始めまして。毎回、楽しく見させてもらって居ます。さて、メールをさせてもらいますが、昔、見た(聞いた)話ですが、大正15年8月に日本製鋼所で製作、大阪砲兵工廠で完成した試製41センチ榴弾砲の話をさせて下さい。
この大砲は当初、東京湾沿岸防備用に開発された大砲だったそうです。
当時の日本製鋼所では、この砲の開発、製作は最重要機密で有った為、緘口令が敷かれたと言う話らしいです。
また、この砲は砲身だけでも全長が15メートル弱、重量が80t弱と陸軍ではシャレにならない位な大砲だったので東京まで運ぶのにも大変だったと思います。
この砲の試射を主目的にした試射場を千葉県房総半島の富津岬一帯に新たに新設したそうです。
ただ、この砲が前置の通りシャレにならない位な大砲だった為にわざわざ引いた鉄路が通れなくてしかたなく、海から陸揚げしたそうです。
その後、この砲は紆余曲折有り、昭和18年12月に満州東部国境の虎頭要塞へ移管、配備され、昭和20年8月9日のソ連侵攻で大活躍をして最後は圧壊寸前の砲身加熱で射撃不能になるまで撃ちまくった大砲です。
話が逸れてしまいましたが、その線路(鉄路)にはトンネル(何本有るか不明)が有ってそれがネックになってしまったようです。
この、大砲よりも強かった(笑)トンネルと、その後の線路がどうなっているか調査して頂きたくメールさせて頂きました。宜しくご査収お願い致します。(熱望)