隧道レポート 仙台市愛宕山の謎の穴 最終回 

公開日 2006.09.23

噂の舞台 その真相

本来の坑口へ


 75分に及ぶ地底探索によって、我々3人は大都市の地下を1km以上移動していた。
地上に出ると雨が降っており、泥と土臭さが身に沁みた身体をゆっくりとではあるが洗い流そうとしてくれた。
周囲は公園で、テニスに興じる学生達の活気ある掛け声が我々の元にも届いてきた。
しかし、我々は半ば途方に暮れていたのであった。
もと来た穴に戻るのはゴメンだ。
しかし、置き去りにしてきた車へ戻るには、隧道を行くよりも遙かに長い4km近い道のりに耐えねばならない。
雨もさることながら、この泥まみれの身体で仙台駅付近の繁華街を通ることには躊躇いを禁じ得ない。
単純にめんどくさいというのもあるが…。


 そんな一行のピンチを救ってくれたのは、仙台在住のオブローダー、はくちょう氏だった。(→氏のサイト『はくちょうnoお部屋』)

 彼は、元々この日の探索に途中から合流する予定ではあったのだが、地下にいた我々と連絡を取るのに苦労していた。(洞内で細田氏が通話していた相手も、実は彼だった。)
だが、地上へ戻った我々の求めに応じ、彼は愛車を駆って我々を運んでくれたのである。
しかし…この時の我々3人は、“ただの人”ではなかった。
この汚れぶりである。
それを、幾らビニール袋を座席に敷いたとはいえ… 乗せてくれてありがとうございました!!


 そんなわけで、はくちょう氏を加えて4人となった一行は、出発地点に戻った。
先ほど行き残してしまった“壁の向こう”を探索するべく、再び坑口へ向かう。
時刻は午前10時を少しまわっていた。


 そして、戻ってきた。
この“樫の木おじさん”へ。
心霊系サイトなどでも、この場所は何かと曰くありげに紹介されたりしているが…気持ちがよく分かる。
なんというか、まあ、お地蔵さんもたくさん集まっているし、一種異様な雰囲気はある。
そして、この穴。
髑髏の眼窩のように見えはじめるともう、それ以外に見ることは不可能だ。



 しかし、我々はあくまで冷静でいなければならない。
このような穴は、ざっと見た感じでも周囲に10くらいはありそうだった。
これらの穴の存在も、心霊スポットのように捉える人々にとっては、先ほどまでの水路隧道と同一視または混同されることがあるのだろうが、実は無関係である。

 これらの小穴は横穴墓と呼ばれる、古代の墓穴遺跡なのである。
近くにあった案内板によると、この愛宕山横穴墓群は7〜8世紀頃に土地の有力者を弔うために造営されたもので、愛宕山周辺には全部で100穴以上も発見されているとのこと。
かつて発掘調査が行われ、人骨の他に副葬品も色々と出土したということだ。

 目の前にあるのが墓穴だと聞かされれば、ギョッとするのが普通だろうが、ここは違う。
もはや人の生き死にの生々しさを感じさせないほどに、風化している(なにせ1700年も昔の墓だ)気がした。
とはいえ、気持ちは悪い。



 うううわ! なんだこれは?!

 樫の木おじさんから木立の中に見えたアンテナの付いた建物。
それを目標に歩いていくと、建物自体は広瀬川上流の大倉ダム関連の水利施設であったが、その山側にあまりに怪しい構造物を発見!

 まず目に付いたのは、この異次元的な様相を見せる数々の坑口であった。
これらはコンクリートや鉄の扉で施工されており……
横穴墓ではないはずだ!



 さらに南へ山肌に沿って進むと、水利施設に近接して、見るからに産業遺構と思われるコンクリートの巨大建造物出現!

 コンクリートと煉瓦が混ざり合ったような部分が見られ、また意味不明な意匠が点在していることから、建造された時代はかなり古いように思える。
 そして、この後に内部への潜入に成功した我々が得た結論は、この構造物こそが、あの水路隧道の正式な坑口(吐水口)であったと言うことだ。
つまりは、大正時代に建造されわずか10年ほどしか使われなかった、愛宕下水力発電所の関連施設なのである。
ここから先は想像だが、施設の規模の大きさから言って、付属発電所がこの場所にあったのではないだろうか。

 ちなみに、梯子の上にいるのがはくちょう氏。
私は写真右端に見える小さい坑口を目指したのだが、その際には、一度はくちょう氏のいる位置まで上り、次に正体不明のテラス状の部分を歩き、その先端からのジャンプで、目指す坑口へ辿り着いたのであった。



