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  [No.998] 東京・日原への車道 投稿者:普通萩山行   投稿日:2007/02/03(Sat) 03:07:58

最近コッソリ拝読しております、東京の登山者です。「都道204号日原鍾乳洞線」のレポートを読んで思い出したことがあるので書き込みます。
氷川から日原へ向かう車道の延伸に合わせて、路線バスも日原を目指して順次延伸されていった、ということが何かの本に書かれていました。つまり「(奥多摩駅から)日原へ向かう路線バス延伸の歴史は、そのまま車道延伸の歴史である」ということです。
しかし大問題。見直してここに書き出そうと思ったら、どの本か思い出せません。登山案内書か奥多摩に関する本に間違いないのですが。自宅にある該当する本を見直しましたが、発見できませんでした。
本で読んだ、車道が開通した時期は、レポートの中にある橋の銘板や解説のように、昭和30年代だったと記憶しております。

路線バスが通れるようになる前の道について、「奥多摩」(宮内敏雄著、昭和19年発行)の復刻版、「復刻版 奥多摩」を見てみました。これによると、戦時中、日原へ至る道は
・車道か、少なくとも登山道同然の道ではない。自動車が通行できたとすると上述と矛盾するので、車が通れたとしたら馬車や荷車か。
・路線バスは運行されていない。
・氷川から日原の直前までずっと日原川の南岸を通っている。北岸へ渡っていた場所は旧都道のトンネルかやや氷川寄りあたり。
と読み取れます。
ただし、戦後路線バスが通れる車道が建設される前に、道路が改良されたかどうかは知りません。また、車道(路線バス)延伸の時期について、本を読んだ記憶に間違いがありましたら、なにとぞご容赦を。


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