にそこにあったモノをたどって歩くのは、そこにある何かを感じる為なんだろうと思います。