道路レポート 林道樫山小匠線 (山手川への脇道編3) http://yamaiga.com/road/kodakumi/main11.html
↑こちらでレポートされないままに終わった、 山手川の道の最後がどうなっているのかが気になって気になってしょうがなかったのですが、 今年の初めに再度南紀に行かれた後も何も追加情報は無いようですので、 行って見てきました。
レポ内の記述に、 「古い地形図の破線の道は、山手川の源流から分水の峠を越えて、現在の小森川にまっすぐ達しているように描かれていた。」 とあるのをヒントに、高野小森川トンネルの小森川側坑口脇から峠越えで進入し、 山手川集落跡まで歩くことができました。
それで肝心の車道の終点はどこだったかと言いますと、 ヨッキれんさんが引き返す事を決めた崩壊斜面を越えれば、 ほんの20メートル前後で明確に車道は終わり、 全長3メートルの古い軽自動車ならば切り返して方向転換できる程度の幅が確保されていました。
その地点から見通せる位置に、林業作業関係らしき山小屋の廃墟があり、 鍋やヤカンなどの炊事道具と、五右衛門風呂が残っていましたので、 山手川が無住になった後も、車道を通って終点まで来て 泊りがけで山仕事をしていた人があったようです。
車道が途切れた先は、幅60センチ前後の徒歩道が、狭い谷の斜面を へつるようにしばらく続き、その先で谷底の傾斜が緩む場所には 石垣を積んで平場を確保した場所が多数あり、炭焼き釜の跡が複数や、 人道サイズの可愛らしい橋台などがありました。
この徒歩道を見れば、車道の作られる以前の時代にはどんな道を住人が往来していたのか またその道を改良して車道化する為にはどんな工事が必要だったのかが手に取るようにわかり、 徒歩道とはいえ、むしろ車道マニアなればこそ見ておくべき道だったと思います。
ただし、地形図の破線道が途切れた後の峠越えの道は、植林による環境変化と 使われなくなってからの時間経過の長さのせいで道形がたいへん不鮮明になっており、 特に正面の尾根と峠の稜線と、尾根東側斜面は日当たりが良いせいでシダや低木の 藪が濃く、地面が見えないほどで歩き難いので、古い地図にある道の確認は困難ですし、 (私は藪を避けて尾根西側の日陰斜面を無理くり降り登りしました) 傾斜がきつくてとてもしんどいのでお勧めはできません。 行くなら樫山か小匠から林道を小型オートバイなどで進入したほうがいいでしょう。
ところで、レポート内の 10:25 【現在地】 の画像 (http://yamaiga.com/road/kodakumi/map_47.jpg) の撤退地点は間違っていますね。 画像を添付しますが、2つのGPS機器で行きと帰り4つのデータで確認しましたので こちらで間違いないかと思われます。
|