彼女に会いに、韓国の水原というところまで行きました。 連絡は取れないまま。 現地では思いがけず日本の携帯が使えたので、メールを送りました。 「今、水原に来ています。」 でも、返事はありませんでした。
半年後、突然メールが来ました。 「あの時の私はあなたに会う心の準備ができなかった。本当にごめんなさい。」
中国の北京に行ったこともあります。 現地ではお互いに連絡手段がなく、むこうは十数時間の寝台列車で初めて大都会の北京に出てくるので、駅で待ち合わせました。 こちらの飛行機が遅れてしまい、こうこうと光る待ち合わせの看板の下に、不安そうに待つ彼女の姿を見つけた時は、胸に熱いものがこみ上げてきました。
日本を出て、異文化の雑踏の中にひとり身を置くたびに、一つの出会いが、何重もの奇跡の積み重ねであることを思い知らされました。 永遠に続く砂漠の、砂のひと粒ひと粒が隣り合わせるより、難しいことなのかもしれません。
「テメエみてーなショッパイ経験しかねえようなボケナスに、ボンベイへの道のりの険しさの何がわかるってんだよ。韓国人や中国人の話とインド人とじゃまったく次元がちげえんだよ、うぜぇひっこんでろ。」 という批判を恐れずに言えば、道はきっとあると思います。 ただ、どこまで続いているのか、道って自分だけのものでもないでしょうから、簡単にはわからないと思います。 でも、覚悟があるのなら、その道を行くべきだと私は思います。
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