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  [No.4657] 牛岳車道「石灰山」 投稿者:Geo2000   《URL》   投稿日:2010/03/23(Tue) 21:12:01
牛岳車道「石灰山」 (画像サイズ: 510×426 103kB)

地質図幅「八尾」(1960)によると,
石灰岩の鉱山は,高沼北東871mピーク南側の尾根付近に
描かれています(古い空中写真を見てもこの付近のみ植林あり)。
ここに分布する石灰岩は,飛騨変成岩類中に挟まれる規模の
小さいものなので,図幅中はわずかしか書かれていません。

ただし,南側の「白木峰」(1981)図幅では,かなり広範囲に
描かれています。これは,地質層序における区分の違いと考え
られます。

なお,「八尾」図幅にはグラファイト(石墨)鉱山が高沼南の高清水
東側斜面に描かれています。


  [No.4661] Re: 牛岳車道「石灰山」 投稿者:ひで   投稿日:2010/03/24(Wed) 17:33:42

机上調査ですでに参照済みだと思いますが、調べてみると面白いですね。

以下抜粋:

「国鉄加越線青島駅下車、こゝから大勘場行きバス(1日3往復)により、約1時間余りで現地に達することができる」

「本地区の石灰岩は古くからその存在が確認され、明治5年頃から石灰焼成を行い、同28年頃には最盛をきわめた。最盛期には80基の焼成窯をもち、約1,000人の従業員が働いていた模様である。運搬には水力を用いた索道によっていた。昭和10年日本カーバイド工業が開発計画を樹立したが、企業化には至らなかった。現在礪波農工農業協同組合連合会が一部で稼行している。」

「深道道」

「(昭和29年)現在1日10-15トンを産出」


  [No.4662] Re: 牛岳車道「石灰山」 投稿者:ひで   投稿日:2010/03/24(Wed) 19:01:07

>石の櫓のような半ば崩れた建造物の基部に、かつてはぽっかり口を空けていただろう木組みの四角い坑道

「脇谷近くに旧時稼行焼成した窯跡がある。輸送上最も便利な位置にあるが、県道に面するため」

ネットで石灰窯の画像を探すと石の櫓みたいなのが出てきますね。


「脇谷の871m高地の東側では、礪波農工農業協同組合が現在小規模に採掘稼行している」


  [No.4663] Re: 牛岳車道「石灰山」 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/03/24(Wed) 19:06:01

> >石の櫓のような半ば崩れた建造物の基部に、かつてはぽっかり口を空けていただろう木組みの四角い坑道
>
> 「脇谷近くに旧時稼行焼成した窯跡がある。輸送上最も便利な位置にあるが、県道に面するため」
>
> ネットで石灰窯の画像を探すと石の櫓みたいなのが出てきますね。


ああ!!! これは凄いことですよ!!
そうだ! もしかしたらあれは、竈の跡なのかも知れない!
あんな巨大な竈を全く想定していなかったが、『利賀村誌』にも青島付近に多数の竈を設けていたことを書いている。それが牛岳車道の途中にもあったとしても、なんら不思議はない気がする。

ひでさん、恥ずかしながら貴殿の引用されている資料を当方未見と思います。恐れ入りますが資料名を教えていただけませんでしょうか?


  [No.4664] 富山縣利賀村地方石灰岩調査報告 投稿者:ひで   投稿日:2010/03/24(Wed) 20:49:48

ヨッキさん、こんばんは
お役に立てて(?)何よりです。

参照先は、以下の資料となります。

http://www.gsj.jp/Pub/Bull/vol_07/07-01_03.pdf

地質調査所月報第7巻第1号
概報「富山縣利賀村地方石灰岩調査報告」 大塚寅雄(昭和29年10月調査)

こんな古い資料もネットで探せるとは、本当に便利な世の中になりました。


  [No.4665] Re: 富山縣利賀村地方石灰岩調査報告 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/03/24(Wed) 20:59:35

