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  [No.4853] 自己責任という言葉。 投稿者:りかっち   投稿日:2010/05/04(Tue) 16:22:15

こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。
リンク…リンクから、ここにたどり着き面白く拝見させていただきまし
た。

昨今、ネットではリンクからいろんな場所へ飛ぶことから、マニアでは
無い人も見るご時世です。そこで思ったのが題名通りのことばです。
管理人さんは、どう思ってるのかは私には分かりませんが、団体行動=
自己責任では済まされません。
団体行動中、一人が自己責任の下、行動して危険が生じたとしても、そ
れはその場に居た仲間全員の責任となるからです。
管理人さんは有名著者でもあるわけですから(その方面)今一度、ご考察
頂けると幸いと思い投稿させてもらいました。


  [No.4861] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:Lpl59   投稿日:2010/05/07(Fri) 17:54:47

> 団体行動中、一人が自己責任の下、行動して危険が生じたとしても、そ
> れはその場に居た仲間全員の責任となるからです。

刑事責任と民事責任は異なるかもしれませんが、アウトドア事故の場合、
必ずしも共同責任とはならないでしょう。進むも止まるも引くも各個人が
自分の能力と相談して判断すべきことですから。強制強要でもあれば別ですが。


  [No.4863] 問題提起なのかあらしなのかわからないけど… 投稿者:えも   投稿日:2010/05/07(Fri) 19:01:31

りかっちさんへ

過去ログは読めるだけ全てお読みになっての書き込みだとは思いますが
一言述べさせていただきます。
まあ、熱くならず最後まで聞いてください。
あなたを目の敵にするためではなく、私のポリシーから
レスさせていただきますので。

> 昨今、ネットではリンクからいろんな場所へ飛ぶことから、マニアでは
> 無い人も見るご時世です。そこで思ったのが題名通りのことばです。
> 管理人さんは、どう思ってるのかは私には分かりませんが、団体行動=
> 自己責任では済まされません。
> 団体行動中、一人が自己責任の下、行動して危険が生じたとしても、そ
> れはその場に居た仲間全員の責任となるからです。
> 管理人さんは有名著者でもあるわけですから(その方面)今一度、ご考察
> 頂けると幸いと思い投稿させてもらいました。

↑とのことですが
このことについては、今までも多くの読者が議論し、管理人さんのスタンスもはっきり述べられています。

その上でなのですが
昨今、どこにでもすぐに「責任、責任」と騒ぐ人がおり
子供の成長発達や、歴史的に興味深い物件の調査において支障がでていることは周知の通りでありますが

それならば
1、団体ツアーをするとしたらその主催者が
団体行動の前に「誓約書」を書かせれば良いのです。

モータースポーツの選手や大会役員は全員集合時にそのような書類にサインをします。
近年は安全装置や安全意識も高まり、死亡することは希でも
必ず書きます。
腕がもげても足がもげても燃やされても文句は言わないという書類
それでも、みんなやりたいからその書類にサインをし、そこで発生した怪我や物損の弁償などはみな各自割り切っています。

そうしなければ訴えるなどと言われるのであれば
予防策として「誓約書」を取るのは有効かもしれません。
興ざめではありますが。

2、また、自己責任というのは
文字通り己れ自身で自身の行動と結果に責任を持つということです。
サイトには安易に真似をするなという旨も書いてありますし
これで真似して個人で行かれてもサイトの忠告を無視したことになりますよね?
また、ツアーで行かれている物件は実際に廃道を歩く人間から見れば
遊歩道クラスの初歩的な道がほとんどです。

それでも「言うことを聞かずに勝手に欄干から出たりして転落する人があったら危険だから行くな」というような事を言われるのであれば
それはもう、幼稚園のブランコも滑り台も危険だから撤去せよと大騒ぎして
「子供に危険と安全をよく教育した上で楽しく体を動かさせる」本来の狙いよりも
裁判や嫌がらせに熱を上げて反対運動を推し進めるPTAみたいですし

土石崩落による危険を受ける可能性をおっしゃられているのであれば
それは
一般の遊歩道や登山道にご家族で出かけられる場合と同じです。

集団行動で、
それがハードすぎてついていけない場合は募集要綱の記載ミスという主催者側の責任が生じると思いますが、
それ以外の自分勝手は、ルールを守らないその人本人が悪いと思います。
そもそも参加の決断から、手足を動かすのもそのご本人の意志でしょうから。

3、これって禁止と契約書で縛られる欧米型社会の典型的な議論ですね。
なんでも「責任を取れ、責任の所在はどこだ、どうしてくれる〜!」って。

近代以前の交通路の利用者の感覚とはだいぶ乖離していることは確かですよね。
昔の旅行は命がけだったのです。
だから盃を交わしたり、碑を立てて拝んだりしたのです。
その人たちが不幸に崖から落ちて、
道を普請した人を訴えたり、同行の旅人を訴えましたか?
家族の感情は複雑でしょうが、主催者を責めたとしたら
それは怒りや悔しさの矛先が違うと思います。
そういうところに行くのならば古の人と同じだけの覚悟は必要だと思いますので。

その説明をこちらのサイトなどで重々受けている中でのスタンドプレーだったら
主催者を恨むのは当然お門違いですよね。
しかも、訴訟とかされたら、その先ツアーは無し。
(規約違反なら、保険金すら降りないと思いますが)
無くなって、終わりになるのではないでしょうか。
もしそんな悲しいことになってしまったなら
ツアーを愛好していた人は、主催者でなくそのスタンドプレーをした本人をどれほどか恨むでしょうけれど。
嫌な気持ち、怨念だけがもわもわと残る。
誰も儲からないし、良い気分にもならない。

事故に遭う、又は責任を取ることが嫌ならば
りかっちさんがそのことに関わらなければ良いのではありませんか?
このような歴史的物件紹介サイトがお嫌いなら見なければ良いのではありませんか?
ページを開くのも自己責任ですから。
検索エンジンや個人サイトのリンクページには、
嫌なら開かないように内容紹介も書いてありますよね?
それとも、まさか他人に文句をつけることがお好きなのですか?
そんなことは、ないですよね?
本気で心配して書き込まれたのですよね?

