正月に実家に帰省した際に、水上町出身の父に清水国道のことを聞いてみました。昭和35年ぐらいまで水上町に住んでいた父曰く、・昔、谷川岳の一ノ倉沢の先から新潟へ国道を通す計画があって お爺さんだかお父さんがその工事にかり出されたこと・一応無事に国道は完成し、天皇陛下?が乗った馬車が通ったこと・「あんな道路ダメだぁ」という地元民の感想もあり その後すぐに道路は使われなくなってしまったのだということという話を聞きました。インターネットの類は一切やらない父なので、祖父や曽祖父、村の人たちから聞いた話だと思われます。どうやら清水国道に対する地元民の評価はあまりよろしくなかったようですw
30年程前まで水上駅前にあった「豊田食堂」のお話などお伺いしたいです。一応「廃食堂」という事で。鍋焼きうどんがおいしくて、がんこ親父の店主は、日本酒を「下山祝い」と称し一人1本しか売らない店でした。ご主人が癌で亡くなられてからご家族は千葉の方へお住まいらしいですが、昭和を代表するような「鍋焼きうどん」もう一度食したいです。