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「史記」で、夏の時代の交通事情に関する記述を見つけました。
「禹乃(中略)陸行乗車,水行乗船,泥行乗橇,山行乗檋。
左準縄,右規矩,載四時,以開九州,通九道,陂九澤,度九山。」
この中、特に「泥行乗橇」(泥を行くには橇(そり)に乗る)は興味深いと思います。
約4000年前の中国人が道なき泥沼を橇で走るのは。
平安時代でも既に考えにくいこととなったのでしょう。
今では山行がのhhttps://yamaiga.com/tunnel/kamikita/main1.htmlの1-3節でも記載されてるように、
橇は雪地で使うものだということが常識ですね。
また、山で乗る「檋」については、定説がないようです。
「かんじき」だともいわれるし、「駕籠」だともいわれるし、「謝公の屐」(前または後ろを高くして勾配と打ち消し山歩きを楽にする靴)だともいわれています。
この文の下には、禹が(まるで三島通庸のように)中国の九州の山沢でたくさんの道を通したという記述です。
もちろん遺構どころかこの記述の真実性も疑問視されていますが、
約4000年前には、雪ではなく泥沼を走る橇が車と船と並んで四大交通工具の一つであることが興味深いのではないでしょうか。