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  [No.8694] 日光のお土産話です 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/11/27(Thu) 19:15:55

私は30年程観光バスの運転士をして、何度も通過した。皆様にはお馴染みの日光市馬返、そうです東武日光軌道線の終点、そして日光鋼索鉄道の起点だった場所「う ま が え し」です。決まってバスガイドはここで「以前は第二いろは坂は無く、第一いろは坂のみで交互通行してました。この先第一いろは坂の勾配がきつくなる為、馬をここで返した場所から馬返という地名が付けられました」とお客様に案内する。私もこの言葉に洗脳されていた。ところが本日、日光レークサイドホテルに行ったところフロントから浴場に行く通路に明治中期のいろは坂写真パネルが数枚張られており、その中の1枚「中之茶屋附近」です。人力車や馬が行き交っているではないか。私が思うには第一いろは坂はカーブはきついものの、勾配自体はそれほどでもない。馬を返したのは、第一いろは坂建設前の登山道だった時代ではなかろうかと。日光レークサイドホテルの日帰り入浴はフロントでお金を払うのではなく、浴場入口で支払うシステムですので普通に入館して見られます。入口入って左手へ。ランチ食べたい方は右手レストランへ。メニューではなく値段見て止めようとなるかも。「う〜ん」と悩んではいけません。うん国際観光地ですから。


  [No.8695] Re: 日光のお土産話です 投稿者:のら猫   《URL》   投稿日:2014/11/27(Thu) 23:53:09

いつもプロドライバーならではの興味深いお話ありがとうございます。

いろは坂交互通行、懐かしいですね。第二いろは坂開通後最初の日曜日は凄まじい大渋滞になって、翌日の某新聞、航空写真入りトップ記事の見出しが「いろはにへとへと」なんて書いてありました。

>うん国際
このギャグをかますのは、本猫と同世代からちょっと上くらい…(^^;
当地にも「国際会館」(現・国際21)というホテルが有って、小学生の頃同じ事を言ってました(笑)

オブじゃないレス、失礼しました。


  [No.8696] Re: 日光のお土産話です 投稿者:おーた   投稿日:2014/11/28(Fri) 11:01:26

「馬返」の地名は、男体山は女人禁制とともに牛馬禁制だったそうで
ここから先は牛馬は入れないことから「馬返」となったと・・・。

栃木県 神々に通じる道「いろは坂」
http://www.pref.tochigi.lg.jp/h53/system/desaki/desaki/1182157078006.html

私の義父も観光バスの運転士をしていましたが
この「いろは坂」と「釜トンネル」そして「寸又峡」のことはよく話を聞きますね。
よほど大変だったところのようです。


  [No.8698] Re: 日光のお土産話です 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/11/28(Fri) 21:30:49

> 「馬返」の地名は、男体山は女人禁制とともに牛馬禁制だったそうで
> ここから先は牛馬は入れないことから「馬返」となったと・・・。
>
そうですね。女人堂などもありますから。まっガイドさんは七五調にお話していればお客様も気持ちよく寝ますから。不思議と話すの止めると起きるんです。男体山の標高も2484m大体の会社のガイドさんの「あんちょこ」は「にしがはちよ」ですけど本家本元、東武バスは「日光市の西の端」なんです。第一いろは坂を下りる時、亀の頭に似ている亀岩の上に高さ1m程の天狗がいました。(一寸ビックリ)最近置かれたかと思います。又、(ん)のカーブの先、ストーンセットの先の橋を渡る時、右側に旧橋の橋台が見えました。2箇所です。


  [No.8700] Re: 日光のお土産話です 投稿者:アンパンマン   投稿日:2014/11/29(Sat) 17:22:05

今日の配車表見たら中禅寺湖の迎えがあったので添乗というより便乗してもう一度見てきました。馬返附近です。石作りの建物基礎(階段3〜4段)がありました。軌道線については何も残ってないです。鋼索線については、大谷川に架かっていた200メートル橋梁の橋台が残ってました。対岸側は何も無く、保線用の階段のみでした。第一いろは坂の天狗は42番カーブでした。41番カーブを過ぎると左側に展望台があり、乗用車でしたら2〜3台止められそうです。道路は駐停車禁止です。詳しくは「いろは坂天狗」で検索してみて下さい。