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  [No.4520] 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:いまじん   投稿日:2010/02/28(Sun) 21:16:08

砺波市生涯学習課のページに書かれた読み方にはかなり問題があると思われますが如何でしょうか?
こんな適当な字数で句切ったら作者の意図した読み方からは遠く隔たるばかりになってしまいます。基本は四字句で切らないと。


  [No.4521] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/02/28(Sun) 21:18:34

> 砺波市生涯学習課のページに書かれた読み方にはかなり問題があると思われますが如何でしょうか?
> こんな適当な字数で句切ったら作者の意図した読み方からは遠く隔たるばかりになってしまいます。基本は四字句で切らないと。

なるほど、行政の資料は何でも鵜呑みにしてしまうのは、私の甘さかも知れませんね。
私には本当に間違っている部分があるか判定できませんが、皆様のご意見も頂戴したいと思います。

原文は以下の通り(縦書き→横書き変換済み)

塹山堙谷牛嶺乎
平五箇多産来貿
得便中越之富不
竭源泉


  [No.4525] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:abroader   投稿日:2010/03/02(Tue) 06:34:29

自分は漢文等の完全な素人ではありますが、「平」の字の位置がちょっと気になっていました。

「五箇」はこの地域のことだと思ったけど、でもその直前に付く「平」って? たいら? ひたすら? みたいな。
でももし「牛嶺乎平」と切って、最後を「たいらげ」とか読んでいいなら、なんか「ぽい」意味になるような???..
..素人のトンデモ解釈の可能性が高いので、識者のフォローが待たれます。

それにしてもこの様な石碑が出来る道とは一体どのような意義があったのか、で今はどうなってるのか、今後の展開が気になってしまうわけで... さすが


  [No.4526] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:abroader   投稿日:2010/03/02(Tue) 06:54:35

(まだ前の書き込みが公開されていないですが)

なんと利賀の西側は「平」村だったのですね。やっちゃったかなー(笑
でもよく見ると牛嶽車道に平村はかかっていないようだし、それに「平五箇」という言い方をするのかな、という点で首の皮一枚?


  [No.4527] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/03/02(Tue) 12:26:19

果敢なチャレンジありがとうございます!

現地案内看板の原点は、庄川町誌 p218 に掲載された読み下しと思われます。そこには、
平五箇 とは、平、上平、利賀3村の総称であるとしています。


  [No.4528] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:通りすがり   投稿日:2010/03/02(Tue) 21:05:36

> 平五箇 とは、平、上平、利賀3村の総称であるとしています。

知っていらっしゃるとは思いますが、道路標識でも「五箇山」という表記がおおいです。
五箇山とは、五箇山村で、平村、上平村、白川村、荘川村、利賀村の五ヶ村のことだったと思うのですが。

ちなみに、序章6:35その場所がライブカメラで見られます(笑。
>> p://www.palro.go.jp/toyamadouro/Map.htm#top


  [No.4529] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:いまじん   投稿日:2010/03/02(Tue) 18:32:29

塹山堙谷牛嶺乎
平五箇多産来貿
得便中越之富不
竭源泉

これを4字で句切るときれいに切れて

塹山堙谷 牛嶺乎平
五箇多産 来貿得便
中越之富 不竭源泉

山を塹り谷を堙め 牛嶺や平らぐ
五箇は多産なれば 来貿便を得ん
中越の富は 竭きざるの源泉

とまあ読みたいところなんです。
「塹山堙谷」は道路開鑿の努力を表現してるんでしょうから、その結果として嶮しい牛岳が征服されたと来ないと落ち着きが悪すぎです。
「牛嶺乎」を疑問に読んで「これが牛嶺か?」では意味が通りません。いかがでしょうか?


