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[No.1724] 清水峠 投稿者:一読者  投稿日:2008/01/20(Sun) 11:53:53

ワクテカ(^^
今晩は雪らしいので暖かくして執筆して下さいね。
期待しております。

何度か行ったんですが、悪天候で峠に立った事が無いもんで
写真みて感動でした。まさに息を呑みますねぇ。


[No.1725] Re: 清水峠 投稿者:puranari  投稿日:2008/01/20(Sun) 16:07:17

いつも読ませていただいています。
地元に近い場所のレポが始まったので、とても楽しみです。
しかも清水峠という壮大な道・・・!
引き続き、執筆応援しています。


[No.1726] Re^2: 清水峠 投稿者:みやの  投稿日:2008/01/20(Sun) 17:42:37

おぉ…!
清水峠!壮大なレポートが始まりますね。
web上では、今まで誰も完走したことが無い道。あまりの崩落で、誰も忠実に旧道を辿って行けない道。
現役国道なのに、禁断の道とでも言いましょうか。
ついに、よっきさんによって、歴史が変わるのですね?楽しみにしています。


[No.1728] Re^3: 清水峠 投稿者:ヨッキれん  投稿日:2008/01/21(Mon) 01:29:46

そんなに期待されると、苦しいんですが…笑。
期待通りの結末にならなくても、怒らないでくださいましね。
ともかく、想像を裏切らない過酷な道でした。


[No.1729] Re: 清水峠 投稿者:代打モッカ  投稿日:2008/01/21(Mon) 10:55:12

読者アンケートで今年清水峠の調査を希望した者ですが、
昨年に調査されていたとは!ヨッキれんさんの行動力に脱帽です。
引き続きリポート楽しみにしております。


[No.1741] 第五回 清水峠と大久保利通 投稿者:きりん  投稿日:2008/01/31(Thu) 00:35:27

大久保は清水国道が開通する前に殺されているので歩んでいないと思われ.


[No.1730] 清水峠について 投稿者:地元より  投稿日:2008/01/24(Thu) 23:41:16

右上に「南魚沼市六日町」と表示されていますが、あの辺は旧塩沢町ですので、「南魚沼市旧塩沢町」が適切です。もしくは「南魚沼市清水」。


[No.1731] 信濃川発電所 投稿者:タカ  投稿日:2008/01/26(Sat) 17:20:14

小千谷(現在は南魚沼市)の信濃川発電所からとありますが、小千谷は現在も小千谷市です。
たしか、送電線は小千谷市から中越地震の震源となった川口町を経て魚沼市を通過し清水峠で越後山脈を越えているはずです。

南魚沼市は清水峠のある旧塩沢町と六日町、大和町の3つの町が合併したものです。


[No.1732] Re: 信濃川発電所 投稿者:高橋ま  投稿日:2008/01/27(Sun) 03:12:19

蛇足ですが、ちょっと。
信濃川発電所は、千手発電所、小千谷発電所、新小千谷発電所、三カ所の総称なのです。小千谷発電所、新小千谷発電所の2カ所はは小千谷市にありますが、千手発電所は、同じ信濃川でも飯山線沿いの十日町市(旧中魚沼郡川西町)にあります。地図では津南町にあるようにしか見えないのですが。

昔、中里村で合宿をしたときに、越後田沢駅の裏手、信濃川の向かい側にある千手発電所を見たことがあります。


[No.1733] Re^2: 信濃川発電所 投稿者:GEAR  投稿日:2008/01/27(Sun) 15:44:31

> 信濃川発電所は、千手発電所、小千谷発電所、新小千谷発電所、三カ所の総称なのです。小千谷発電所、新小千谷発電所の2カ所はは小千谷市にありますが、千手発電所は、同じ信濃川でも飯山線沿いの十日町市(旧中魚沼郡川西町)にあります。地図では津南町にあるようにしか見えないのですが。



 更に蛇足ですが・・・

 津南町と十日町市の境にある発電所は『東京電力 信濃川発電所』ですね.JR東管理の『千手発電所』は1.5kmほど下流の宮中ダムより取水し,浅河原調整池まで導水されています.


[No.1734] Re^3: 信濃川発電所 投稿者:高橋ま  投稿日:2008/01/27(Sun) 19:37:00

>
>  更に蛇足ですが・・・
>
>  津南町と十日町市の境にある発電所は『東京電力 信濃川発電所』ですね.JR東管理の『千手発電所』は1.5kmほど下流の宮中ダムより取水し,浅河原調整池まで導水されています.

そうでしたか。てっきりあれがJRの発電所だと思っていました。
知ったかぶりはいけませんね。


[No.1735] Re^4: 信濃川発電所 投稿者:ふくたけ  投稿日:2008/01/28(Mon) 03:11:27


更に更に、蛇足ですが・・・

地図を見てたら、
信濃川発電所、250m程度の比高を得るために、隣の長野県野沢温泉村西大滝ダムまで延々約20km導水管掘ってある。

をまけ

ググマップでは、ちゃんとJR○○発電所となっているのに、電子国土地図では、前出の小千谷発電所も信濃川発電所になってる。


[No.1736] Re: 清水峠 投稿者:ふくたけ  投稿日:2008/01/28(Mon) 19:14:41

削岩機の件

明治の時代に鉱山系で使われた(外国製ですが)記録があるので、形振り構わず持ち込まれた可能性が無きにしも非ずと思うのですが...