 私は、はくちょう氏に続いてその梯子を登った。
上階へ通じる、たった一箇所、唯一の梯子である。下の方の数段がなぜがすっかり消失しており、最初はジャンプで取り付かねばならなかった。
そこだけが難所であった。前の写真で必死に取り付いている細田氏は、トリ氏と共に登るのを諦めたようだった。

 そうして登った上からは、外界から隠され見ることが出来なかった、水路の本来の吐水口を見ることが出来た。
かつて、広瀬川の水が勢いよく流れただろう、発電の門…。
どこからか持ち込まれたポリバケツが一つ、寂しげに転がっていた。



 また、この上階は愛宕山の斜面に接していたが、そこにも大きな闇が口を開けているのが見えた。
少なくとも、二つ。

 だが、この穴は鉄格子で封印されていた。
そこには扉さえなく、もう永遠に立ち入る事もないという無言の意思表示。
私は予感した。
この水路隧道について回っていた数々の“噂”が、どこから生まれてきたのかという、その源流。
朧気ながら、見えてきた。

 この水路隧道には、調べればはっきり分かる「水路である」という答えがあるにもかかわらず、それをさしおいて半ば都市伝説のように語られ続けてきた幾つもの噂があった。
レポートの冒頭でも触れているが、ある者は防空壕だと言ったし、またある者は古代の墓地だとも亜炭鉱山であるとも、そしてまたある者は、戦時中の高射砲の基地だったとも。
だが、墓地だと言う噂には、周辺に点在する横穴墓との因果を疑わないわけにいかないし、数々の横穴は鉱山らしい雰囲気を醸し出していたし、今度は、この上なく防空壕を匂わせる穴が発見された。
都市伝説にも、やはり由来があるのだ。火のないところに煙は立たない。



 苦労して登った上階からは、実はどこへも行けなかった。
少なくとも、水路隧道の内部へ地続きではなかった。
しかし、下から見たときに見つけていた、不思議に並ぶ2つの小さな坑口へ行くには、やはりこの高さが必要だった。
私は、その方向へと続く、まるで騙し絵の世界の中のような通路を、進んだ。

 ここにあるものは、何もかも意味不明である。無為である。空虚である。
私には、そう見えて仕方がなかった。
探索の興奮とはまた違う、不思議な固執に私は突き動かされていた。


 小さな2つの坑口まであともう2m。
だが、最後に立ちはだかる障害。
差し渡し1mかそこらの、虚空。

 写真で見れば容易い。限りなくイージー。

 しかし、私は仲間達が見守る中、緊張した。
飛び損なえば、数メートルの落下。骨折。
いままで、ありそうでなかった。
跳ばねば進めないという、状況…。


  とッ



全てが解き明かすため…


 私は、跳びを成し遂げた。
“誰か”のようにしくじれば、無惨な最期が見て取れただけに、緊張は当然だった。
だが、とりあえず私は成した。

 そして、いま背後にそれぞれ直角に交わる2つの小さな坑口が、口を開けていた。
覗いてみると、2つの穴は別々の方向を向いているように見えたが、中は同じ一つの空洞に通じていた。
採光窓のような感じだったのだろうか。

 午前10時15分、いよいよ、仙台愛宕“謎の穴”、最終章だ。



 遂に潜入、水路の出口。
かつてここを水が充たしていた名残は、壁に影のように付けられた汀線としてあるのみで、大量に堆積した落ち葉や、何者かが持ち込んだ大量のポリバケツが、本来の役目を離れてから過ごしたときの長さを物語っている。
 そして、そもそもこの水路は外部へ通じていないではないか。
これは、サイフォンのような機構がかつて存在していたと言うことかも知れないし、単にコンクリートの壁は後付なのかも知れない。
だが、おそらくは後者だ。
私が疑っている、水路跡の二次利用。
そのために、廃止後の水路はこのように蓋をされ、建物として使われたのではないだろうか。



 私が苦労して上の穴から入ってきたにもかかわらず、実は、下にある鉄扉の開けっぱなしになっていた通用口からも自由に出入りできた。

 まあ、いい。
「エキサイティングは買ってでもするべし!」と言うではないか。

 それよりも、私はこの写真をモニタで見た瞬間、猛烈に嫌なものを感じてしまった。
人一人が屈まねば入れない小さな通用口を塞ぐように、あるはずのない人影が……。
正直、画像の明度を上げてその正体を確認することが、怖かった。
メンバーの誰かだという保証が無いではないか… …この異様に小さな人影が……。