それでも
私は、安易にぽっと出でろくな調べもなく批判をする行為に対して好意は持てません。

しかし、管理人さんの今までのご苦労と
ここに集まるみなさんの熱い議論や廃道を歩くということを
少しでも知っているので
あえて書かせていただきました。
燃えそうな記事はホントは流しちゃった方いいんでしょうけど。
私、冷たいことできない性分なので。
亀レスですが、議論されるのであればとことんお付き合いします。

私だって足元数十メートルの石灰の断崖で危うく滑り落ちそうになったりしましたけど
もし仮にそれで墜落して死んでも
私の家族は私が勝手に望んでやった冒険での事故に関して
誰かを訴えたりはしません。
それは悪いのも被害を被ったのも、全部私だからです。
そして、私は肉体的にも思想的にもその家族の中で育てられたものだからです。
もちろん、廃サイト見ていることも知っていますけれど。

☆また、あなたにとって「責任を取る」とはどのようなことですか?☆
元記事の投稿者さんが通りすがりでなければこのことだけはまずご回答願います。
具体的であればなお良いです。

白、黒じゃなく沢山の灰色のポジティブな知識がほしいです。
私の勉強にもなりますし、管理人さんの活動の足しにもきっとなると思いますので。

個人の方のご意見でしたのでお名前を書かせていただきましたが
この手の問題は
大勢で議論した方がすっきりすると思いますので
りかっちさんと管理人のよっきさんだけでなく
ぜひみなさんのご意見を拝聴できたらと思います。


  [No.4865] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:あらかぶ   投稿日:2010/05/07(Fri) 22:24:04

> 団体行動=自己責任では済まされません。
> 団体行動中、一人が自己責任の下、行動して危険が生じたとし
> ても、それはその場に居た仲間全員の責任となるからです。
> 管理人さんは有名著者でもあるわけですから(その方面)今一度、
> ご考察頂けると幸いと思い投稿させてもらいました。

団体行動中に自己責任(と言う自分勝手)な行動の下、
その団体に危険を生じさせたなら、その行動をとった人の責任であり
その責はその人が負うのがスジと言うもの。
まぁ、世間はなかなかそうはさせてくれないのでしょうが。
団体行動と言うことならば考えを異にする人が居るのは少なからずある事ですので、
そのような事も踏まえて行動及び参加をするのが
団体行動参加時の自己責任だと私は思います。


  [No.4867] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:研究所員D   投稿日:2010/05/07(Fri) 22:59:01

自己責任て・・・自分の選択した行動の結果は自分の因果じゃないのでしょうか。
他人に自分の選択の因果を求めるのは筋違いと自分は思います。
そこに行くか行かないか。
参加するか参加しないか。
選ぶのは自分だし選んだのも自分だし。
・・・間違ってます?


  [No.4868] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:廻館   投稿日:2010/05/07(Fri) 23:37:04

私の拙い文章では荒れること必至でしょうから、削除しても構いません。

> 管理人さんは、どう思ってるのかは私には分かりませんが、団体行動=
> 自己責任では済まされません。
> 団体行動中、一人が自己責任の下、行動して危険が生じたとしても、そ
> れはその場に居た仲間全員の責任となるからです。

書き込みの趣旨から逸れるかも知れませんが、先日の六厩川橋探索のケースをふと連想しました。

ヨッキれんさん自身はもちろん計画も立てておりますし、自己の責任もわきまえているのは読者として承知しております。

しかし、付近住民としてはヨッキれんさんの腹積もりは知る由も無く、
「県外の人が交通困難なところに入っていって、長時間戻ってこない」
と心配になって、山狩り寸前になっているわけです。
ご無事だったから何よりなのですが、もしも何かあった場合
付近住民が自責の念に駆られるのでは?、と思った次第です。

ずっと頭の中で上手くまとまらずにいるので、皆様のお知恵を拝借したいという気持ちがあるのですが、申し訳ない限りです。
(ヨッキれんさんを非難したいのではなく、こういったケースの場合どうあるべきか、を講じておいたほうが良いのでは、と思ったからです)


  [No.4871] 六厩川橋の件 なるほど 投稿者:えも   投稿日:2010/05/08(Sat) 10:12:46

> 書き込みの趣旨から逸れるかも知れませんが、先日の六厩川橋探索のケースをふと連想しました。
>
> ヨッキれんさん自身はもちろん計画も立てておりますし、自己の責任もわきまえているのは読者として承知しております。
>
> しかし、付近住民としてはヨッキれんさんの腹積もりは知る由も無く、
> 「県外の人が交通困難なところに入っていって、長時間戻ってこない」
> と心配になって、山狩り寸前になっているわけです。
> ご無事だったから何よりなのですが、もしも何かあった場合
> 付近住民が自責の念に駆られるのでは?、と思った次第です。
ておいたほうが良いのでは、と思ったからです)

これは同感です。私も地元民だったらきっと心配します。
そこで、アイディアを無い脳みそをひねって考えてみました。

1、できれば入山許可を取る(取れない場合もありますけれど。)
2、車に何時頃戻るか書いて置く(帰ってきて説教される可能性はありますが余計な心配をかけるとかいう類のトラブルは避けられる)
3、そもそも目立つ場所に車を置かない(仕方ない場合は↑2のようにした方が良いと思います。)

正直に工程を公表しなくても、これだけで結構地元民の心配は減ると思います。

ルートが違うとかは迷ったとか言い訳できるわけですし。
山菜取りの人なんかはは他人の山では叱られたり没収されますが
立て札が無いところでは結構普通に入ってるわけですから。

どうでしょう?


  [No.4880] Re: 六厩川橋の件 なるほど 投稿者:かいわれ   投稿日:2010/05/09(Sun) 09:49:59

> 1、できれば入山許可を取る(取れない場合もありますけれど。)
> 2、車に何時頃戻るか書いて置く(帰ってきて説教される可能性はありますが余計な心配をかけるとかいう類のトラブルは避けられる)
> 3、そもそも目立つ場所に車を置かない(仕方ない場合は↑2のようにした方が良いと思います。)
>
> 正直に工程を公表しなくても、これだけで結構地元民の心配は減ると思います。
>
> ルートが違うとかは迷ったとか言い訳できるわけですし。
> 山菜取りの人なんかはは他人の山では叱られたり没収されますが
> 立て札が無いところでは結構普通に入ってるわけですから。
>
> どうでしょう?

あと車に「日本の廃道」とか「日本の廃道 編集部」とか書いたステッカーを付けるとか・・・
これなら地元の方も何をしているかはすぐ分かるのではないでしょうか

でも、なにかあったらORJに迷惑がかかりますね・・・

いつかの過去ログで話されていた「山行総業」なんていうのもアリかもしれませんね


  [No.4882] Re: 六厩川橋の件 なるほど 投稿者:普通萩山行   投稿日:2010/05/09(Sun) 14:37:21

> > 1、できれば入山許可を取る(取れない場合もありますけれど。)
> > 2、車に何時頃戻るか書いて置く(帰ってきて説教される可能性はありますが余計な心配をかけるとかいう類のトラブルは避けられる)
> > 3、そもそも目立つ場所に車を置かない(仕方ない場合は↑2のようにした方が良いと思います。)
> >
> > 正直に工程を公表しなくても、これだけで結構地元民の心配は減ると思います。
許可を受けるまでしなくても、登山者のように「ここ(探索の目的地)に行ってきます」ということを誰かに話しておくとよいと思われます。
近くの集落の駐在さんを訪ねて話す、留守だったら計画書を置いてくるか、周辺住民への「聞き込み調査」のついでに探索に行くことを話してはいかがでしょうか。泊まり覚悟で装備を整えて行くときはそのことも。
ただ登山者がいない地域で「山に入る」といったらどんな反応をされるか、登山者の私にはわかりません。特に駐在さんは危険な状態の場所へ行こうとしている人が現れたら引き止めそうな気がします。実際はどうなのでしょう。
2.は車上荒らしか車泥棒をしようと物色している悪者がいたら「書いてある時刻まで持ち主が戻らないから安心」と見られかねないと思われます。
3.は堂々と停めておくよりも不審に思われる恐れが高まると思われます。

