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  [No.3035] 内務省伺 清水越新道開鑿 投稿者:りょうへい   投稿日:2009/03/18(Wed) 17:42:11

国立公文書館デジタルアーカイブで見つけた資料です。日付は明治14年4月30日。以下、清水峠から新潟側への道程解説の一部を抜粋します。当然原文は漢字カナ混文です。

清水越山頂は則ち群馬、新潟両県の管轄境なることは既に記載したる故に是より以下は新潟県の所轄に属する所にして同県下古志郡長岡町までの間を略記せんとす。
山頂に於ては群馬県管下と同じく掘割を為し而して訣頂より北東に向かい頗る緩なる土山の中腹を巡り二十一丁四十間に至って最も大なる字本谷沢の橋場に至る。此間に所々岩石現出すと雖も工事に至っては何の難きことあらん
然れども訣橋場より北側に至っては絶壁なる岩山にして恰も上州地内芝倉沢の北側の如し。 然りと雖も幸にして路線の経過する所は最も山斜の緩なる位地にして三間乃至四間の道幅を得るとも決して大いに開墾を要せず。唯、字一本松なる小沢の前後に至って僅かに最難の位地たるのみ
然りしておおむね山斜の緩なる土山の中腹を巡り両側に些少岩石を含有したる字鳴水沢に至る(本谷沢より二十丁三十七間)此北側を経過して亦土山の中腹を巡り字堅石なる無水小沢の近傍に達す。ここに於いて一の蛇腹屈曲を設けて以って勾配を緩になし漸々に下降して字檜ケ倉沢橋場に至る(鳴水沢より三十丁四間)

この文書からも”例の場所”は一番の難所と認識されていたことがわかりますな。
原文は国立公文書館のページで「清水越新道」で検索すると出てきます。
ただ、本題はこの後で、同じく検索ヒットする資料の中に、「群馬新潟両県境清水越新道開鑿費増加ノ件 M16.7」及び「清水越新道開道式挙行ノ件 M18.8」というのがあることです。ネット閲覧できないので公文書館までどなたか行って来てくださいな。(私は福岡県民!)

ちなみにずいぶん前のカキコミで「御用掛 宮之原誠蔵」ではなく、「御用掛官 之原誠蔵」じゃあないかという詩的があったですが、この文書の提出者として「内務省御用掛
 宮之原誠蔵」という明確な記載が確認できます。