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[No.1261] 待ってました!! 西沢林鉄 投稿者:kochan  投稿日:2007/07/23(Mon) 00:00:15

いよいよ始まりましたね、関東林鉄界の大御所「西沢林用軌道」。
以前、ヨッキさんが西沢に行ったと言う話しを聞いて以来、いつ始まるかと心待ちにしておりました。

私も数年前に訪れましたが、奥地は崩落した木橋跡などを迂回しなければならない箇所も多く、一緒に行った同行者は林鉄には興味の無い人間だったので、遊歩道終点の展望台から500メートル程、入ったあたりで戻って来てしまいました。今にして思うと、もっと奥地まで行っておけば良かったとチト後悔しています。

ネット上にもいくつかはレポートが存在はしますが、ヨッキさんも言っている様に、奥地の詳細なレポは見受けられません。聞くところによると「アザミ沢」や「京の沢」あたりは林鉄パラダイスだとか・・・w
ヨッキさんによる、詳細にしてディープなレポを期待しています。


[No.1262] 西沢林鉄 投稿者:k-kai  投稿日:2007/07/23(Mon) 01:58:39

ヨッキさんも西沢に行かれたんですね。

私は'93年秋に西沢渓谷から入山して国師岳へ登りました。
国師岳から甲武信岳を経由、十文字峠まで縦走して、
入川を下山しました。

・・・このルートでピンと来た方は林鉄マニアですね。
そう、西沢も入川も林鉄跡のルートなのです(笑)。

その時の西沢にはヨッキさんのレポートにあるトイレはまだありませんでした。
西沢を渡る橋はもちろんとうに落ちていたので徒渉しました。
その先の登山道は入山者が少ないため一部薮こぎとなっていました。
数カ所でレールを見かけたくらいで、林鉄の痕跡は稀薄でした。

入川も有名なスポットです。こちらは台車まで残っておりました。
現在はどうなっているんでしょうね。

それでは、レポートの続きを楽しみにしております。


[No.1263] Re: 待ってました!! 西沢林鉄 投稿者:作者  投稿日:2007/07/23(Mon) 11:37:48

kochanさん、感想ありがとうございます。

>聞くところによると「アザミ沢」や「京の沢」あたりは林鉄パラダイスだとか・・・w

マジですか?!
本谷も気になっていたけど、それらの支線もかなり気になりますね。
実は、今回のレポではあくまでも西沢橋梁までが目的で、時間的にもその奥までは行ってないものでして…。
今後、「最深部編」として探索したいです。

が、しかしこの奥地へ繋がる西沢スカイラインが車通してくれないんで、結局自転車でアプローチするとなると非常に遠く、下から遊歩道を歩いていくのと時間的に変わらないような気もします。
まあ、結局は自転車アプローチになるだろうな…。林道レポのネタにもなるかも知れないし。

ともかく、西沢奥地はアプローチが大変なのが難点ですね(と贅沢を言ってみる)


[No.1268] 西沢林鉄と入川林用軌道の思いで 投稿者:をたくな講師  投稿日:2007/07/28(Sat) 00:57:52

みなさん、よっきれんさん、はじめまして、
 をたくな講師と申します。

 このサイトを知り、この1週間、入り浸り読みふけっています。
 私の思いでを2つ。

 西沢渓谷の軌道の下部部分は、途中にある山荘が荷揚げに利用して
 いました。下りは平とろに耕耘機を乗せ、ブレーキだけで下まで降
 り、駐車場から索道で荷物を上げ、トロッコに乗せ、耕耘機で引き
 登ると運用でした。耕耘機が機関車ですね、ところが下部軌道は遊
 歩道になっていますので(併用軌道)、ハイカーを下りのトロッコ
 が撥ねてしまい(たしか死亡事故)問題になり、軌道を剥がし、完
 全な遊歩道化すると言う報道がなされた事があります。
 これは1980年以前のお話です。

 入川林用軌道は、1985年前後に数回探索しました。
 ここは、途中に小さなダムがあり、補修の資材の運搬に廃止後も
 台車を動力化し使っていました(今でも使ってるかもしれない)
 完全に廃線と思い、軌道を歩いていると、上の方から、キュン
 キュンと鉄を擦る音が聞こえ、何かなと思っていたら、カーブ
 からトロッコが凄い勢いで飛び出してき、慌てて際の岩に登り
 難を避けた事があります。写真もワンカットだけ撮りました。

