奈良南部は十津川村出身の祖父は、大正の多分後半に丁稚奉公のために村を出る時は、尾根が道だったと言っておりました。今はさすがに谷側に道ができていますが、日本人の平均寿命を余裕で越えた祖父を家の跡地の山の急斜面の中腹に連れていった時に見た時でさえ、それが納得できるような山の中でした。一応、明治の頃は皇室からも特別扱いされてきた村だったんですけどね、十津川村は。