「4.現地撮影写真の検証」の2枚目写真よりA〜Cを載せた地盤がそのまま滑落している可能性はないのでしょうか?4枚目の写真からは、C〜Dも大規模な崩落があったのではないでしょうか?昨年の岩手県地震でも大規模な山体崩落がありましたし、想像を絶する規模の崩落も議論の余地はあると思います。素人目ですが地形的な不自然さを感じます。的外れな意見でしたらば、ごめんなさい<(_~_)>
僕も路盤崩落説を取りたいです。この場所こそが、開通翌月以降に崩落して通行を不能せしめた箇所なんじゃないかと根拠は無いけど、直感で思いました。上の分岐からここまで、下の分岐からナル沢まで、(まだアップされていない区間を除いて)沢で落橋などしている以外は、通れなくなるほどの路盤の大規模な消失がなかったように思います。
リベンジ編第8回にてついに清水国道全攻略なりましたけど、確かに完全に路盤が消失して踏破不可能になっていた個所は一本松尾根の箇所だけですね。日原のとぼう岩旧道の石垣みたいに急な一枚岩の上に石垣で人工的に路盤を作っていた場合、豪雨や雪解けなどで一気に路盤全体が崩壊した(岩盤の上を滑り落ちた)可能性もありそうですね。
> この場所こそが、開通翌月以降に崩落して> 通行を不能せしめた箇所なんじゃないかと私もそのように感じました。むろん同じく直感で、ということですが。それが120年余りの幾風雪に晒されて完全に痕跡を失うまでになった、というのは、机上の論理ではありますが隧道説と同様に考え得ることと思います。郷土史家の方などの証言を詳しく得られるといいのですが…
新潟地方の地震記録と照らし合わせてみるのも面白いかもしれませんね。
完全に崩落した形跡がある地形ですので、その際に道路も消失したものと思います。地質学を学んだ数年間の知識ではありますが
はじめまして。いつも楽しく読ませてもらっています。素人の直感ですが、私も崩落説を採ります。開通一年目にして「復旧を諦める」ほどの被災ですから、相当に大規模な地形の改変が想像される訳で、当該地点が最も疑わしいと思われます。実際に復旧は無理っぽいし。逆に、当地点で大規模な地形の改変が無かったとすれば、本当に隧道だったのか、あるいは「清水国道は実は一度も開通などしていなかった」のだと(当地の写真を見る限り)言わざるを得ませんね。