 西沢も入川も、廃止後別件で利用されていたと言うのが線路を
 残す理由になってると思います。
 
 このサイトを読み始めたら、著者は、東北の人なんだななんて
 思っていましたが、近況を見ると「あれあれ近所に越して来た
 のね」と驚いています、私は高幡不動の住人です。
 


[No.1276] Re: 西沢林鉄と入川林用軌道の思いで 投稿者:影武者  投稿日:2007/07/28(Sat) 23:09:11

入川は既に廃止になり、現状西沢のような状態で残ってるはずです。本来の廃止後は砂防事業のために使われてましたね。

>  西沢も入川も、廃止後別件で利用されていたと言うのが線路を
>  残す理由になってると思います。

最後の森林鉄道として知られる屋久島もそうですね。下半分はダム管理、上半分は木材運搬とはいえ、かつて伐採・搬出した物の残り物(土埋木)が積み荷ですから、別件での再利用と言えるかなと。


[No.1287] Re: 西沢林鉄と入川林用軌道の思いで 投稿者:kochan  投稿日:2007/08/02(Thu) 01:21:03

西沢渓谷の途中にあった山荘とは「不動小屋」のことですね。七ツ釜五段の滝の少し上あたりにあったはずだと思います。私は1978年に学校の遠足で西沢渓谷を訪れた際に、その不動小屋で昼食を食べた事があります。

その当時も軌道は現在と、そう大きくは変わらない状況でしたが、近年になって設置された金属製の橋はまだ存在せず、現在、新しい橋が設置されている場所は、当時は軌道の木橋がまだ渡れる状態にあったので、それがそのまま遊歩道の橋として利用されていました。

しかし、当時、すでに軌道は所々、土に埋まっていたりして、明らかに利用されているとは思えない状態でしたので、をたくな講師さんが仰っているトロッコが人を撥ねてしまったという事故は1978年よりも前の話なのだと思います。

当時は、現在の遊歩道終点の場所から広瀬湖方面への軌道は、「廃軌道につき立ち入り禁止」と書かれた看板が立っていましたが、木製の簡単なフェンスの向こうには軌道がまだそのまま残っていました。


[No.1289] Re^2: 西沢林鉄と入川林用軌道の思いで 投稿者:をたくな講師  投稿日:2007/08/02(Thu) 20:50:23

> 西沢渓谷の途中にあった山荘とは「不動小屋」のことですね。七ツ釜五段の滝の少し上あたりにあったはずだと思います。私は1978年に学校の遠足で西沢渓谷を訪れた際に、その不動小屋で昼食を食べた事があります。

 軌道を荷揚げに利用していた山荘は「西沢山荘」です。

 当時、広瀬ダムはまだ建設中で、車が入れる
 のはダムの手前までで、そこに駐車場があり、駐車場から沢の
 対岸まで索道で荷物を上げ、そこから軌道で山荘の向いまで
 行き、 沢を隔てた山荘まで索道で、荷揚げに使用していた
 様に記憶しています。

 kochanさんがご覧になった立ち入り禁止標識は事故後に
 立てられた物だと思います。

 私も、まだ子供でしたので、意識して調査したわけでなく、
 記憶も曖昧ですが、地図で確かめると、滝の上から広瀬まで
 の区間の一部を山荘の荷揚げに使っていたのだと思います。
 
>トロッコが人を撥ねてしまったという事故は1978年よりも前の話なのだと思います。

 何時だったか記憶が曖昧ですが、その通りだと思います。


[No.1282] Re^2: 待ってました!! 西沢林鉄 投稿者:上諏訪夜行  投稿日:2007/07/31(Tue) 00:05:59

よっきれんさん、はじめまして、
上諏訪夜行と申します。

西沢林鉄、最後まで楽しませていただきました。
この奥秩父の稜線上の山々はいくつか登った事が
あるのですが、谷の下にこんなにも林鉄が眠って
いるとは想いもよりませんでした。

Google Mapで今回の地点を見てみたら、第5回
レポートのヘアピンと、林道部分のヘアピンが
雪できれいに見えています。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=%E ..... r&om=1

