同じことを私も疑問に思いました。
それで、当時の工事資料を求めて役場を巡ったりもしたのですが、結局答えは分かりません。
ただ、現地に鉄パイプ製の桟橋があったり、陸上には一切運び出しの経路がない。また、ヘリが低空を飛行できる地形ではないことから、外から運び込まれた艀のようなものを用いて作業が行われたと考えられます。
工事は平成9年の雪期に行われており、一般で目撃した方がおそらくいないだろうというのも、工事が謎に包まれている原因ですね。
今後も諦めずにあの橋の(廃材の)行方を追っていきたいと思っています。
何か情報をお持ちの方がおられましたら、是非教えてください。