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私の知り合いに昭和37年開業の東北急行バス1期生運転士がおります。すでに定年となり現役ではありませんが、栗子ハイウェーが開通するまで東京⇔山形を結ぶバスの運転士として毎日、万世大路を乗務してました。万世大路経由の時は冬季運休だったそうです。もしかしたら道路自体「冬季通行止め」だったかも。その万世大路の現役時についての質問があればお伺いしてみようと思います。12月31日までお願いします。 |
はじめまして下の一文について当時のことがちょと気になりました。 |
了解しました。他にもあれば集約してお伺いしますので返答は年明けまでお待ち願います。 |
もし、夜間の乗務があったなら夜の万世大路の様子をお聞きしたいですね。 |
承知しました。〔日テレ見過ぎかな〕 こちらも返答一寸お待ち願います。 |
客観的なデータ的な事もいいですが、せっかくなので、運転していて注意していた事や苦労、困った事、感じていた事、思い出のエピソード、個人的な想いなど、当事者としての主観や個性あふれるお話が聞きたいです。 |
承知しました。 私も昭和59年より貸切〔観光〕バス運転士をしておりましたので興味のある質問です。安房峠や旧釜トンは通行しておりましたが、万世大路は神話の世界です。現、R13米沢市万世町刈安の上り線パーキング〔元、万世小学校跡地〕に万世大路についての石碑があったと思います。 |
本日、元東北急行バス運転士のW氏にお会いして話を伺ってきました。昭和37年から39年まで山形線と会津若松線を担当し、その後平成10年定年まで貸切担当してたそうです。仙台線は仙台営業所の担当でした。バス車両は東京から直通したが運転士と車掌は東武宇都宮駅前と郡山駅前に営業所〔車両なし〕があり乗務員交代したそうです。東京営業所のW氏は東京⇔宇都宮間の担当乗務でしたが貸切で万世大路を通行したそうです。現在の高速バスは車長12mだが当時は9mだったそうです。それでも地元のバス乗務員からは「あそこをバスで!」と驚きだったそうです。交通量もほとんど無く、たまにトラックが来る程度で夜は照明などなく真っ暗でした。ただ万世大路は悪路でバス車体の下が地面と接触して大変だったとの事です。冬季は通行止めになった為、バスも運休したそうです。この時期山形県に入るルートは仙台廻りだったそうです。 |
すみません。私も聞きたいことがあります。 |
私も元秋田県南人ですよ。早速電話で尋ねました。開業当初は全車いすゞ20両で全てリアエンジン、型式までは不明。車体は川崎重工10両、富士重工10両だったそうです。万世大路でボンネットバスを見た事があるそうです。東北急行バスの資本は東武約50%と沿線のバス事業者との共同出資会社でした。現在は100%東武となっております。日本全国で○○急行バスという名称の場合、そのほとんどが共同出資会社のようです。基本的に東武グループ会社のバスはいすゞと日野です。〔追伸 前の文章に冬季は仙台廻りとありますが関山峠経由と付け加えます〕 |
早速のお答え、ありがとうございました。 |
私が最初に観光バスの運転士となったのは都内の内山観光バスというところです。ここは羽後交通観光の仕事を請けていたので中学生の修学旅行を乗務してました。刈和野、中仙、山内中学校など思い出します。都心部を観光すると乗客の生徒から「見れ見れ!信号機の色が何個も先までいっぺんに変わる」と驚いていた事が印象に残っています。このバス会社にはいすゞのV10エンジンの1号車〔試作車?〕車体は富士重工で社番69号車がありました。全国のディラー廻りをしたらしく、いすゞのバスカタログに載った車だそうです。 |
>この時期山形県に入るルートは仙台廻りだったそうです。 |
遅くなりましたが、お答えいただきありがとうございました。 |