私は30年程観光バスの運転士をして、何度も通過した。皆様にはお馴染みの日光市馬返、そうです東武日光軌道線の終点、そして日光鋼索鉄道の起点だった場所「う ま が え し」です。決まってバスガイドはここで「以前は第二いろは坂は無く、第一いろは坂のみで交互通行してました。この先第一いろは坂の勾配がきつくなる為、馬をここで返した場所から馬返という地名が付けられました」とお客様に案内する。私もこの言葉に洗脳されていた。ところが本日、日光レークサイドホテルに行ったところフロントから浴場に行く通路に明治中期のいろは坂写真パネルが数枚張られており、その中の1枚「中之茶屋附近」です。人力車や馬が行き交っているではないか。私が思うには第一いろは坂はカーブはきついものの、勾配自体はそれほどでもない。馬を返したのは、第一いろは坂建設前の登山道だった時代ではなかろうかと。日光レークサイドホテルの日帰り入浴はフロントでお金を払うのではなく、浴場入口で支払うシステムですので普通に入館して見られます。入口入って左手へ。ランチ食べたい方は右手レストランへ。メニューではなく値段見て止めようとなるかも。「う〜ん」と悩んではいけません。うん国際観光地ですから。