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  [No.6433] Re: たぶん 投稿者:浅い鉄   投稿日:2011/11/18(Fri) 15:56:43

橋場線の機関車はC11ではないのではないでしょうか。
橋場線は盛岡機関庫(→機関区)の受け持ちと思います。「世界の鉄道'67」巻末の配置表によると
1935年にはC11は0、1937年に2両配置されますが、1939年には再び0、1961年から2両配置です。
あくまで推測でしかありませんが、8620かC50を使ったのではないかと思います。
例えば、1935年では盛岡区のタンク機関車は2120と2400のみです。
これはB6と呼ばれる機関車で、軸重の重さから支線運用には向かず、戦前から入換用に重宝されていた模様です。
テンダ機は8620、C50、9600、D50が配置されています。
盛岡区は東北本線、橋場線、山田線の担当と思われ、D50はもちろん東北本線、山田線は同時期の
宮古区が8620と9600の配置ですから同機種、C50は8620と共通運用かと思われます。
当時の橋場線は一日六往復で、鉱山がある訳でもないですから、8620かC50で十分でしょう。
とすると、終着駅の転車台は必須ということになります。

橋場駅廃止後は転車台が無くなりますが、旅客列車で逆向運転していたのかどうかは気になります。
というのも、1949年にはC10が1両配置されるも1951年には消滅。以後1961年にC11が配置されるまで
盛岡区へのタンク機関車の配置はありませんので。

なお、転車台の積雪対策は黒姫駅のようにピットに覆いを設けていた例もあります。


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