おぶコメ10,271を書いた者です。
(恐らく私のコメントで)本文中に追記して頂き、それで調子に乗ってさらなる詳細を掲示板に書こうと
思ったのですが、検索したら既に解りやすい写真入りで紹介されているページがあったのでそちらを
《URL》 にて紹介しておきます。
かいつまんで書くと瀬戸橋架橋前は、
・鎌倉 - 六浦津(六浦港) 間は六浦道
・鎌倉 - 称名寺 間は白山道
と別れていたのが、1305年に瀬戸橋が架かると
・称名寺へも六浦道で行ける!
という事になって白山道は幹線道路ではなくなっていったのだと思います。
もちろん称名寺への幹線道ではなくなっても、よっきさんも書かれているように北へと進む道としてや、
鼻欠地蔵の看板にあるように能見堂へ行く道としてその後も使われていたのだと思います。
(ちなみに能見堂が出来たのは1600年代半ばなので瀬戸橋架橋から300年以上後ですが)