とどのつまり、近代とは何か、という問題ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
『心』の「先生」は何故自殺したのでしょうか。
漱石は『現代日本の開化』で「皮相上滑りの開化であると云う事に帰着」と言っています。
100年弱で、のび太くんが泥はねくらって「ドラえもーーーん」と涙鼻水ベッチョベチョになりながら家に駆け込むこともほとんどなくなり、全国津々浦々にアスファルトテッカテカの立派な道路が行きわたりました。
逆を言えば、だからこそ廃道や酷道が成立するのでしょうが…。
でも、そのピッカピカの道を、あまりにも「上滑り」しすぎじゃあないでしょうか。
そーれがどうしーたー♪ とおっしゃるかもしれませんが、せっかく「山行が」にいらっしゃってるわけですから、そんなテッカテカの高規格道路を「上滑り」するようにではなく、よっきさんが激藪を行くように、もう少しゆっくり待たれてはいかがでしょうか。
そうすることが、「末人たち」からひとつ抜け出すきっかけになるかもしれませんし、「裏付けのある個性」(この言葉は自作です)にもつながるのではないかと思います。
出前迅速落書無用〜♪