> あと車に「日本の廃道」とか「日本の廃道 編集部」とか書いたステッカーを付けるとか・・・
> これなら地元の方も何をしているかはすぐ分かるのではないでしょうか
専門誌の出版社の車に見えるだけではまだわかりにくいと思われます。
さらに観光バスのように「×××(目的地)探索団御一行様」などと、また「子供が乗っています」のように「道路探索者が乗っています」などと札を掲げると何の目的で停めてある車かわかりやすくなると思われます。往復の道中で周りの車への宣伝になる効果も期待されます。
しかし「しばらく持ち主が戻って来そうにない」と思わて上の2.になってしまうことが懸念されます。

・事前に引き止められる心配がない
・置いていく車を荒らされない
・帰りが遅れても自殺者と勘違いされるなど騒ぎの種にならない
これらの課題に応える方法はないものか。


  [No.4915] しかし、しかし、しかし 投稿者:明治   投稿日:2010/05/16(Sun) 07:00:26

過去にたびたびこの掲示板でも議論になりましたが、
探索は人知れず目立たなくやるべきだ、という意見も十分あり得ます。
その根拠は 「どんなに美化しても、探索は他人の土地や立入制限のある場所に入る行為に他ならず、
仮に大目に見てもらえるとしても現道や現在線、地域住民を驚かせるべきでない」 からです。
私はどちらかといえばこっちの立場でして、探索に行くことは家族や友人だけに告げ、
現場周辺では緑系や迷彩系の服に着替え、なるべく目立たないように心がけています。
(この掲示板での議論やヨッキさんの活動の反省は、私の活動にもフィードバックさせて頂いてます)

探索を積極的にアピールして事故に備えるべきか、はたまた私のように密行性を高くして周辺に配慮すべきか。
気絶するほど悩ましい…


  [No.4921] Re: しかし、しかし、しかし 投稿者:心配性   投稿日:2010/05/20(Thu) 01:50:05

> 現場周辺では緑系や迷彩系の服に着替え、なるべく目立たないように心がけています。

これはかえって現地の方にいらぬ心配をさせることになりかねないのでは?
このご時世ですから、「迷彩服の男が山に入ってくのを見た」なんて話になれば、
すわ工作員かテロリストかと大騒ぎになる可能性もあるように思えます。
むしろ一見してハイキングか登山とわかる服装の方が好ましいのではないでしょうか。


  [No.4925] Re: しかし、しかし、しかし 投稿者:明治@携帯   投稿日:2010/05/20(Thu) 22:45:44

着替える(普通の上着を脱ぐ)のは現場に立ち入る直前ですし、完全武装の兵隊さんみたいになるわけではありません。
また、私が現場に立ち入る瞬間は必ず周囲に誰もいない瞬間を狙っています。
言葉足らずでしたが、どうかご心配なさらないようお願いします。

そもそもどんな格好をしようと、現地の方からしたら廃道なり廃線に入っている時点で既に不審者ですし(笑)、
そこを見られて不安を与えてしまうのならば、いっそ最初から見つからないようにして現場の平静を保つのがせめてもの配慮だと私は思うのです。
それは過去にこの掲示板であった議論から出した私なりの結論なんですが、
最初の「自己責任」の問題を含めて探索倫理には絶対的な正解というものがなく、本当に難しいものです。
故に、この掲示板も過去幾度となく荒れたわけですが(笑)、
一度そういうことをメインテーマにしたオフ会やトークショー、シンポジウムがあると面白いかもしれませんね。
パネリストに廃物件の探索者と管理者の双方に加えて、法律家も呼んだりして。
ヨッキさん、ご検討よろしくお願いします(笑)。


  [No.4926] Re: しかし、しかし、しかし 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/05/20(Thu) 23:33:12

> 一度そういうことをメインテーマにしたオフ会やトークショー、シンポジウムがあると面白いかもしれませんね。
> パネリストに廃物件の探索者と管理者の双方に加えて、法律家も呼んだりして。
> ヨッキさん、ご検討よろしくお願いします(笑)。

なるほど〜。
もしやるなら、廃墟組の人たちとのコラボが面白いと思います。

近代化遺産などの学術的、知学的な意義との兼ね合い(つうか方便)と、冒険的な欲求とのバランス感覚。法的にクリーンであることが何事にも勝るべきであるかということなど、面白い議論になるかも知れません。

ただし、私は傍聴しているだけのほうがいい気がする。
私はぶっちゃけ今のままが幸せなのだし、自分が食べていけるくらいの小さな世界が大好きなのです。 
利己的で身勝手だと思うけど、それが本音です。だから、議論を成熟させることが本当にいいことなのか…分かりません。


  [No.4928] Re: しかし、しかし、しかし 投稿者:心配性   投稿日:2010/05/21(Fri) 01:32:48

> 言葉足らずでしたが、どうかご心配なさらないようお願いします。

そこまでの配慮をされているとは知らず、失礼しました。

ただ狩猟シーズンだけは気をつけて下さい。
目立つ服装でも誤射される事件が後を絶たないですから。
薮にまぎれるような服装だと獣と間違われる可能性があります。
蛍光ベストと猟犬の吠え声がハンター接近の目印ですが、こちらが向こうを認識しても
向こうがこちらを認識できないと危険です。
迷彩は目立たないので、すぐ大声で叫ぶなり、上着を脱いで振るなりして、こちらが
人間であることを知らせる必要があろうかと思います。

余計なお世話かとも思いましたが、田舎道を散歩中に思いもよらぬ薮から出現した
ハンターに驚いた経験がありましたので、ご参考まで。


  [No.4935] Re: しかし、しかし、しかし 投稿者:明治   投稿日:2010/05/23(Sun) 15:48:58

>心配性さん
ありがとうございます。
実は過去に山奥で廃村探索をした際、猟師に出会ったことがありました。
気をつけます。


>ヨッキさん(ほか皆様にも一応)
私は、廃道、廃線、廃墟、廃坑、その他産業遺構etc.をひっくるめた“オブ業界”が、
最近の暴走する「撮り鉄」のような形で、いつか世間の注目を集めてしまうことをとても懸念します。
今のところオブ業界がああいう騒ぎになっていないのは、大きな事故が起きていないのと、
まだ業界規模が小さいままに留まっているからだと思います。
しかし、まだ伸びしろの多いオブ業界が、今のままでいられるかどうか。。。
業界規模がこれからどんどん拡大し、「撮り鉄」のような騒ぎが起こる前に(=業界規模がある程度小さいうちに)、
探索倫理や、物件の管理者側のオブ業界への認識や、ヒヤリハット事例を自発的に確認し合うのも一興ではないかと思いました。

……とまぁ、私の脳内で軽〜く「そんな機会があったらいいな」くらいに考えたことですので、
「ご検討よろしくお願いします(笑)」とは書きましたが、あまりお気になさらないようお願いします(^^;
ひょっとしたら、これ以上オブ業界や廃ブームが大きくなることはないかもしれませんし。幸か不幸か。


