かねてから匂うと感じていた新潟県阿賀町の鹿瀬ダム、建設にあたり軽便鉄道があった事実を文献および写真で確認しました。 磐越西線鹿瀬駅から線路は阿賀野川沿いに進み、角神橋の橋詰付近をクロスして鹿瀬ダム建設現場に繋がってました。写真には小型の蒸気機関車が写ってました。 尚、第二鹿瀬ダムにはインクラインもありましたが、現在はダムの下なってます。 軽便鉄道が資材を運ぶダム建設現場の様子については「昭和初期 保存版五泉 村松 東蒲原 今昔写真帳」から。郷土出版社発行。 廃線跡は川沿いという事なので、推測ですが鹿瀬駅から鹿瀬小学校付近を通過して鹿瀬ダムに向かってたと思われます。地図上では小道があります。
写真を見ると、後方の山の形から角神橋付近かと思われます。 角神橋は架設橋のようなので、初代以前ではないでしょうか。
私は当初「角神隧道」の建設使用目的に疑念を持ち、多分ダム建設の資材運搬トロッコ用かなと思い調べた。 そのうち鹿瀬駅から鹿瀬ダムまで阿賀野川沿いに運転された「軽便鉄道」の存在が明らかになると共に、トンネル、ダム、鉄橋建設に携わった「朝鮮人強制労働」も浮かび上がった。では角神隧道は?となる訳だが昭和電工(現、新潟昭和)の工場内に戦時中の捕虜収容所があり、角神隧道と最短で鹿瀬ダムと結ばれます。捕虜収容所は、角神隧道付近から、昭和電工工場内を見ると大きな牛舎みたいな建物で窓が高い位置と屋根にあるから分かります。現在も現存してますが観光としての公表はしてないようです。
何かと気になり今朝早朝、埼玉県から鹿瀬軽便鉄道跡を見に行ってきました。町の年配者の方に聞いたら、親切に教えてくれました。 起点は鹿瀬駅構内ではなく、R459から鹿瀬駅方向に行くと磐越西線の踏切手前で左折して線路に並行する道が廃線跡の事。左折した先が軽便鉄道の起点で、小学校は川側の深戸橋梁脇を通ってた。道路はダム手前で左後ろ鋭角でR459に登るが軽便鉄道は真っ直ぐ行き鉄橋を渡り、現在の奥阿賀ふるさと館の下付近が終点でした。 途中はダートになりますが、普通車で通過可能です。遺構の発見には至りませんでしたが、ダート区間で経年劣化で苔むした枕木がありました。
> 私は当初「角神隧道」の建設使用目的に疑念を持ち、多分ダム建設の資材運搬トロッコ用かなと思い調べた。 角神隧道についても、町役場で聞いたところ「町民の往来目的の生活道路で町道扱いです」との事です。>