また、京の沢付近にも林鉄跡と思われるヘアピンの
雪跡が見えます。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=%E ..... iwloc=addr

次のレポートも楽しみにしています。


[No.1435] Re^3: 待ってました!! 西沢林鉄 投稿者:南町  《URL》   投稿日:2007/09/27(Thu) 08:19:11

国交省の昔の航空写真でも、ヘヤピンなどの軌道跡を発見しました。


[No.1436] 長大隋道の正体は? 投稿者:デスペラード  《URL》   投稿日:2007/09/27(Thu) 15:01:00

西沢林鉄の近くに結構長めのトンネルがありますね。
このトンネルの正体をお分かりの方いらっしゃいますか?

参照先の地図の右側の、西沢大橋の左側にあります。


[No.1437] Re: 長大隋道の正体は? 投稿者:かめ  投稿日:2007/09/27(Thu) 23:10:21

あ、確かに気になりますね。

「Mapfan」では道路無し。
「its-moガイド」と「Mapion」では2番目のトンネルまでが
描かれています。
「Google map」(GoogleEarthではない)の航空写真で見ると、
国土地理院の図の通りの何らかの「長いモノ」がありそうですね。
(一番良く分かる)
鉱山道路?


[No.1438] Re: 長大隋道の正体は? 投稿者:かめ  投稿日:2007/09/27(Thu) 23:53:34

連投すみません。
昭和51年撮影の航空写真にもトンネルの入り口が黒く写っていますね。
ただ、Google map(こちらのほうが新しい)のと比較するとまだ道路が無いです。
ということはそれほど古くないということでしょうかね。


[No.1440] Re: 長大隋道の正体は? 投稿者:ちぃ  投稿日:2007/09/28(Fri) 01:23:42

この隧道群は林道のものです。
奥の方までは行っていませんが
一番始めのトンネルは「音取第一隧道」という名称で
1987年3月竣工です。


[No.1441] Re^2: 長大隋道の正体は? 投稿者:作者  投稿日:2007/09/28(Fri) 02:52:15

この前、奥まで行ってみました。
隧道は4本連続してあり、700m近いものが一本あります。どのような経緯で建設されているのかは分かりませんが、普通の林道ですね。たしか鶏冠山林道だったと思います。今年になって延伸工事を再開したようで、奥まで行ったら工事してて引き返しました。これは先月の情報です。


[No.1442] Re^3: 長大隋道の正体は? 投稿者:デスペラード  投稿日:2007/09/28(Fri) 09:26:08

かめさん、ちぃさん、作者さん、情報ありがとうございます。

鶏冠山林道だったんですね。大弛峠側〜西沢渓谷までつながる計画は聞いたことはあったので、
ヨッキさんが探索したほうにつながるものだと思っていました。
なので、まさかあそこにつながるとは思っていませんでした。

どうもありがとうございました。


[No.1445] Re^4: 長大隋道の正体は? 投稿者:作者  投稿日:2007/09/28(Fri) 14:03:05

おお、やはり同一林道ですか。
二カ所に同じ名前の林道があるので気になっていました。
しかし、開通まではまだまだ時間が掛かりそうですね。
私が眠るまでに開通できるかどうか…。


[No.1450] Re^5: 長大隋道の正体は? 投稿者:高橋ま  投稿日:2007/09/29(Sat) 06:34:08

蛇足を承知で付け足すと、川上牧丘線から分岐するのが、鶏冠山西線で、西沢渓谷入り口から伸びているのが鶏冠山東線。でもって鶏冠山自体は、甲武信岳の南、東沢の北にあるので、鶏冠山林道って東沢をぐるっとまわってつながる予定なのではないでしょうか。
大昔から両方のきれはしの林道はありますけど、ほんとうにつながるんですかね。


[No.1468] Re^6: 長大隋道の正体は? 投稿者:S  投稿日:2007/10/02(Tue) 08:54:00

なんか、西沢林鉄の周り、道たくさんありますね。で、なんかバリケードあるみたいだし。乙女高原の焼山峠の先に。


[No.1475] Re^7: 長大隋道の正体は? 投稿者:デスペラード  投稿日:2007/10/02(Tue) 22:27:41

それは乙女鉱山では?
鉱石好きのあいだでは有名です。