  [No.4936] Re: しかし、しかし、しかし 投稿者:√20   投稿日:2010/05/24(Mon) 11:00:48

> ひょっとしたら、これ以上オブ業界や廃ブームが大きくなることはないかもしれませんし。幸か不幸か。

最近、ちょいと廃ブームじゃあありません??
ひたひたとやってきてるようなきがするんですけど。

テレビ朝日系列の「タモリ倶楽部」。先日、秘境駅探検家の牛山氏がVTRで登場ましたよね。秘境駅にスポットを当てられて、ではありませんが。あのノリで、ヨッキれんも出たりすれば、全国区。以前、NHKに出たときの映像とかまた流れたりして。。。


  [No.4869] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:=無責任   投稿日:2010/05/07(Fri) 23:59:18

りかっちさんが言いたかったのは「自己責任」という言葉を
このサイトではどういう意味で使っているかの確認ではないでしょうか?

落合恵子もこう言ってます。

>「自己責任」とは、本来、自分で責任をとるべき人々が、その責任から逃れるために使う、このうえなく都合のいい言葉であり、責任のない市民が強引に背負わされる「他者がとるべき責任」のことでしかない。

引用元↓
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/234


  [No.4870] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/05/08(Sat) 00:27:41

泊まりがけの探索から戻って来るなり、大阪イベントの準備、ORJの執筆など、探索中に進められなかった分の荷物を背負いきれなくなりつつあるヨッキです…。

当サイトおよび、私がオブローディングに関わる場面で口にする「自己責任」という言葉に他意はなく、文字通りの意味です。
つまり、「廃道ではどんな目にあっても、そこへ行った人の責任となる可能性がありますよ。肉体的、法的、倫理的な、あらゆる責めに合う可能性がありますよ」ということです。

そしてこの便利な言葉は、仮に私が公開した廃道の情報のため、現地に誰かが行き、そのためにまた誰かが不都合を被ったとしても、その責任を私は負いたくありませんよと言う、単純な「責任逃れ」です。

このことが、万が一の際に私の責任が問われないことに関して、どれだけ功を奏するかは、幸いにして未経験のため不明でありますが、私にとっては、「廃道」=「自分が体験し、かつ紹介する場所」なものですから、私自身が廃道を紹介した結末についても、それこそ「自己責任」と割り切っています。不安がないわけではありませんが、それ以上に意義のあることだとも信じています。

そして最後に重要なことですが、私のこの試みと楽しみは、皆様の多大なるご理解と御協力と、幾ばくかのうんによって成り立っていると思います。これからも、廃道趣味人のなかで大きな事故の起こらないことを祈っていますし、そのためにも、もし情報を公開するのであれば、可能な限り正確を期したいと考えています。


以上が、この件に関する私の眠い頭の決着点です。
議論の一助となれば幸いです。


なお、りかっちさんの書き込みにあった「団体行動」についてですが、これをグループでの探索という意味と考えれば、かつて私が組織していた「山さ行がねが合同調査隊」のルールに次のようなものがありました(文言はうろ覚え)

・探索参加者は、単独で戻れない状況になる場合は進むべからず。

冷たい言い方をすれば、あなたが体力や技量の問題で一人では進めないと思ったならば、自己申告で引き返してください。そのためにグループ全体が撤退するのは嫌ですよ。ということです。

合調隊は私を含めて登山等の特殊な訓練は受けていない素人の集まりでしたから、専門的な連携プレーは困難ですし、それに期待して進むことも危険と考えていましたゆえ、このようなハウスルールを設けていました。
そしてこのようなルールが存在する素人趣味集団ですから、もちろん…

・探索参加者は、探索中考え得る全ての結末に関しての責を自分で負うものとする。


  [No.4873] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:藁しべ   投稿日:2010/05/08(Sat) 12:56:31

私が一時期運用していたアマ無線のグループ内でバイク好きの物が集まりツーリングなどに良く行きましたが、結構初心者には辛い距離を時間的に走っていました(暴走はしない、止まらないだけ)

その時にもこのような問題に直面したことがあります、危機一髪で事故回避は出来たのですが・・・それ以降その方はお断りするようになりました。

その最大の理由は技量を考えないライディングをして無理をして居たので話し合ったら事故などのトラブルを全く恐れない性格でした、こちらは全員のライディングは把握しきれませんが常に後ろに気を配り初心者がいれば無線で連絡を取り合いペースを落としたりしていたのです。

その事に対しての感謝の気持ちは一切感じられない、何が有ってもついていくと言う姿勢がまとめる者として恐怖に感じたから、実際に同行している方が急病が引き金になり事故になったりと30年以上乗っているので経験しています、しかし、その対処もすべてすることになりますから他の参加者に迷惑も掛けます。

注意しても防げない事故やトラブルは有るのでその確率を出来るだけ低くすることばかり考えて走っていました、今では気の合う人とたまにしかツーリングなど行かなくなりました、上手く書けませんがしていることは違えど内容的に同じような事例と私は思って居ます。

そして無事に終わったときの気持ちも忘れれませんが同行者にトラブルだけはゼッタイにおこして欲しくないです(私の場合たまたま車載カメラが動作中で後続の事故の顛末は今も鮮明に見ることも出来る)運が良かったのは私がスピードを出していなかったため怪我はたいしたことなかったこと(病気については別こちらは救急隊も教えてくれませんでした)解らなかったのかも知れないけど、私は今でも熱中症が引き金と思っています。

そして次に考えるのが自己責任と言う言葉は私も使いますが、時が起こったときにはそれすら忘れて対処しています(現場では)果たしてそれが通じるのか解りませんが幸い現在まで訴えられたなどと言うことは経験がありません。

私がこちらのサイトを10年程度見させていただく中で管理者の言葉等に有る程度納得できるからであり、多少の疑問も浮かぶときがあります。

しかし、もし入っているときに隧道の圧壊など有れば・・・と、常に心配でも有ります。

管理人さんを悪戯好きな息子みたいに見ていますから・・・恥ずかしいので非公開可能であればしてください・・・乱文ご容赦


  [No.4874] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/05/08(Sat) 13:30:27

> 管理人さんを悪戯好きな息子みたいに見ていますから・・・恥ずかしいので非公開可能であればしてください・・・乱文ご容赦

なんか嬉しかったので、非公開にはしてあげません!


  [No.4876] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:Lpl59   投稿日:2010/05/08(Sat) 13:47:21

山歩き事故と交通事故は全くケースが違いますよ。

交通事故は道路交通法に則って「安全運転義務」が履行されて
いたかが検分されますが、山岳安全法なんてありませんからね。


  [No.4878] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:えも   投稿日:2010/05/08(Sat) 23:27:44

〉交通事故と山岳事故の違い

藁しべ氏の記事に対するレスでしょうか?

