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  [No.8968] 牛淵隧道の碑文を解読してみた 投稿者:unt   投稿日:2015/04/25(Sat) 12:04:44

私は中国人です。山行がの大ファンです。
古典中国語についてよく知っている。最近、漢文訓読の方を勉強している(日本語で漢文を読むのはずいぶん面白いだなぁ)。
だから、牛淵隧道の碑文(ミニレポ「菊川市の牛渕隧道」より)を書き下して、解読してみた。
しかし、僕、日本語の文法は苦手だ。もしどこかでミスを犯したら、お許しください。
古文の文法をよく知っている誰かが、僕の書き下し文をチェックしてください。お願いします。

原文:
隧道之碑
牛淵隧道係于明治二十五年之開鑿爾來從經
年所修繕費漸加行人危險亦伴之於是乎有■
者胥謀建新道開鑿之計而成者即此隧道也明
治四十三年十二月起工明治四十四年十二月
竣工所要費額壹千八百拾七圓也于茲記其來
歴併録關係者之氏名以爲記念
(後ろの名前 略)

書き下し文:
(漢字は新字体で、仮名は歴史的仮名遣)
隧道の碑
牛淵隧道は明治二十五年に開鑿せらるる係(がか)り。
  *「係」は「なり・である」の意味であるべき。漢文の文法から、ここの「之」は余計だ。
爾来(じらい)経年より、修繕する所の費(ひ)漸(ようや)く加はり、行人の危険亦た之れに伴う。
是(ここ)に於(おき)てか、■者有り【有る■者】、胥(あひ)新道を建つるを謀る。
  *草に遮られたために、「■」は見ることができなく、「有」も推測された。
開鑿の計りて成るは、即(すなは)ち此の隧道なり。
明治四十三年十二月起工し、明治四十四年十二月竣工す。
要する所の費額は壱千八百拾七円なり。
茲(ここ)に其の来歴を記し、並びに関係者の氏名を録し、以て記念と為る。

現代語訳:(意訳)
牛淵隧道は明治25(1892)年に開削されたことであった。
それから年月を経て、修繕のために使用されたお金が加わり、行人の危険も道路沿いにある。
そこで、■者があり、互いに新しい道を建てることを謀った。
開削の計画を達成して得られたのは、すなわちこの隧道である。
明治43(1910)年12月起工し、翌年12月竣工した。
使った金額は1807円でした。
ここに、その由来と関係者の氏名を書き記して、紀念とする。

「淵」について:「淵」は正字、「渕」と「渊」は俗字。ただ字体の差異であり、実は同じ文字です。いま、中国大陸には「渊」と書く(簡体字)。

ちなみに、1807円は今のいくらですか?

この碑文はただ工事の過程を簡潔に記録して、あの「佛山修路記」より多少素晴らしくないと思う。もちろん、文章の長さと訓読の難しさも大変下がった(笑)。


  [No.8975] 明治後期と現代の金銭比較 投稿者:ふくたけ   投稿日:2015/04/27(Mon) 23:07:24

当時と現代の物品の価値観が違うし、年代によって微妙に変化しているので、はっきりとしたことは言えませんが、白米や食べ物の値段からすると、1円=4〜5千円程度。

公務員や、職人の給料から計ると、1円=一万円程度。

よって、収入に比べ、物価が高かったので、庶民的感覚からすれば、明治後期の1円は、現代の8千〜1万円程度と推測されます。


  [No.8977] Re: 明治後期と現代の金銭比較 投稿者:unt   投稿日:2015/04/28(Tue) 17:43:07

なるほどね、当時の1円はかなり高いですね

ありがとう、ふくたけさん


  [No.8978] Re: 牛淵隧道の碑文を解読してみた 投稿者:まりりん   《URL》   投稿日:2015/04/28(Tue) 23:51:25

untさま

さすが、中国の方だけあって、完璧なお答えですね★

この石碑の文を書いた人、日本人なので「紀念」じゃなくて「記念」と、日本語になっていますね。(笑)
私は昔、広東話と普通話を少しだけ習いました。
懐かしいですねぇ…
お勉強になります。
ありがとうございました♪ 非常感謝!!

これからも日本語の学習、がんばってください!!
努力!加油!!(^入^)


  [No.9266] Re: 牛淵隧道の碑文を解読してみた 投稿者:通りすがり   投稿日:2015/08/23(Sun) 21:45:48

> 牛淵隧道係于明治二十五年之開鑿爾來從經
漢和辞典「新漢語林」に「係」は「繋」とあり、主語の後なので動詞です。「于」は「より、に」となる置き字、「之」は「行く(動詞)、の(助詞)、これ(指示代名詞)」なので、ここは「の」になります。「隧道は明治二十五年の開鑿より繋がり、〜」と読めると思います。