> ヨッキさん、こんばんは
> お役に立てて(?)何よりです。
>
> 参照先は、以下の資料となります。
>
> http://www.gsj.jp/Pub/Bull/vol_07/07-01_03.pdf
>
> 地質調査所月報第7巻第1号
> 概報「富山縣利賀村地方石灰岩調査報告」 大塚寅雄(昭和29年10月調査)
>
> こんな古い資料もネットで探せるとは、本当に便利な世の中になりました。

ありがとうございます。
参照先サイトのドメインはhttp://www.gsj.jp/ 
こんな道路と直接関係の無さそうなところにも重要な示唆を含む資料があるとは…。

まったく、どこまで道路の裾野は広いんだ…。
もっとも、道路はあらゆる地物を結ぶ存在だけに、こういう広遠さは必然なのでしょうが…。改めて、ひでさんを初めとする皆様のお力添えが無ければ、このサイトをより良くしていくことは出来ないと実感しました。

それにしても、あの「石櫓と坑道」は再訪しなければならないですね。
もし本当に石灰焼成場であったなら、文化財級ではないでしょうか。
…全然その方面は疎いので、珍しくないのかも知れないですが…。

南砺市教育委員会にも問い合わせてみたいです。


  [No.4667] Re: 富山縣利賀村地方石灰岩調査報告 投稿者:Geo2000   《URL》   投稿日:2010/03/24(Wed) 21:24:31

> > http://www.gsj.jp/Pub/Bull/vol_07/07-01_03.pdf
> >
> > 地質調査所月報第7巻第1号

最初に示した地質図幅も地調の地質図の一部ですが,
この地質図を作成するためには10年以上の各地区の
踏査,調査,分析がされています。この,内容の一部が
参照先の文献ですが,地質図幅の説明書には,これらの
成果がまとめてあります(ネットには公表されていませんが,
図幅説明書としては販売されています)。

1950年から発行された地調月報は,通産省地質調査所が
独立行政法人地質調査総合センターに代わってからも,
2001年からは地質調査研究報告として公表されています。

1950,60前後の地質調査は,鉱山資源が中心でしたので
このような記載が多々存在します。

鉱山などの詳細なデータは,産総研地質調査総合センター
のほうが閲覧は容易だと思います。


  [No.4668] Re: 牛岳車道「石灰山」 投稿者:ふくたけ   投稿日:2010/03/24(Wed) 21:45:30

昔は、漆喰くらいにしか使い道は無かっただろうから、小さな窯で済んだのかな?

現在の使い道は、殆んどがセメントだから、巨大なプラントが必要だけど。


  [No.4671] Re: 牛岳車道「石灰山」 投稿者:通りすがり   投稿日:2010/03/25(Thu) 01:21:34

> 昔は、漆喰くらいにしか使い道は無かっただろうから、小さな窯で済んだのかな?

的外れかもしれませんが富山県の名誉(?)のために一応。
漆喰くらいとはいいますが、富山県内は漆喰で固めた土蔵(米蔵)が昔は大変多くて、
家屋も巨大な切妻を正面に見せた漆喰をたくさん使う家屋がたくさん
建築されたのも明治以降昭和50年頃が最盛期だと聞いています。
旧小杉町には竹内源蔵記念館とかもありますし。

さらに的はずれかもしれませんが
浅野総一郎とか安田善次郎とか大谷米太郎とか
日産化学とか何らか関係ありそうな気がしないこともないような・・・。


  [No.4676] Re: 牛岳車道「石灰山」 投稿者:キキ   投稿日:2010/03/25(Thu) 19:16:05

お邪魔します

ヨッキさん在住の関東西部にも石灰焼場跡の史跡があります。
http://www.jalan.net/kankou/spt_11209aj2200023358.html

飯能の近くです。昔、通りかかって見たことが有り思い出しました。
既知でしたらゴメンなさい。