これは、バイク乗りとして一言言わせていただきます。

ツーリングは山登りとある意味一緒です。
うまく言えないけれど、普通の4輪でドライブするのとは訳が違うのです。

まず
実力(反射神経と努力の積み重ね)
体力(年齢、性別、キャリア)
装備(カウル(風防)の有無、服装、ヘルメットのタイプ)
排気量とエンジンや車体の特性、車両の年式による特性や不具合

そして一番大切なライダー個人の安全意識

+神のみぞ知る事故運、回避運

全部同じ人なんていないし、普通の友人やバイク店やネットで集めたような仲間ならチグハグが普通です。

だから、ツーリングパーティーのリーダーとしんがりはトムラウシのガイドさんじゃダメなんです。
モーセにはなれなくても。

事故はみんなで走っている時にだけ起こるのではなく

休憩中→観光地で不用意なスタンドプレー、駐車場でバイクを倒して修理、要らない喧嘩、トイレに並んで出発遅れや無理な我慢(注意力散漫の原因)発生

帰り道→別れた仲間に途中までついて行こうとして無理して転倒、地図が無いのに知ったかぶりして解散後に迷子、疲労で居眠り運転や立ちゴケされる

などなど
主催者はこれらをコントロールできるように机上計画と現地視察で準備をして、更に常にみんなが元気か無理してないか、楽しんでるか、車両や天気に不安はないか、目配りしているんです。

二輪は交通手段であってスポーツでもあるので
取るべき余裕
準備運動と点検
ある程度の死や怪我への覚悟

心のブレーキ
仲間への気配り
周囲の他人への気配り
が必要で。

勇気と蛮勇は違うとか
引き返す勇気とか

だから
ツーリングの話は
バイクに乗らない人には単なる交通手段の話で山と無関係に思われるかもしれませんが、実は似ているものなんです


  [No.4879] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:MR   《URL》   投稿日:2010/05/09(Sun) 07:50:32

廃道行脚において自己責任というおまじないがなければ先に進む事が出来ないのは事実でしょう。また、それが実は免罪符にもならない、無責任さんの言葉は真意ですね。
ただ、最初の書き込みにある「団体」とは?
ヨッキれん氏とお友達グループのこと?合同調査他のこと?廃道ツアーのこと?
団体が抽象的すぎて、ん〜?

登山とバイクはよく似ていて「グループの中の個人」を何処まで尊重出来るかがグループリーダーの肝ですが、えもさんの言う通りこれは非常に難しいです。ここでも最後は各参加者の自己責任と言わざるをえません。またヨッキれん氏の六厩川橋の事例にあたわず、山岳登山などでも遭難事故などが起これば地元にご迷惑が掛かる事は、廃道行脚においても何ら変わりません。
廃道はともかく、登山やバイクはそれでも世間に認められた行楽&スポーツです。自己責任は無論ですが、捜索/救急など何かあれば社会全体で対応出来る機能は出来上がっています。
ならば、可能な限りの自己責任でそれらを行っても社会全体の「団体行動」から著しく逸脱しているとは思いません。
ただ、廃道行脚においては、そもそも立ち入りを禁じている(その禁止スタンスに問題が在っても)所に入る以上、地元社会の意向を無視する事ですから、当然責を負われても仕方がないと思いますし、それ故メジャーになる事を好ましく思ってはおりません。
あくまで個人だからお目こぼしをお願いします。という程度でしょう。

そのお目こぼしが転嫁して「自己責任」と言うのかもしれませんが。


  [No.4881] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:路傍の石   投稿日:2010/05/09(Sun) 11:56:59

key word 自己責任 団体行動 言葉

団体行動。それは身勝手な行動を許さず。従って、森吉や和賀のトンネル探索時のヨッキ氏の行動は団体行動における集団行動マナー違反と評価・判断されるファクターでしょうかね。
私自身、読み始めはこのことに不安を感じ、違和感を憶えた一人です。その一方でその無鉄砲ぶりに魅力を感じ、読み続けさせていただいているのも事実です。その当時ですでに、ヨッキ氏の内心には逸脱行動に対する反省の気持ちは生まれておられるように思われます。そのせいなのか、以前のような集団行動が少なくなっているように思います。集団と言っても、あの当時の集団は、ある意味隠れた専門家仲間の集会。きちんと統制をとって…の集団行動ではない。それが魅力な合同調査隊だったわけで。今のヨッキ氏は自分の興味に他人を出来るだけ巻き込まない、という自己責任の中での行動をされているように思われます。その中でも六厩橋のケースは起きたわけで。あれはあれで、ヨッキ氏の行動を責めるよりも、ヨッキ氏の行動を大事にならないよう対応した現地の人々に感謝、所詮、人は助けあって生きていることの実感ができた、良い話、ではないでしょうか。無論ヨッキ氏はよりいっそうの自己責任を感じ、その後の行動に生かされておられるようですし。

スレ主のりかっちさん。もしもROMされておられるなら、ヨッキ氏のどのレポのあたりに違和感をお覚えなのか、明確にされてはいかがでしょうか。このHP内では、様々なレベルの読者がおり、そのほとんどの方がレベルの違いをしっかりと認識しあって語り合っておられると私は認識しています。少なくとも、レスをされておられる方々は、ヨッキ氏のレポを鵜呑みにした行動はされていないと思います。それとも、チラ見して廃道探索を安易にする人がそんなに多いのでしょうか?無論、多い少ないが問題ではない、と反論される向きもありましょうが、もしそのことを議題にされた場合、かの伊能忠敬の行動などは、明らかに集団行動ルール違反ですし、登山家の初登頂、初踏破なぞは、あなたの理念違反そのものですよね?それとも、ヨッキ氏のレポにこうして大勢の方々が好き勝手な書き込み(炎上回避のマナーは守られているはず)の掲示を許可すること自体にヨッキ氏の自己責任が果たされていない、ということでしょうか?。確かに、安易な模倣は危険な行動であり、その危険性及び懸念は十分に伝わってくる内容だと私は思っているのですが。それでも敢えて、警鐘を鳴らされたい、ということでしょうか?


  [No.4888] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:TK   投稿日:2010/05/10(Mon) 22:26:52

以前、職場のOBの方が山行で行方不明になり、数ヵ月後に亡くなって発見されたことが有ります。
いっしょに山に行ったこともあり、単独行の好きだった方なので、「登山保険に入ってますか?」と訊いたら、「俺は無理な行動をしたり危険なルートには行かないからそんなものは必要ない。登山は自己責任だし。」と言っていた方でした。
その方が行方不明になったとき、会社では延べ百数十名の方が捜索費用のカンパをし、捜索には故人の知り合いで登山経験のある人間(私も含め)や、警察関係者、地元の方などが延べ数十名、何回もの捜索に参加しました。
それだけの支援が集まったのは、故人の人徳でもありますが、それでもご家族の負担はかなりのものだったと聞いています。
いくら自己責任を標榜していても、事故が発生すればどうしても多くの人手を煩わせ、迷惑を掛けることになります。
おそらく、ヨッキさんも十分なケアはされているとは思いますが、同じように廃道探索をされたりする方も、事故があったときのご家族の負担だけでも軽減されるように、少なくとも、捜索費用等まで担保される登山保険などには入っておかれることをお勧めします。


