http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h65201753走っている機関車の型が除煙板無しのC53型と思われますので昭和3年以降と推察できます。海岸線もまだ侵食されておらず立っている人影からするとかなりの幅があったようです。
おお!これはまた貴重な絵葉書ですね。今は、海岸に横たわっている坑口もぎりぎり写ってますね。良いものを見せていただき、ありがとうございました。
見れません(泣)
焼津市民様、あの磯浜隧道を実際に見られたそうで羨ましいです。東京都民様、こちらでご覧になれると思います。(↑上記URL)あのトンネル群は特急燕、富士などが通過していたんですね。
たかはし様、亀レスで恐縮です。<(_~_)>あんな巨大な構造物が在ったとは驚きです。良い写真を見せていただき、ありがとうございました。
東京都民様、ご覧になれてよかったです。実はTAKAの撮り撮り日記様のページの石部隧道用宗側の機関車画像と同型の物が焼津側にもあるんです。「古写真にみる日本の鉄道」(三宅俊彦著、新人物往来社、雑誌69650-97ISBN978-4-404-03397-0C9465 \2400)こちらの48ページ目におそらく完成直後か、大正年間と思われる絵葉書画像があります。護岸の上にバラスト軌道がそのまま載っておりまだ波除の防護壁が出ておらずそこに傾いた電柱がありました。ご興味のある方は書店にて確認ください。
あ、すみません。HNを昔の物と間違えて投稿してしまいました。
>たかはし様貴重な写真をご紹介頂きありがとうございました。この写真なら、この場所が「航空母艦」と呼ばれていた所以が改めて良く分かります。。。>ヨッキれん様この場を借りて報告なのですが、「大崩海岸の謎の穴」最終回に掲載頂きました、私の父の体験談の中にある、"その後、旧150号線に大規模な崩落があった際に、一時的にその壁の一部が撤去され、人や車の往来が出来る様になった事はある。"この部分の詳細が分かりました。昭和30年ごろ、道路レポ「静岡県道416号 静岡焼津線」の2にあります、「ギコギコしたロックシェッド」(http://yamaiga.com/road/ookuzure/ookuzure_28.jpg)のすぐ手前で、道が崖ごと丸々全部崩れ落ちてしまい、通行が出来なくなったんだそうです。。。その後国道は暫くの間、それまで封鎖されていた磯浜・石部隧道をバイパスとして利用した後、崩落した場所に「桟道橋」を設けて、復旧したそうです。普通に通過する分には、道が崖に沿ってちゃんとあるようにしか見えないんですが、実はあの場所に、「道路の下の路盤が全く無くなってる空中回廊」があるんですわ。。。桟道橋の部分には「唐沢桟道橋」という白看があり、銘板などもちゃんと存在するのですが、ヨッキさん、探索した際にお気づきになりましたか?世の中には「知らない方が却って幸せな事がある」という事を、現地を調べて思い知らされましたよ…。。。