明治時代に作られた馬車交通に対応した道路への自動車の通行に関して支障は大きかったのでしょうか?
万世大路も大峠も関山峠も昭和初期に対応の為の改築を行いましたが、山王峠(R121号線)は会津三方道路そのままに舗装されて山王トンネル開通まで現役でしたし、矢ノ川峠も後に改修されましたが、明治道でバス・トラックが運行されていました。
あの当時の乗り合い馬車とT型フォード、くろがね四起の大きさはライトエースバンよりもちょっと小さい位ですから橋梁の重量制限さえ無ければ「明治道を自動車で走る」ということに制約は少なかったのではないでしょうか?
素掘りの栗子山隧道の前の広場で休憩する軍用のT型フォードとハーレーもしくはインディアンで編成された陸軍の山形もしくは福島の連隊を撮影した写真とか残っていないかな?