国産の削岩機の登場は、大正に入ってからだったと記憶してます。



どなたか専門の方のコメント期待...


[No.1737] Re^2: 清水峠 投稿者:一読者  投稿日:2008/01/29(Tue) 00:54:11

神保町の岩波アネックスに在る古地図屋さんに
「清水及三国峠幹部演習記事(明治20年)」って資料が売っている様なんですがなんか書いてあるかなぁ・・・
しかし、31500円なので手が出ないです。

ふくたけさんの「明治の時代に鉱山系で使われた(外国製ですが)記録」ってのが気になりますな。軍なら何でもありな気がしますんで。

>よっきさん
掘削痕も石垣も興奮モノです。
激藪で萎えたかもしれませんが、オラまだワクワクだぞ(w
レポ頑張って下さいませ。


[No.1738] Re^3: 清水峠 投稿者:ふくたけ  投稿日:2008/01/29(Tue) 02:52:17

>一読者さん

「削岩機 明治」でググれば出てきますよ。
どうやら、明治13〜14年頃には佐渡金山、逢坂山隧道で登場したらしいです。かの栗子隧道にも蒸気を用いた圧搾空気削岩機をトンネル掘削機として使用した、という記録があるみたいです。
明治中期〜後期には、各地で導入されたみたいです。


[No.1739] Re^4: 清水峠 投稿者:ヨッキれん  投稿日:2008/01/29(Tue) 06:33:54

私のググり方が甘かったようですね…。

そうか、となると、明治時代からあそこの現場で削岩機を利用していた可能性も大いにあるわけですね。
もう少し様子を見てから、レポートの記述を変更したいと思います。
栗子隧道で削岩機が利用されたことは知ってますが、このときには大きなニュースになっています。以後もそうすぐに全国のトンネル現場で使われたわけではなく、なかなか普及しなかったようです。
その状況下で、いきなり清水峠の、しかも明かり区間の工事で削岩機が利用されたというのは、まだ些か不自然な感じがするんです。

しかし、ふくたけさんをはじめ、皆様貴重なご意見をありがとうございます。


[No.1740] Re^5: 清水峠 投稿者:ねこすけ  投稿日:2008/01/30(Wed) 23:58:13

首突っこんですみませんが、ウチのサイトに信濃川系の
発電設備のコーナー置いてありますのでご参考までに・・・。
http://www17.ocn.ne.jp/~medicplz/homepage01/road/hatudentop.html


[No.1742] 宮之原誠蔵ではないですか? 投稿者:tacky  投稿日:2008/02/01(Fri) 20:34:13

 軽く検索してみましたが,名の知られている方の気がします.

http://miti.civil.hi-tech.ac.jp/~takeyama/weblog/nobiru/nl28.pdf

宮之原誠蔵(みやのはらせいぞう)土木行政 1847.4 不詳∼1888.11.26 鹿児島県に生まれる。創設間もない内務省土木局の 6 名の指導者の一人

http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/wp_unu_jpn10.html

明治11年に,この北越清水越往還が国道に認定され,12号国道と呼ばれるようになってから,・・・内務郷大久保利通の命令で土木局長石井省一郎に立案させ,宮之原誠蔵ほか1名を現地に視察出張せしめ,翌12年にルートを…に決定し,…


[No.1745] Re: 宮之原誠蔵ではないですか? 投稿者:ヨッキれん  投稿日:2008/02/01(Fri) 22:41:56

ありがとうございます。

仰るとおりですね。
訂正いたしました。
「掛官 之(の) 原」 じゃなくて、「掛 宮之原」と切るべきだったんですね。恥ずかしい失敗です。


[No.1746] Re^2: 宮之原誠蔵ではないですか? 投稿者:tacky  投稿日:2008/02/02(Sat) 00:29:32

 原文読んでね,と書いてあったのを素直に受けたので,たまたま気付きました.
 いつも楽しませてもらっていますので・・・.

 でも等高線をトレースして,人跡未踏の地を遠巻きに道を刻める能力のある人達なのに,雪崩等で寸断される可能性を想像していなかったとも思えないのですが・・・どういうつもりや事情があったか,面白いそうですね.

 続きを待ってます.あれ,でも次回で清水峠は終わり?
 ドキドキしますね.


[No.2535] あれ? 投稿者:廻館  投稿日:2008/10/05(Sun) 23:47:49

> http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/wp_unu_jpn10.html
>
> 明治11年に,この北越清水越往還が国道に認定され,12号国道と呼ばれるようになってから,・・・内務郷大久保利通の命令で土木局長石井省一郎に立案させ,宮之原誠蔵ほか1名を現地に視察出張せしめ,翌12年にルートを…に決定し,…

上記の文の前にあった下記の記述は「謙信尾根」のことでしょうか?
「明治6年,熊谷県令河瀬秀治の努力で利根川に沿って,現在の湯檜曽―土合―西黒沢―清水峠―新潟県への開通を企てたが,費用が無いため,前橋の下村善太郎に交渉して有志7,8名から現金3,000円の寄付を受け,明治7年に開通したが,延長7里17町,道幅はわずかに6尺に過ぎなかった」