  [No.4892] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:りかっち   投稿日:2010/05/11(Tue) 02:42:44

みなさん、返信が遅くなり申し訳ございません。投稿したものの
掲示板に反映されなかったので少しの間、放置させてました。

まず、HP上のTOPで書かれてる言葉には、便利上、なんとなくですが受け入れられる言葉だと思います。

ただ、レポート上での自己責任って言葉使いに違和感を感じ投稿させてもらった訳です。で、違和感を感じたレポートは以下に転写させてもらいます。

森吉林鉄 第5次探索 その6  断崖の廃歩道の一節で ここは、高所に耐性のある私でも、背筋に冷たいものが走った。…中文省略 細田氏とYASI氏は、ここで待機との決断に至った。

話して語り合うことより文字で表す事が難しいと思うわけで、あまりにも簡単に自己責任って言葉を使ってませんか?って思う訳です。言いたかった事に一番近いと思うのが無責任さんのスレです。
管理人さんの言う自己責任の考え方、分かりますが、文章では、そこまでの考え方が読み取れません。

私の言葉足らずでいろいろと物議がかもし出され、ご迷惑かけましたが責任の所在が、どこに在るかではなく使い方がおかしく思ったので投稿したわけです。


  [No.4897] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:えも   投稿日:2010/05/11(Tue) 22:40:29

森吉林鉄第五次その6を見てみました。
けど、私にはやっぱりよくわかりません。
あの記事のどこになぜそのように感じられたのか。

wikipediaの「責任」の項にある「自己責任」の説明を読んでみてください。

悪い方にもっていこうとすればいくらでももっていけるんだと思います。

でも、他人に責任を押し付けるために「自己責任」と言っているという
落合氏の文章とこの記事の内容とは「自己責任」の使い方が違うと思います。

他人様に対して「自己責任でやってくれ」と言っているのではなく
自分達が各自自己責任で行動したと書いてありますよね。
自分の行動に自分で責任を取る
すなわち何があっても責めは自分一人で負いますという宣言なのです。
何人の人がその場に居ようとも、個々は個々で落とし前をつけるという意味合いの文章です。

シニカルな意味あいや責任のなすり合いじゃなく
純粋に
「自分自身の行動について、自分の為したことに対する責めは自分で負うと決め
意を決して行動に出た」というくだりだと私は読みました。

そういう決断をするのがオブローダーであり
そこで自分の実力や装備では無理だからと踏みとどまる決断をするのも良識と判断力のある大人としての責任ある行動だと思います。

無理やり他人に行けと言っている人物はあの場面において一人も居るように思われませんでした。

そこでそういう読み方をされる読者さんがいたことに
違和感を覚えたといいますか…世の中色々な人がいるのだなと
世間の不思議を感じました。
センター試験の国語の読解問題みたいですね。

また、森吉の記事はだいぶ初期のレポートですよね?
その後、氏もここの読者もみな経験と議論の中で成長しています。

特に、塔のへつりのレポートの時などには
管理人よっき氏の発言や一般観光客に影響を与えてしまった事などがあり
沢山の議論がなされて
そこから反省や改善がなされています。

そういう成長を時系列的に見られることも
このサイトの良いところなのではないでしょうか?

はじめていらして
順番に読まれていて、記事の過激さに驚かれてのことかもしれませんが
言葉の端を捕まえてどうこう言うよりも
まず、全部見てみてください。
掲示板のやりとりも含めて。

臨場感、倫理観、人間の成長
自然の豊かさと脅威
色々学ぶことは多いと思います。
二十歳そこそこのよっき氏と三十路のよっき氏で書く文章も違うし
どなたかも書かれていたように探索の行動形態も違う
(現在大人数の合同調査は無く単独調査と比較的安全な見学ツアーのみ)
当時はあったもの(遺構)が今は無くなってしまったけれど
記事の中には文章と写真で鮮明の残っていたり

批判するのは簡単なことだけれども
自分が正しいとは限らないし
そもそもこの世に答えの無いことかもしれない

何かに過敏になりすぎで
大きな物が見えなかったり

小さな事に気づかれることはご立派だと思いますが
なんか、納得行く答えじゃなくてちょっとがっかりでした。
もっと深い哲学があっての書き込みなのかなぁと思っておりましたので。

それとも、これって現代語の進化なのかしらん???

無いとは思いますが
突っ込まれることが怖くて微妙なくだりを全てカットされたら
探索レポートはつまらなく、単調なバイパス道路を走る車の
カーナビみたいになってしまうのではないかと思います。

安全意識と臨場感のバランス
探索の腕が上がるほどに必要なことだとは思いますが
氏はとっくに自分のスキルアップに天狗な時期は過ぎて
冷静な専門家の目をされているように
最近のレポートからは感じています。

追記
元記事の方、「それは違う」とかあったら突っ込んでくださいね。


  [No.4901] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:みみぃ   投稿日:2010/05/13(Thu) 01:33:41

> ただ、レポート上での自己責任って言葉使いに違和感を感じ

では、具体的にどうなら違和感を感じないのでしょう?

違和感を感じるか感じないか、は、各々の感性に寄る部分もあるでしょうから、
一概にどうと言い切れるものでもないと思います。
文字で表すことが難しい、であるならば、逆に言えば客観的に「自己責任」と言う言葉は、
ある意味非常に的確であり、はっきり言ってしまえば便利な言葉です。

探検などを行う場合、参加者それぞれの得意不得意、向き不向きが発生します。
その中で、それぞれの得意とするやり方で目的に向かってゆく、
これが集団行動の趣旨かと理解しています。
それでも相手のやり方に無理がある、難がある、と感じれば当然引き止めるし、
そう思って何もせずにみていたら、見ていた側にも問題があるといえるでしょう。
両者問題ない、と思っていても、予期せぬことが起これば、それこそ「自己責任」としか言いようがないかと。

必要に迫られてやっていることではなく、はっきりいえば道楽の延長でのことです。
(道楽だからと否定する意図はなく、むしろ楽しんでやっていただきたいことですが)
そんな中でのことですから、何かトラブルが起こりでもすれば自分の首を絞めるだけ、
それは管理人さんが、言われないまでも誰よりも一番認識していることでしょう。

それに対して違和感を感じると言われるのならば、客観的にどうしたら?と思ったのです。


ちなみに、
>>「自己責任」とは、本来、自分で責任をとるべき人々が、その責任から逃れるために使う、このうえなく都合のいい言葉であり、責任のない市民が強引に背負わされる「他者がとるべき責任」のことでしかない。

どんなに逃げようとも、自分で負わなきゃならない責任からはどうやっても逃れられないし、
それからは逃れられても、他で支障や弊害が起こるでしょうし・・・
責任のないことであるならば、どんなに強引であってもその責任をおっかぶる気はさらさらないです。

都合はいい言葉でしょう、でも都合がいいなりに、また違う別のリスクがある言葉だと思います。


  [No.4891] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:コスモ   投稿日:2010/05/11(Tue) 00:04:55

なんかすごく自己責任が熱く語られているので私も一言

団体行動…むずかしいですけど、自分の知識・体力を鑑みて参加するかしないか決めるってことですよね。山登り素人が団体チームの登山参加しないのと似ていると思います。
少なくともこの廃探索においては探索そのものが自己責任であり(立入禁止地区、私有地、遭難の危険性とか)団体であれ個人であれ、様々な分野に責任を負うものとなると思います。団体であれば計画は立てているわけですから、そこから脱した行動の時にどうかなっても自己責任ですよってことですよね?