  [No.4530] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:ヨッキれん   投稿日:2010/03/02(Tue) 21:38:28

> 塹山堙谷 牛嶺乎平
> 五箇多産 来貿得便
> 中越之富 不竭源泉
>
> 山を塹り谷を堙め 牛嶺や平らぐ
> 五箇は多産なれば 来貿便を得ん
> 中越の富は 竭きざるの源泉

すばらしい!
これに一票です。
特に、「平五箇」は私も違和感を感じていた部分なので(いまさらですが)、この読み下しは正しいと思います。

これだとますますカッコイイ碑文ですね。
いまじん氏の読み下しを、このまま意義がない場合、レポート本編にも採用しようと思います。


  [No.4531] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:はせがわ   投稿日:2010/03/03(Wed) 03:06:24

> > 山を塹り谷を堙め 牛嶺や平らぐ
> > 五箇は多産なれば 来貿便を得ん
> > 中越の富は 竭きざるの源泉
>
> すばらしい!
> これに一票です。
> 特に、「平五箇」は私も違和感を感じていた部分なので(いまさらですが)、この読み下しは正しいと思います。
>
> これだとますますカッコイイ碑文ですね。
> いまじん氏の読み下しを、このまま意義がない場合、レポート本編にも採用しようと思います。

一行目意義なーし。更にカッコよくするならば

五箇多産 来貿の便を得ん
中越の富は 竭きざる源泉

あまり余計な文字を入れない方がカッコいいと思うのだな、個人的な
趣味ですが。
(来の解釈に悩み漢語林のお世話になりました。「これから先」という
意味で使われるので、来貿=未来の輸送って事ですかね)


  [No.4532] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:ひで   投稿日:2010/03/03(Wed) 23:42:34

皆さん、すごいですね。

中国の詩経(古い詩集)に以下の文があるそうです。
この3行目の”匪來貿絲”は「糸を買いに来たのではない」と訳すとのこと。

となると、「来貿得便」は前後から「買い付けに来てもらうための便を得た(ルートが出来た)」となるんですかね。

===============================
  氓之蚩蚩  氓の蚩蚩(しし)たる
  抱布貿絲  布を抱いて絲を貿(か)ふ
  匪來貿絲  來って絲を貿ふに匪(あら)ず (來≒来)
  來即我謀  來って我に即(つ)いて謀るなり
  送子渉淇  子を送りて淇を渉り
  至於頓丘  頓丘に至る
  匪我愆期  我期を愆(すぐ)すに匪ず
  子無良媒  子に良媒無し
  將子無怒  將(こ)ふ子怒ること無かれ
  秋以為期  秋を以て期と為さん


  [No.4534] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:いまじん   投稿日:2010/03/04(Thu) 19:48:42

えっ?とうとう『詩経』が出てきましたか?皆さん文人ですね。
『十三経註疏』を引っ張り出すのも大変なので降参といたします。


  [No.4535] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:通りすがり   投稿日:2010/03/04(Thu) 22:18:47

> この3行目の”匪來貿絲”は「糸を買いに来たのではない」と訳すとのこと。
> となると、「来貿得便」は前後から「買い付けに来てもらうための便を得た(ルートが出来た)」となるんですかね。

これって、五箇山で盛んだった養蚕に引っ掛けてるんですかね?
その頃は利賀村も(養蚕に最適な)合掌造りがたくさんあったはず。

なんて考えは素人考えなんでしょうねorz...


  [No.4536] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:いまじん   投稿日:2010/03/05(Fri) 00:11:13

>通りすがりさん
何しろ北方心泉の撰文ですからね。
『詩経』を念頭においていたとすればあながち的はずれでもないでしょう。
皆さんさえてますね!


  [No.4538] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:abroader   投稿日:2010/03/05(Fri) 10:23:05

なるほど、過去の作品や有名な言い回しをコピ...いやオマージュした形にもなってるんですかね。
なんとかの一つ覚えでググってみると「塹山堙谷」「不竭源泉」あたりはよくヒットして、その先を見ていくと面白いですね... ってあまりにニワカすぎる > 自分

しかしここには凄い方々が集われているようで...


  [No.4542] Re: 牛嶽車道開通記念碑の読み方 投稿者:いまじん   投稿日:2010/03/05(Fri) 21:29:00

> なるほど、過去の作品や有名な言い回しをコピ...いやオマージュした形にもなってるんですかね。

まあ、そうですね。そういうのをこの世界では「典故(てんこ)」と呼んでいるんですが、こういった典故をふんだんに取り込んで、六朝時代以降になって四字句・六字句で華麗に展開した文章を四六駢儷体とか駢文とか四六文とか云うんです。典故のてんこ盛りみたいな文章ですな。(すまん)

北方心泉は(多分)六朝文化の心酔者ですから、こういうのはお手の物だったと思われます。こういった路傍の金石文からいろいろなことが解ってくるのって楽しいですね。久しぶりに面白かったです。どうも有り難うございました。