私、神岡軌道ネタしか持ち合わせておりませんのでご容赦下さい。
先日、地元図書館にて「三井金属修史論叢」という書籍を発見しました。その中に東漆山地内にある大掘割(玉石回廊)について記述がありましたので経緯等簡単に紹介します。
「昭和36年6月29日、前日から降り続いた雨で高原川は氾濫していた。そんな中、東漆山地点を走行中の貨物列車運転手が前方約100mにわたり道床が決壊し濁流上にレールと枕木がぶら下がっている惨状を発見した。運転手と最後尾緩急車乗車の助手は路線山側に飛び降り難をのがれたが、全長40mの貨物列車はEMK鉛を積んだまま濁流に吸い込まれていった。
この事故の復旧には2ヶ月を要し、線路は山側に数十m移され山を掘割にして両側は石積みの突貫工事で完成した。」
同書には明治43年の馬車軌道開通から昭和42年3月27日の最終貨物列車について詳細に書かれていますのでご興味のある方は一読されてはいかがでしょうか。
※三井金属修史論叢 第4号内「奥飛騨の交通発達史(中)」
長文になり申し訳ありませんでした。