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鉄道荷物の廃止に伴い、駅から「テルハ」が撤去されてます。かっては特急停車駅などにあったものです。(実は、テルハという言葉は5分前に検索により知ったばかりです。それまでは「横移動エレベーター」と思っていました。)奥羽本線の湯沢駅には、1番線ホームに組み込まれた荷物用台車が本線を直角にクロス横断し、2番線に荷物を運ぶ物もありました。 |
郡山駅にはまだあるようですよ。使っているかどうか分かりませんが…。 |
長野駅にもあったのを思い出しましたよ。 |
保存されているテルファーもありますよ。静岡県静岡市清水のエスパルスドリームプラザに清水港線で活躍したテルファーが保存されていて間近で見ることができます。 |
エスパルスドリームプラザのテルファーはホイスト(巻上ウインチ)のついた |
テルハとテルファーは同じだと思っていました。 |
駅から消えたテルハの他に、立ち食いそばや赤帽、駅弁やお茶の立ち売りなどがあります。その中でもお茶の立ち売りは昭和40年代までありました。右手に大きなやかんを持ち、左手には茶器の入ったおかもちを持ってホームを「お茶〜お〜ちゃ〜」て声をだして売ってたものです。ビニール製のお茶入れにお湯をいれて20円だったかな。ティーパックみたいな茶葉が入っていて、別の駅のホームでお湯だけ入れてもらうと10円でした。その後駅弁屋さんがワゴンで駅弁とお茶を販売するようになり、お茶の立ち売りはいなくなりました。(お茶の空き容器にお湯を入れるのは全国的に行われていたようです。)廃のなかには、今に残る有形の物から、このような無形の物もあります。 |
懐かしいですね>お茶 |
私の世代ではすでに、プラスチックのお茶でしたよ。 |
ご返信頂いてる皆様方は、私と同年代位なのかな。S33の犬年です。真夏の扇風機のぶん回っている車内の冷凍みかん、5個入れと皮入れ付き。シャーベット状がおいしかったですね。多分、冷房車の普及で売れなくなったのではないでしょうか。お茶入れの陶器は知りませんでした。NTで検索すると、陶器容器の上に細い針金が付いていて、一捻りして蓋を押さえていたようです。その名残かプラスチック製になっても細い針金が付いていました。東京の人は圧倒的に横川駅おぎのやの釜が多いようですが、おらっちの田舎秋田県では、黒磯駅の釜(フタバ食品九尾の釜飯。森昌子のお父様勤務)か山形駅や盛岡駅のこけしや鍋の陶器があました。上野駅のバタバタはターレットというんですか。生粋の田舎者だったので見たこともなく、急行津軽やおがをホームで待つ時、恐怖感を感じてました。たしか上野駅の地上ホームには荷物専用ホームが1本あったと思います。 |
私の長野の実家にはキジの剥製も横川の釜飯の器もありました。田舎でかつ東京の反対側に位置するということでしょう。特急あさまが現役のとき、碓氷峠を何度も通りましたです。機関車連結、空気バネオフ、トンネルだらけ、おぎのやの売り子がペコペコみたいな記憶。.. |
>>ふと思い出したのですが、昔貨物列車の最後尾に連結されていた、黒い小さい車両(ネットで車掌車という名前を発見)、あれは今は無いんですね。というか貨物列車自体もうあまり走ってないんですか。 |
汽車土瓶、中央本線の小淵沢だけ現役で、駅売店で売ってます。 |
>廃のなかには、今に残る有形の物から、このような無形の物もあります。 |
> >廃のなかには、今に残る有形の物から、このような無形の物もあります。 |