一括表示 |
---|
「華厳渓谷とかささぎ橋」レポートを拝見させていただきますと文中に「五郎平茶屋」について触れられておりますが、これって4名死亡事故のあった茶屋の崩落事故と同じ茶屋だったのでしょうか。「華厳の滝茶屋崩落」検索でそれらしいのがヒットしますけど。もし、そうだとすれば茶屋現役時と崩落後の地面地形が変わっている可能性があると思われます。 |
追伸です。ちょっと気になるのが、茶屋が崩落し、下にいた滝見物客4名が亡くなった事です。一般観光客が容易に立ち入る事ができる場所という事で、遊歩道にでもなっていたのでしょうか。 |
当時の絵はがき画像の茶屋の場所の地形を見ると、今の観瀑台のあるところが茶屋跡地の可能性が高いと思われます。 |
他の画像検索で見ると滝筋の左側に見えたりする物もあり、中善寺の歴史に詳しい方にお尋ねしてみました。すると、五郎平茶屋と現在のエレベーターの観爆台とは、ほぼ同一場所である事が判明いたしました。〔滝筋の左側に見えたのは、写真撮影の位置関係からだと思われます〕千明財閥がエレベーター建設の際、五郎平茶屋跡に観爆台を作るにあたっては、五郎平茶屋側に、エレベーター会社の株券を発行したそうで、事実上の譲渡と思われます。又、「江戸期においては華厳の滝の全容を簡単に見るのは不可能でした。簡単に見られるならば松尾芭蕉が来て、一句残したでしょう」ともおっしゃられていました。 |
NO 6588 文中 〔中善寺〕表記は誤りで、〔中禅寺〕に訂正させていただきます。 ついでに華厳の滝エレベーターですが、最近地震が多発しております。大きな地震が発生すると一時停止した後、上か下に動くそうです。もちろん停電時は自家発電装置で可動するので安心してご利用下さいとの事です。そうでなければ途中階も無く100メートルもあり、国交省の運行認可が下りないそうです。そんな所によくも五郎平さん、建築資材を運んで茶屋を造ったものです。 |
エレベーターが完成したのは昭和5年、ご指摘の事故(茶屋自体が崩落したのではなく、敷地の隅の一角が崩れ、脇道から茶屋の下の河床に降りていた人が受難)は昭和10年ですね。今の觀漠台は完成は戦後っぽい気がしますが、事故を踏まえて道をトンネル(ロックシェッド?)で囲ってどこにも脇道に逸れることができなくしたのかな?と思います。 |