> わが市出身の明治の反骨ジャーナリストが、「官権県令の三島
> 県令が、芸者遊びをして50銭払えばいいところを10円も払った」
> というスキャンダル記事を書いたというものでした。
> 英雄色を好むですかねえ。
明治32年に奥羽線が開業の際、三島は現在の庭坂に高湯温泉から引き湯をした温泉街を造り、奥羽線にその為の「庭坂駅」を誘致しました。
これは政界入りを画策する三島が、後楯の大久保を失った後に、当時の著名政治家を自分の造った温泉街に来させ、懐柔しようと企んだものです。
当初は、飯坂温泉がその役目を負う筈でした。
万世大路が出来て飯坂温泉は活気付きます。温泉や遊女の好きな三島の事、これを使って政界にパイプを造ろうと考えるに至ります。
だが時は明治の頃、道路で来る飯坂温泉は今で言う秘湯ですから、国の有力者達が通うには時間的にも遠すぎたのです。
その後、三島は奥羽線と言う鉄道が造られる事を知ります。
時間を大幅に短縮する交通機関の登場は、三島に再び画策を再開させます。
日本の廃道でも少し触れましたが、飯坂の堀切氏が明治21年の飯坂大火後に、いわゆる遊郭街「若葉町」を作ります。これは三島が堀切氏を利用して造らせたという話もあります。
ここで育てられた遊女で、後に庭坂の温泉で日本の政治家らをもてなすというシナリオでした。
そう言った意味で、三島通庸と花遊びは切っても切れない関係だったのかもしれません。