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  [No.8505] 板谷峠のスイッチバック 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/09/14(Sun) 17:52:35

奥羽本線の福島ー米沢間には、かつてスイッチバックが行われていた駅があります。本来は駅で客扱い停車する列車のみと思っていました。ところが昭和40年代後半位までの記憶では「津軽」や夜行の「おが」などの急行列車もスイッチバックしてました。福島ー米沢間での停車駅もなく、荷扱いも無かったと思います。深夜なので、車内放送案内も無く、突然後退するのには驚きました。通過列車なので、スイッチバックの必要は無かったとおもいますが気になります。上り列車は板谷駅で、下り列車は峠駅だったと思います。除雪目的としても、積雪時以外にも行われていました。何方様か理由ご存知の方、いらっしゃいますでしょうか。


  [No.8507] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:ふくたけ   投稿日:2014/09/15(Mon) 00:41:30

色々調べましたが、これだ!というのがなかったので、多分に推測が含まれます。

まず、列車が電車化される昭和50年代までは、電気機関車による客車牽引であったこと。

特急「つばさ」の181系でさえ、登坂時は50Kmしかでなく、フルノッチで連続運転できないので、さらなる速度低下、所要時間延長が発生。
(82系では、20Kmだったらしい。)
(電車化した後も、補機がつく時があったらしい)

坂を下る上り線は、電気ブレーキが実用化された後も、過負荷で故障頻発、摩擦ブレーキは、加熱による機能低下軽減のため、途中5分の冷却停止が必要だったらしい。

(当時の技術レベルの)安全性、安定性などの総合的観点から、重連+スイッチバックワンストップがチョイスされたのでは、ないでしょうか?


  [No.8509] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/09/15(Mon) 07:42:40

> 色々調べましたが、これだ!というのがなかったので、多分に推測が含まれます。

なるほど。ブレーキの冷却の為ですね。黒部峡谷鉄道欅平駅では、雪も無いのに線路に融雪用みたいに水を出してるのを見た事があります。係員に聞いたとろ「車輪、ブレーキの冷却の為です。」と言われました。今では板谷峠のスイッチバックも廃線となり、思い出となってしまいました。早いご回答ありがとうございました。


  [No.8519] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:おーた   投稿日:2014/09/16(Tue) 14:19:58

黒部峡谷鉄道の場合は、急カーブ対策ですね。
水をまいて冷却と潤滑をしています。

この手の対策は箱根登山鉄道が有名です。
車両のバンパーみたいにみえる物が水タンクになっていて
自分で散水しながら走ります。

板谷峠の電機機関車もEF16だったかな、水タンクを屋根の上にのせてました。
これでタイヤの冷却をしていました。
ちなみに、なんで冷却するかといえば、昔のスポーク車輪は
スポークの輪心(ホイール)に鉄のタイヤをはめていたからで
熱を持つとタイヤが膨張して緩んで外れる問題があったわけです。


  [No.8508] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:上諏訪夜行   投稿日:2014/09/15(Mon) 01:12:37

昭和46年までは単線区間が残っている上に夜行列車も多かったので、
上下列車の交換のためにスイッチバックをして待避していたと思われ
ます。運転上の扱いとしては運転停車となります。
昭和45年6月に赤岩-板谷間、昭和46年9月に板谷-峠-大沢間の
複線化が完了しております。


  [No.8512] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:tk   投稿日:2014/09/15(Mon) 13:08:44

あと、かつての夜行急行列車は荷物運搬も兼ねていましたので、深夜でも
荷物の積み下ろしで小駅にも停車して取り扱う必要があったからですね。


  [No.8514] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/09/15(Mon) 14:40:44

> 昭和46年までは単線区間が残っている上に夜行列車も多かったので、
> 上下列車の交換のためにスイッチバックをして待避していたと思われ
> ます。

その頃まで単線だったんですね。なんとなくかすかな記憶で対向列車の通過があったような気がします。上り列車は板谷駅退避で下り列車は峠駅退避だった可能性があります。ありがとうございました。


  [No.8516] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:caperock   投稿日:2014/09/15(Mon) 18:29:50

さっき、新幹線でささっと通過してきました。


  [No.8517] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:ふくたけ   投稿日:2014/09/15(Mon) 19:48:21

> かつての夜行急行列車は荷物運搬も兼ねていましたので、深夜でも
>荷物の積み下ろしで小駅にも停車して取り扱う必要があったからですね。

> 昭和46年までは単線区間が残っている上に夜行列車も多かったので、
> 上下列車の交換のためにスイッチバックをして待避していたと思われ
> ます。


こんなの見つけました。

http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/exp70/tsugaru72.htm#y724


津軽だけでこれでは、他の列車も絡めると、とんでもないことになりそうですね。


しかも、年末の品川発上野客扱いなしとは...

貨物線経由したのかな?


  [No.8520] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:おーた   投稿日:2014/09/17(Wed) 10:24:31

> しかも、年末の品川発上野客扱いなしとは...
> 貨物線経由したのかな?