とりあえず私は国道脇の旧道歩いて満足です♪レンガ作りの橋脚とか、廃鉄のあととか、探索しなくても毎日見てます。


  [No.4902] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:おーた   投稿日:2010/05/13(Thu) 10:10:27

いろいろと語られているようですが、
「自己責任」とは良い言葉ですよね。
私も「自己責任」でゲートをくぐりバイクで林道を走りにいきます。
ただ何かあった場合、特に「自己」の人間が意志を表現出来なくなった場合は、家族が問題を提起するのが普通です。
「あの時しっかりとした通行止めのゲートがあれば、息子は入ることを諦めただろう。」と悔やまれ、
責任の所在として管理者を責めない(悔しさをぶつける)とも限りません。
やはり、自分だけの問題では済まないと思います。


  [No.4904] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:つきのわぐま   《URL》   投稿日:2010/05/13(Thu) 19:45:57

一般的に「自己責任」というのは、「自分が取った行動によって何らかの不利益が生じた際に、自分自身で尻拭いして下さいね。」という意味です。従って、森吉レポートの中にある記述は妥当と言えるでしょう。実際、お二方は万が一の事を考え、現場突破を辞退されています。

ちなみに、ギャンブルで負けた、会社の経営に失敗した、無謀運転をして事故を起こした、スイーツを食べ過ぎて糖尿病になった、難関大学を受けたが不合格になった、入社した会社が倒産した、結婚生活がギクシャクしている、配偶者と価値観が合わず離婚した…。これらも全て「自己責任」です。ギャンブルや事業に手を出さず、安全運転をし、食生活に気を付け、身の丈にあった大学を受験し、事前に会社の内容をよく調べ、結婚もしなければ、こういったトラブルは起きません。

リスクを恐れず挑戦するか? リスクを恐れて挑戦しないか?
自らの欲望を満たすか? 自らの欲望を抑えるか?
挑戦する人を応援するか? 挑戦する人を引き止めるか?

これらは、各個人の生き方、価値観によって判断が分かれるでしょう。
例えば、失敗を恐れて結婚しない人、失敗を恐れず結婚する人…など様々です。

『山行が』が人気なのは、ネタの良し悪しというよりも、リスクを恐れず“挑戦”するヨッキ氏の姿勢に惹かれる人が多いからだと思います。自分でも挑戦したいけどヘタレなので出来ない。でも、ヨッキ氏が代わりに挑戦してくれる。これが『山行が』人気の一つの要因だと思います。

挑戦するにしてもしないにしても、人生は一度きりです。
皆さん、悔いの無い人生を送りましょう。


  [No.4905] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:40代   投稿日:2010/05/13(Thu) 23:27:02

はじめまして。

事故が起こったとき、責任の所在を他に求めるからこうなるのではないでしょうか?

・あのサイトで紹介されていたから
・入り口にゲートが無かったから
・立ち入り禁止の表示が無かったからetc・・・

山や廃道だけでなく、日常生活でも危険を察知して、自分の能力を判断し退くときは退く。それが大人ってものなのでは?

事故や不具合があっても誰かに責任を擦り付けない。
それを手っ取り早く表現すると「自己責任」になると思うのです。


  [No.4920] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:さる   投稿日:2010/05/19(Wed) 19:45:38

40代さんの意見に完全同意です。
「自己責任」という日本語の正しい意味については、ここでは論ずる必要は無いと思います。
自分で調べて、自分なりに解釈して、自分の行動に反映されたらいいと思います。
そんなことよりも何か問題が発生したときに、即責任転嫁する人達もこのサイトを見ているというのが明らかです。
そんな人達は立ち入り禁止のフェンスを乗り越えて捕まったりした場合、「サイトで見て来た。何で俺ばっかり捕まえるんだよ!」とか、
また、怪我でもしたら「こんな危険な所がなんで、あんな注意看板だけなんだよ!」
とか「無事通過できたとかいうサイトを鵜呑みにしてエライ目に遭った!」とか言うんでしょう。
それが原因で場所を伏せたりしてリアリティが無くなったり、危険を回避するばかりで魅力が無くなったりしたら悲しいですね。


  [No.4908] 全然本題から離れますが気になったので 投稿者:のら猫   《URL》   投稿日:2010/05/14(Fri) 06:07:40

>スイーツを食べ過ぎて糖尿病になった

糖分摂取過多と糖尿病は医学的には無関係です
病名から勘違いしている人が多いようですが…
問題になるのは塩分や炭水化物ですね


  [No.4911] Re: 自己責任という言葉 投稿者:MIKENEKO   投稿日:2010/05/15(Sat) 09:57:54

かつて平沼氏が当家所有の山をかすめて行った事がありますが、そこで何かが有れば
当方にも何かしらの関わりが出てくる可能性が有るでしょうね。
こちらの窺い知れない事だったとしても。

極端な事を言えば、死んでしまえばそれはそれで良いのでは。
本人はこの世にもう居ないのですから。
救出騒ぎなどを起こした時に、どう落し前が付けられるかでしょうね。


  [No.4910] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:=無責任   投稿日:2010/05/15(Sat) 02:12:40

落合恵子の文章を引用した者です。
私は、「自己責任」という言葉が軽々しく使われていることが多い昨今の状況に
違和感を感じる者です。

どういう使い方で違和感を感じるか考えてみました。

例文(1) 俺は今から1000円持ってパチンコに行く。どういう結果になろうと自己責任でやる。
例文(2) 当サイトで紹介している1000円パチンコ必勝法を真似る場合は自己責任でお願いします。
例文(3) 俺はシロウトだが今から雪山登山に行く。どういう結果になろうと自己責任でやる。
例文(4) 当サイトで紹介しているシロウト雪山登山法を真似る場合は自己責任でお願いします。


(1)と(2)は、いいでしょう。もし実践者が損害を被っても誰にも迷惑を掛けず完全に自己だけで責任を負えるからです。
(3)は、ダメでしょう。もし死んだ場合、遺族や捜索隊等に多大なる迷惑がかかり自己だけで責任を負えるわけがないからです。
 自己責任と無責任を混同しています。
(4)は、危ない表現でしょう。言い手としては「私は責任負えませんよ」との意味で言ってますが、受け手側は「じゃ自分で責任負えば
 良いんでしょ」と捉えがちです。その結果(3)を誘発します。

要は、自分ひとりで最後まで責任を負いきれない可能性があるのに「自己責任でやります」って軽く言うな、と思います。
言うなら、死ぬ気で言え、っていうか「死ぬ気以上」で言わないといけません。


