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> 戸隠バードラインの入り口部分は地すべりによって消滅しましたが、一部分当時の道が取り残された形で存在しています。
というか、かつてのロープウエイ駅付近から大峰城にかけてが崩落しましたが、それ以外は残っているはずです
地元TVサテライト局も一緒に流されて、大傾斜しながらも自家発電で数日送信を続けていましたが燃料切れとなり非常用電池も切れて最後は何が映っているかわからない状態でしたね
実家では善光寺平サテは距離が近すぎて山の陰になるので見ていなかったのですが、避難先がサテライト受信でしたので…
> 災害後はそこに至る道は無く、また行く必要も無い道なので恐らく現在でも打ち捨てられたままになっているはずなのですが・・・。
アプローチ方法としては往生寺から七曲り(警察署では有りませんよ)経由という、バードライン開通前の道を上がって行くとバードラインに接続します
地附山のスキー場やゴルフ場は廃墟(というか跡形あるのかな?)になりましたが、大峰城は観光用に車で入れますし、それよりも重要なのはその先(崩壊地側)に長野市の火葬場がありますのでそこまでは霊柩車や遺族の車が出入りできないと困りますからそれなりの整備がされています
自分も祖母の火葬の際に普通の乗用車で上記ルートで往復しています
(余談ですが火葬場が観光道路の途中にあるということで、長野市の霊柩車は金ぴか屋根などつけていない、ライトバンを黒塗りしてカーテンを取り付けただけの目立たない車を使っています…善光寺さんのお膝元ということで豪華なものを想像する人も多いようですが)
> 災害後、その道を乗り物で通行したのは私一人だけなんじゃないでしょうか。
> 災害後の一時期、斜面をオートバイなどで降りることが出来ました。
> もうかなり前の話なのですが。
乗り物…恐れ入りました
歩きなら、アリとは思いましたけど…ヨッキれんさんがのり移っていますか?(^^;
> 今はどうなっているのでしょうね。
自分も当地を離れて15年以上、もうすっかり様子がわかりません
Googleで見ると、地滑り跡まで道路の筋は見えますし、地附山山頂周辺の道も残っているみたいですね
山頂周辺は人工的に手が加わった様子も見えます
http://maps.google.co.jp/maps?q=%E9%95%B7%E9%87%8E%E5%B8%82&i ..... h&z=17
> 近くの地附山には廃索道があり、この系の人には楽しめる場所です。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%99%84%E5%B1%B1
ヨッキれんさんの相互リンク先に懐かしい写真があります
vision*Jさんの「失われたロープウェイ」
http://www.8beat.com/ropeway/zenkoji.htm
自分もこれに乗ってスキーの授業を受けに行った一人です
あれは昭和46年の暮れ、或いは昭和47年の1月か2月だったかもしれません
今、昭和43年と昭和49年国土地理院5万分の一「戸隠」を引っ張り出してみました
43年版(残念ながら色々書き込みがあります)には「ロープウェイ」と明記がありますが49年版には索道の記号があるだけで文字は消えていますね
あの当時のあの界隈の開発(バードラインを含め)は無理があったのでしょうね、地下水脈の変化など異常が色々ありましたので、何か起きるとは思っていましたが、あれだけの大災害になるとは思いませんでした
バードライン・団地造成前の深い沢や、そこに掛かる底抜け鉄橋(木製の踏み板が半分くらいなくなっていた)も今は深い土砂の下になってしまいました
懐かしい話題、ありがとうございます
ヨッキれんさんのレポも楽しみにしています