半年前からの読者です。気合で読破を目指しています。さて、テレビの特集に見切れていて気になった道があります。崖下の消波ブロックの上に続いており、GoogleMapで確認したところ、道の印が入ってるのに加えて、道の付け根のストリートビューにはガードレールが写ってました。一体なんのための道なのか気になります。
いや、画像だけ貼ってもちょっと不親切でしょう。ここですよね?hhttps://goo.gl/maps/kzN9XPuvZvy前後をたどってみるとずっと海岸線に沿って走っていて、個人的には河川堤防上のサイクリング道路っぽく感じました。ひょっとすると、こういうのの一部だったのかも?hhttps://www.cyclesports.jp/courseguide/jitenshado/020/index
国土地理院空中写真閲覧サービスで過去の航空写真を見ると以下のようになっています。【1975年】海岸線に一切の人工物がない【1982年、1984年】防波堤が南北から海上に施設され該当道路がその上を通っているが、中央部のわずかな距離が未工事で南北が接続されていない【1990年】残されていた中央部も工事され、南北の防波堤(と道路)がつながる【1995年】北側の海岸線への進入路が草木の侵食により早くも消滅しているということで元々が防波堤工事用仮設道路で、工事完了後は放棄して消波ブロックと共に防波堤の一部となる設計だったのではと思います。(だからほぼコンクリ板のみで道路が造られている)ガードレールは元から人家に隣接する現存箇所にしかなかったのではないでしょうか
kazさんの推察に賛成です。屏風ヶ浦にも、同様の構造があります。> 国土地理院空中写真閲覧サービスで過去の航空写真を見ると以下のようになっています。> 【1975年】海岸線に一切の人工物がない> 【1982年、1984年】防波堤が南北から海上に施設され該当道路がその上を通っているが、中央部のわずかな距離が未工事で南北が接続されていない> 【1990年】残されていた中央部も工事され、南北の防波堤(と道路)がつながる> 【1995年】北側の海岸線への進入路が草木の侵食により早くも消滅している> ということで元々が防波堤工事用仮設道路で、工事完了後は放棄して消波ブロックと共に防波堤の一部となる設計だったのではと思います。> (だからほぼコンクリ板のみで道路が造られている)> ガードレールは元から人家に隣接する現存箇所にしかなかったのではないでしょうか
屏風ヶ浦のは観光用の遊歩道(だったもの)ですね。昔は屏風ヶ浦の断崖絶壁を日本のドーヴァー海峡と呼んで観光地にしようとしてましたから。hhttps://kokopelli-land.com/syatyuhaku/tiba-byoubugaura/> kazさんの推察に賛成です。> 屏風ヶ浦にも、同様の構造があります。> > > 国土地理院空中写真閲覧サービスで過去の航空写真を見ると以下のようになっています。> > 【1975年】海岸線に一切の人工物がない> > 【1982年、1984年】防波堤が南北から海上に施設され該当道路がその上を通っているが、中央部のわずかな距離が未工事で南北が接続されていない> > 【1990年】残されていた中央部も工事され、南北の防波堤(と道路)がつながる> > 【1995年】北側の海岸線への進入路が草木の侵食により早くも消滅している> > ということで元々が防波堤工事用仮設道路で、工事完了後は放棄して消波ブロックと共に防波堤の一部となる設計だったのではと思います。> > (だからほぼコンクリ板のみで道路が造られている)> > ガードレールは元から人家に隣接する現存箇所にしかなかったのではないでしょうか
こちらの過去の航空写真を追ってみると、消波堤を作った後からヘッドランドを追加し、人口砂浜を生成したことで消波堤が埋もれたため、そこを後から遊歩道化した(つまり後付け)ように見えます。同様の過程を辿ったものが別箇所(大東港そば)にあります。hhttps://goo.gl/maps/XZc5B6XKbc52こちらはとくに措置が取られなかったため、消波堤跡が完全に砂に埋没してしまっています。国土地理院空中写真閲覧サービスで経過を見ると結構劇的に海岸が変化しており面白いです。> 屏風ヶ浦のは観光用の遊歩道(だったもの)ですね。> 昔は屏風ヶ浦の断崖絶壁を日本のドーヴァー海峡と呼んで観光地にしようとしてましたから。> hhttps://kokopelli-land.com/syatyuhaku/tiba-byoubugaura/