私は中国人です。山行がの大ファンです。
古典中国語についてよく知っている。最近、漢文訓読の方を勉強している(日本語で漢文を読むのはずいぶん面白いだなぁ)。
だから、牛淵隧道の碑文(ミニレポ「菊川市の牛渕隧道」より)を書き下して、解読してみた。
しかし、僕、日本語の文法は苦手だ。もしどこかでミスを犯したら、お許しください。
古文の文法をよく知っている誰かが、僕の書き下し文をチェックしてください。お願いします。
原文:
隧道之碑
牛淵隧道係于明治二十五年之開鑿爾來從經
年所修繕費漸加行人危險亦伴之於是乎有■
者胥謀建新道開鑿之計而成者即此隧道也明
治四十三年十二月起工明治四十四年十二月
竣工所要費額壹千八百拾七圓也于茲記其來
歴併録關係者之氏名以爲記念
(後ろの名前 略)
書き下し文:
(漢字は新字体で、仮名は歴史的仮名遣)
隧道の碑
牛淵隧道は明治二十五年に開鑿せらるる係(がか)り。
*「係」は「なり・である」の意味であるべき。漢文の文法から、ここの「之」は余計だ。
爾来(じらい)経年より、修繕する所の費(ひ)漸(ようや)く加はり、行人の危険亦た之れに伴う。
是(ここ)に於(おき)てか、■者有り【有る■者】、胥(あひ)新道を建つるを謀る。
*草に遮られたために、「■」は見ることができなく、「有」も推測された。
開鑿の計りて成るは、即(すなは)ち此の隧道なり。
明治四十三年十二月起工し、明治四十四年十二月竣工す。
要する所の費額は壱千八百拾七円なり。
茲(ここ)に其の来歴を記し、並びに関係者の氏名を録し、以て記念と為る。
現代語訳:(意訳)
牛淵隧道は明治25(1892)年に開削されたことであった。
それから年月を経て、修繕のために使用されたお金が加わり、行人の危険も道路沿いにある。
そこで、■者があり、互いに新しい道を建てることを謀った。
開削の計画を達成して得られたのは、すなわちこの隧道である。
明治43(1910)年12月起工し、翌年12月竣工した。
使った金額は1807円でした。
ここに、その由来と関係者の氏名を書き記して、紀念とする。
「淵」について:「淵」は正字、「渕」と「渊」は俗字。ただ字体の差異であり、実は同じ文字です。いま、中国大陸には「渊」と書く(簡体字)。
ちなみに、1807円は今のいくらですか?
この碑文はただ工事の過程を簡潔に記録して、あの「佛山修路記」より多少素晴らしくないと思う。もちろん、文章の長さと訓読の難しさも大変下がった(笑)。