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[No.2393] 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:たかはし  投稿日:2008/08/21(Thu) 18:20:22

http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h65201753

走っている機関車の型が除煙板無しのC53型と思われますので
昭和3年以降と推察できます。

海岸線もまだ侵食されておらず立っている人影からすると
かなりの幅があったようです。


[No.2402] Re: 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:焼津市民  投稿日:2008/08/25(Mon) 22:43:22

おお!これはまた貴重な絵葉書ですね。
今は、海岸に横たわっている坑口もぎりぎり写ってますね。
良いものを見せていただき、ありがとうございました。


[No.2414] Re: 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:東京都民  投稿日:2008/08/29(Fri) 12:08:34

見れません(泣)


[No.2416] Re: 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:たかはし  《URL》   投稿日:2008/08/30(Sat) 03:03:51



焼津市民様、あの磯浜隧道を実際に見られたそうで
羨ましいです。
東京都民様、こちらでご覧になれると思います。(↑上記URL)

あのトンネル群は特急燕、富士などが通過していたんですね。


[No.2433] Re: 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:東京都民  投稿日:2008/09/03(Wed) 09:51:25

たかはし様、亀レスで恐縮です。<(_~_)>

あんな巨大な構造物が在ったとは驚きです。
良い写真を見せていただき、ありがとうございました。


[No.2434] Re: 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:たかはし  《URL》   投稿日:2008/09/03(Wed) 22:38:08

東京都民様、ご覧になれてよかったです。

実はTAKAの撮り撮り日記様のページの
石部隧道用宗側の機関車画像と同型の物が
焼津側にもあるんです。

「古写真にみる日本の鉄道」
(三宅俊彦著、新人物往来社、
雑誌69650-97
ISBN978-4-404-03397-0
C9465 \2400)

こちらの48ページ目に
おそらく完成直後か、大正年間と思われる絵葉書画像があります。
護岸の上にバラスト軌道がそのまま載っており
まだ波除の防護壁が出ておらず
そこに傾いた電柱がありました。

ご興味のある方は書店にて確認ください。


[No.2442] Re: 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:Ken138(KHA)  投稿日:2008/09/06(Sat) 16:01:29

あ、すみません。HNを昔の物と間違えて投稿してしまいました。


[No.2443] Re: 絵葉書・石部隧道焼津側 投稿者:KHA  投稿日:2008/09/06(Sat) 15:54:46

>たかはし様
貴重な写真をご紹介頂きありがとうございました。
この写真なら、この場所が「航空母艦」と呼ばれていた所以が改めて良く分かります。。。

>ヨッキれん様
この場を借りて報告なのですが、
「大崩海岸の謎の穴」最終回に掲載頂きました、私の父の体験談の中にある、
"その後、旧150号線に大規模な崩落があった際に、一時的にその壁の一部が撤去され、人や車の往来が出来る様になった事はある。"
この部分の詳細が分かりました。

昭和30年ごろ、道路レポ「静岡県道416号 静岡焼津線」の2にあります、「ギコギコしたロックシェッド」(http://yamaiga.com/road/ookuzure/ookuzure_28.jpg)のすぐ手前で、道が崖ごと丸々全部崩れ落ちてしまい、通行が出来なくなったんだそうです。。。
その後国道は暫くの間、それまで封鎖されていた磯浜・石部隧道をバイパスとして利用した後、崩落した場所に「桟道橋」を設けて、復旧したそうです。

普通に通過する分には、道が崖に沿ってちゃんとあるようにしか見えないんですが、実はあの場所に、「道路の下の路盤が全く無くなってる空中回廊」があるんですわ。。。
桟道橋の部分には「唐沢桟道橋」という白看があり、銘板などもちゃんと存在するのですが、ヨッキさん、探索した際にお気づきになりましたか?
世の中には「知らない方が却って幸せな事がある」という事を、現地を調べて思い知らされましたよ…。。。