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  [No.6560] 旧陸奥関根局 投稿者:管理官   投稿日:2012/01/16(Mon) 16:03:00

旧陸奥関根局は昭和16年9月11日に開局し、平成元年12月4日に「むつ関根局」に改称しています。
移転時期は不明ですが、駅の廃止以前に移転したとすると、局舎の老朽化による可能性が高いです。
趣味で今までに6500以上の郵便局を訪問しましたが、廃局舎自体はそれほど珍しいものではありません。現役局舎の隣に廃局舎が保存(放置)されていることもあります。
ただ、中の様子がここまで鮮明に分かるものは貴重で、非常に興味深いレポートでした。
廃道ファン兼郵便局ファンとしては、今後のレポートでもぜひ廃局舎を取り上げてほしいです。

ちなみに石川県の珠洲駅前局など、駅が廃止された後も「駅前局」を名乗っている局もあります。


  [No.6564] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:アンパンマン   投稿日:2012/01/17(Tue) 15:08:15

現、千葉県野田市の福田郵便局近くに〒マークが薄っすら見える家があり以前から気になっていました。検索してみたら、かなり文化財級の建築物みたいです。合わせて旧田中郵便局もヒットします。又、歴史的悲痛な事件「福田事件」の現場だった事もしりました。(横銭邸)で検索してみて下さい。


  [No.6566] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:アンパンマン   投稿日:2012/01/18(Wed) 21:11:59

今は、見られなくなりましたが鉄道郵便車が客車と連結して運行されていた時代、郵便車に投函ポストが付いているのを見たことがあります。乗務している方に聞いたら「普通に投函できます。ほとんどはポスト付いてないので乗務員に直接手渡してください」と言われました。私は消印が気になり、自分宛てに郵便車から投函した事があります。それには確か〔鉄道郵便 秋田━福島 日付〕と押されてました。路線バスでも昔の仙南交通〔現、宮城交通〕はバス車体に投函ポストがあったらしいです。現在でも路線バスを利用した、郵便、新聞、宅急便輸送をしている場所があるそうです。


  [No.6569] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:アンパンマン   投稿日:2012/01/22(Sun) 09:20:37

埼玉県越谷市せんげん台駅東口の元、郵便局は現在デリバリーフーズ店として店内内部は改装され、営業してますが建物造り付けの二重扉の金庫はそのままで、店の売り上げ金保管に使用されているそうです。元、郵便局とか銀行というのは金庫室が残っているのが多くないでしょうか。建物の強度や解体費用の問題とかで。


  [No.6572] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:石-珪素   投稿日:2012/01/25(Wed) 21:55:10

横浜市磯子区・JR洋光台駅近くに、「千客萬来」というラーメン屋さんがありますが、この建物、もともとは郵便局舎です。
郵便局だった時代にATM使った覚えがあるので、おそらく間違いないです(廃止されたあとしばらくの間、ATMだけはとりあえず使えたような・・・です)。 
 担々麺が気になっていながらなかなか食べに入れず、写真なくてすみませんが、横浜近辺のラーメン屋さん食べ歩き系のブログやなんかで出入り口付近の画像は出てくるので、わかる方には判るのでは?と。


  [No.6575] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:ちゃい   投稿日:2012/01/26(Thu) 23:30:45

↓この建物でしょうか? う〜ん それっぽいですね。

http://g.co/maps/8sga3


  [No.6581] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:アンパンマン   投稿日:2012/01/27(Fri) 14:56:42

車椅子用スロープなど局としてのおもむきをよく保たれていると思います。でもラーメン屋ですか。ビックリです。秋田県横手市十文字町の中華そば店、丸竹も元、郵便局ですが店舗は改築されております。ただ、店舗後ろの方はそのままで、トイレなどは局、当時のままです。


  [No.6583] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:影武者   《URL》   投稿日:2012/01/28(Sat) 14:13:24

別の角度から見ても明らかに官公庁な雰囲気が残ってますね。
で、本題とは関係ないのですが面白いのがこのアングル。

http://g.co/maps/abjvy

看板にモザイクがかかってるんです。(^_^;)
ストリートビューの通行人の顔消しって、顔認識ソフトで自動処理してるんでしょうかね。


  [No.6600] Re: 旧陸奥関根局 投稿者:アンパンマン   投稿日:2012/02/11(Sat) 14:49:37

郵便局関連で。明治40年代、熱海、伊東間の海岸沿い道路建設にあたり、当時の熱海郵便局長、石渡均之助氏が人夫を雇って千本の桜を植えたそうで、大正のはじめには、みごとな花を咲かせることができたそうです。