  [No.4924] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:MIKENEKO   投稿日:2010/05/20(Thu) 21:32:22

本人は死んでしまえばそれで良いのですよ。(風船おじさんしかり)
いくら準備(死亡した場合の)をしておいても、後の騒ぎは本人には何もカバー出来ない訳ですから。

溜池に子供が落ちて、その持ち主に「ご迷惑をお掛けしました」と、一升瓶を持って行ける親が
今は居ないからね。
本人がいくら「自己責任」と粋がってみたって、後の騒ぎまで責任は取れないのだよ。

だだね、平沼氏は自転車のハードに関するスキルや、登山(岩も含める)経験、時間の観念がなさ過ぎるね。
車輪ぐらい組める程度の技術は必要だと思うよ。


  [No.4931] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:えも   投稿日:2010/05/21(Fri) 22:23:42

=無責任氏の仰る
「死ぬ気以上」とはどのような事を指しているのでしょうか?
それがどういう事なのかお教え願います。
また、引用文でなくご自身の言葉での噛み砕いた説明でお願いします。

私見で申し訳ありませんが
この議論の終点は
自己責任=落とし前の付け方を知らない人の圧力で
サイト閉鎖又は既出レポート物件での事故全ての責任を管理人氏に求めているように感じられます。

ファジーの美
自分の力量を自分で量る

そういった近代(現代に対しての近代)的な感覚を
現代の訴訟社会に
無理に当てはめて決め付ける事に
どんな価値があるのでしょう?

仮に
「絶対真似しないでください」と書いても
真似したい人は真似するだろうし
絶対否定をされると
面白半分の人にも火を付けてしまうのではないでしょうか?

「自己責任」は
煽るわけでもなく
静かに注意喚起をする
落としどころだと思います。

そうやって突き詰めて
探索と紹介を否定したら
発掘等の紀行番組や
城跡発掘の学術調査に一般のボランティアを入れることも
危険誘発行為になるでしょうし
絶景世界遺産や
F1中継すら

「危険なものを人々に広く知らしめて無責任だ」
という事になりやしませんか?


つつくだけなら簡単です
対処法まで考えてこそ
否定意見を述べられる意味であり、また、その意見に対して責任を取るという事なのではないでしょうか?


  [No.4932] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:=無責任   投稿日:2010/05/22(Sat) 02:50:39

えもさんへ

> 無責任氏の仰る
> 「死ぬ気以上」とはどのような事を指しているのでしょうか?
> それがどういう事なのかお教え願います。
> また、引用文でなくご自身の言葉での噛み砕いた説明でお願いします。

文章を読んだ流れでご理解いただけなかったでしょうか? 稚拙な文章ですみませんでした。
死ぬ気以上で言え、とは、自分が死ぬのみならず、自分以外の人々に迷惑がかかる
かもしれないことまで想定したうえで言え、という意味です。引用ではありません。

もしや、えもさんは、私やりかっちさんがヨッキれんさんを責めているとお思いではありませんか?
(違っていたらすみません)
私はそういう意図は全くなく、自己責任という言葉を無責任に使用する昨今の不特定多数の
人々に物申したかっただけです。

そもそも私は、カキコミやメールなどテキストで議論しても意思疎通は20%程度しかできないと
考えている人間ですので、そろそろ消えます。
じゃあお前はなぜカキコミしたんだって? それは最近いくら山いがを覗いても
尾盛駅への道シリーズの続編が出ず、暇を持て余して当掲示板を覗いてしまったからです…。
いや、このスレがここまで伸びてるのはもしや同パターンの方が多いという表れですか?(笑)


  [No.4923] Re: 自己責任という言葉。 投稿者:さんしん   投稿日:2010/05/20(Thu) 19:40:22

初めて投稿させていただきます。
ヨッキれん様、その他多くの読者様、よろしくお願いいたします。
スレ主さんの趣旨とは異なってしまいますが、自己責任というものは、あくまで生還して初めて取れるものと理解しています。いくら自己責任を叫んでも本人がいなければ取りようが無いと思います。
何より本人の家族や、周りの人に責任が及びます。
このサイトの全てを閲覧したわけではないですが、無理をしても引くべきところは引いているような感覚が私には感じられます。これはヨッキれん様の才能だと思います。他の人がもし同じ事をしたとすると事故が起こる可能性も拭いきれません。事故が起きた場合にこのサイトのことが出ないとも限りません。その場合間違いなくヨッキれんさんの責任問題も出てくるでしょう。ヨッキれんさんはその覚悟は出来ているとおもいます。これが自己責任という言葉で表しているのでしょう。逆に読者側の自己責任は、真似をしても事故が起こらないようにするということではないでしょうか?理想論でもうしわけありません。
ヨッキれん様及び読者様稚拙な文章で読みにくいかと思いますが、各自ご自愛して、探索に励んでください。


  [No.4944] 責任と言う言葉は威圧と萎縮のために 投稿者:さとう   《URL》   投稿日:2010/05/28(Fri) 12:12:17

 歴史上、世界中で多くの冒険家探検家たちはもっと危険な冒険譚・探検記を著していて、そういうのに影響を受けて(あこがれて)次世代、あるいは後世の人々が冒険・探検に乗り出すと言うことを繰り返しているのだけど、そういうことに「責任を問う」というのはどうなんだろうと思います。そういう外野の声は常にあるとおもうのだけど(特に日本では)、そういうことがいろんな場面で人間を萎縮させ、TVとカラオケだけを糧に生きる人達を作っているとさえ感じます。

 ヘロドトスの「歴史」を読んでアジア歴訪のたびにでて事故にあったらヘロドトスを批判しますか?植村直己の著作を読んで高山を目指して自己があったら植村直己の責任を問うのですか? なにかあったら誰かに責任をあげつらう社会ってのは、すごくツマラン気がしますよ。

 「何もしないこと」が唯一責任を取らないですむ手段ですからね。
> 初めて投稿させていただきます。
> ヨッキれん様、その他多くの読者様、よろしくお願いいたします。
> スレ主さんの趣旨とは異なってしまいますが、自己責任というものは、あくまで生還して初めて取れるものと理解しています。いくら自己責任を叫んでも本人がいなければ取りようが無いと思います。
> 何より本人の家族や、周りの人に責任が及びます。
> このサイトの全てを閲覧したわけではないですが、無理をしても引くべきところは引いているような感覚が私には感じられます。これはヨッキれん様の才能だと思います。他の人がもし同じ事をしたとすると事故が起こる可能性も拭いきれません。事故が起きた場合にこのサイトのことが出ないとも限りません。その場合間違いなくヨッキれんさんの責任問題も出てくるでしょう。ヨッキれんさんはその覚悟は出来ているとおもいます。これが自己責任という言葉で表しているのでしょう。逆に読者側の自己責任は、真似をしても事故が起こらないようにするということではないでしょうか?理想論でもうしわけありません。
> ヨッキれん様及び読者様稚拙な文章で読みにくいかと思いますが、各自ご自愛して、探索に励んでください。