たぶん東京-上野間にあった連絡線でしょう。
東北新幹線の工事前は、そのスペースに在来線の線路がありました。
現在でも上野から秋葉原の留置線まではありますが
それの延長で東京まであったのです。

一時は上野駅が飽和状態になり東京駅発着の列車もかなり
あったと思います。逆の上野発着の東海道方面もあった気が。

山手貨物線は、当時は旅客列車が入るほど余裕はなかった
はずです。


  [No.8521] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:ふくたけ   投稿日:2014/09/17(Wed) 21:09:05


> たぶん東京-上野間にあった連絡線でしょう。
> 東北新幹線の工事前は、そのスペースに在来線の線路がありました。

73.4に定期列車の運行を停止。回送や、団体列車も83年に停止したそうです。
70年代の航空写真をみると、しっかり残っているが、単線区間が・・・
84年の航空写真では、途中の桁が・・・

> 一時は上野駅が飽和状態になり東京駅発着の列車もかなり
> あったと思います。

奥羽本線の列車だけ、品川発にしたみたいですね。

最繁忙期だけとはいえ、上野地平ホームから引っ張り出し、品川回送。
都心のターミナル駅である東京、上野を通過するなんて・・・
しかも、1本/時間の割合で、ぞろぞろと・・・

国鉄時代は何でもアリだったんですね(笑)


  [No.8523] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/09/18(Thu) 15:19:55

皆様方にいろいろご教授いただきまして、ありがとうございます。タイトルと違いますが、上野駅関連でどうしても気になっている事があります。それは、昭和30年代に、上野発高崎線、信越線、北陸線経由大阪行特急「白鳥」がありました。これ自体驚きですが、「特急白鳥」で検索してみて下さい。他人様のサイトですけど、特急白鳥開業前の上野駅13番線、14番線という写真が載ってます。これがもっと驚きなのです。現在の13番線は地上ホームの薄暗い片ホームですが、写真ですと島式ホームで奥には12番線、11番線が見えるではないか。現在では、12番線までは高架ホームで、ありえない光景です。内情ご存知の方、いらっしゃいますでしょうか。


  [No.8526] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:のら猫   《URL》   投稿日:2014/09/19(Fri) 12:01:38

全然回答になっていなくて申し訳ないのですが…
記憶に残っていることだけ書いておきます。

・信越線長距離列車は13番線を使っていたような気がする。島式だったような気もする。
・急行「信州」の入線待ちをしている時、星空や高層ビルのネオンがホームから見えていた。(2階建ではなかった?)
・隣の島には確かに常磐線の電車が入っていた。
・山手線との乗換で階段を歩いた記憶は無い。
(ガード下みたいなコンクリート構造物の下をくぐって遊んだ記憶はあります…今もあるはずです)
昭和45年前後の記憶です。

時代が飛んで、昭和50年代?になってから、空の代わりに常磐線各駅停車の電車が見えてびっくりした記憶もあります。「平」行き常磐線特急は地上ホーム(番線不明)出発で、よく同時出発のL特急「あさま」と並走していました。

参考にならなくて済みません。
ただ、お話がとても懐かしかったのでコメントしてみました。


  [No.8529] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:ふくたけ   投稿日:2014/09/19(Fri) 15:57:23

また、自分なりに調べた結果をお知らせします。

配線図を確認すると、まず、
1951年には、
今の高架にあたる部分が1〜8番線、地平部分が、9〜15番線

1958年には
   高架が1〜10番線、地平が11〜17番線

1969年には
   高架が1〜10番線(11,12番線は工事中)地平が13〜20番線


高架ホームを増設する毎に、地平ホームの番号を繰り下げた。

信越白鶴が運転開始したのは、1961年10月。

当時の13番線ホームは、現在の16番線に相当するわけで、当時の12,11番線は、現在の15,14番線ということです。


  [No.8535] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:路傍の石   投稿日:2014/09/20(Sat) 16:01:42

鉄道の配線図は鉄のジャンルの一つですので、昔から詳細に図を持ってらっしゃる方が少なくありません。上野駅なら、鉄道雑誌でも再三取り上げられていますが、手っ取り早く、下記のページを参照にされてはいかがでしょうか。
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-7150.html
ちなみに信越線経由の白鳥は、アプト式時代のディーゼル特急で、アプト式機関車併結でめがね橋を行く姿などが有名です(逆に、高崎線や信越線を走る写真を私は見たことがありません)。


  [No.8540] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/09/21(Sun) 21:10:37

> 鉄道の配線図は鉄のジャンルの一つですので、昔から詳細に図を持ってらっしゃる方が少なくありません。

繊細な変貌が記載されており、拡大し、しみじみと拝見させて頂きました。ありがとうございます。昭和49年か50年に、急行天の川が到着の際、14番線か15番線の車止めに衝突した事故を思いだしました。しばらくの間はそこだけ色違いになっていて、すぐわかりました。


  [No.8536] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/09/20(Sat) 18:02:57

上野駅ホームには、年代と共に増改築による番線変更があったんですね。納得しました。ふくたけ様、詳しい情報、ありがとうございます。のら猫様、往時の情報、ありがとうございます。私も昭和41年頃だと思います。14番線発、急行津軽の入線を母親と待っている時、高架ホーム12番線に入線している「小金井」行きの電車を見て、「小金井てどっちの方だろう。」と言った記憶があります。現在は常磐快速線ですけど、その当時は東北線の中距離電車も発着してたようです。


  [No.8534] Re: 板谷峠のスイッチバック 投稿者:横から失礼します。   投稿日:2014/09/20(Sat) 15:11:35

帰省客の行列を振り分けるために定期列車を品川に伸ばしたパターンだと
東京、上野廻り。
定期列車だと荷物車が連結されているので上野での荷扱いのため。
増発の臨時列車だと上野に止まる必要性がないので山手貨物廻り。
但し、DC急行だと貨物線を運転できる人員がいないので上野廻りというパターンだったかと。