うわっ…

 はくちょう氏 かよ〜。


 コンクリートの壁に、おそらく落書きなのだろうが、英文の短いメッセージが記されていた。

 WHO DARES WINS

 "危険を冒す者が勝利する"

 英陸軍特殊空挺部隊のモットーとして知られている言葉である…。
意外に、軍事関係の施設として使われていたという噂は、こんなところに起因しているのかも知れない。

 扉をくぐって最初に入ることになる空間は、片側を出口の封じられた吐水口、もう片側が水路隧道に続いている。
8m四方位の広さがあり、水圧を調整するためのサージタンクとして使われていたか、或いは発電関連の施設があったのか、よく分からない。
ただ、単純に水路に水を通していたとしたら、段差のないこの広間は全て冠水していたはずだ。
その平坦な部屋の例外が一つ。
その片隅に、きわめて小さな下り階段が、口を開けていた。
(この穴も水路としては不自然な存在である。)

 外見上の迫力というか、気味の悪さは相当のものがある。
これを越える不気味さというのは、そうそう無いのではないか…。
そして、当然、私はここに入るのは嫌だった。
おばけなんかじゃない、酸欠が怖かったからだ。
毎年、マンホールの中で作業中の人が一酸化炭素中毒などで命を失っている事を、忘れてはいけない。




 それは、階段などではなかった。
たった2段の階段の下は、鉄の梯子が続き、更に地底の空洞に躍っていた。

 これを下るのか…。
きっと、行き止まりだと思うので、仲間達には待機して貰うことにした。
普段は完全な闇に閉ざされている空洞は、ライトで照らすと一面ゴミの山になっていた。
様々なものが落ちているようだったが、敢えて私は余り目を凝らさないよう心がけた。
万に一つ、見なくても良いような物を見つけてしまうような、そんな怖さがあったからだ。
大都会の地底、まず人の目に触れない場所……そこに隠されるものがあるとしたら……
不謹慎ではあろうが、ここで私が恐れた遭遇は、言うまでもなく、そう言う類のものだった。



 申し訳ないが、この水路の底の空間については、前述の理由ばかりでなく、もっと現実的に酸欠という恐怖があり、詳しい調査は出来ない。
だから、大雑把な報告にならざるを得ないが、例によってそれほど広い場所ではなかった。
 初め私が降り立った部屋は、一面にゴミが散乱しており、3m四方程度。
水路出口方向には、立って入れないくらい天井が低い一角があり、なぜかこの場所にだけ砕かれた煉瓦が大量に散乱していた。
また、コンクリの壁が焼けただれたように変色していた。
 一方、その反対側の壁には、中腰で入れる程度の一本の横穴が続いていた。
気乗りしなかったが、そっちへも行ってみた。



 心配そうに私を覗き込む仲間達と、常に言葉を交わしながら探索した。
異変があったら、すぐにでも助け出して欲しいなどと思っていたが、それは愚策。
おそらく共倒れだ。

 確実に言えることは、私は長居をしてはいけない。



 天井は緩い円弧、左右の壁は垂直、幅高さともに1m程度の、狭き通路。
入るとすぐに直角カーブになっていた。
ほんの数歩の出来事である。



 直角カーブが2回続き、通路は“コの字”型になっているようだった。
そして、その先の直線は見通し5m程で、なぜか床が1m以上低く窪んでいた。
必然的に天井が高くなる。
そしてここは一見、深く水没しているものと見えたが、それは目の錯覚であった。
いや、おそらくそう遠くない過去には、この黒い汀線より下は水没していたのであろう。
だが、なぜか水は殆ど引いていた。
どこへも排水口など無さそうだというのに…。 不思議である。



 いまも浅く水が溜まったままの通路。
ここを渡るために誰かが持ち込んだのか、ポリバケツやらビールケースやらが等間隔に並べられていた。
私にはこの上を飛び石の如く歩く必要はなかったが、そこまでして進みたいと思った先達の目的は、何だったのだろう。
たかが肝試しが人をしてここまでさせるだろうか。

 そして、この通路の最終地点は、1m四方の小さなプールだった。
そこで行き止まり。
汚い下宿の浴槽のような…。
覗き込むことに躊躇いを感じたが、見るしかなかった。ここまで来たのだから。


 その小さなプールには、透き通った水が縁の高さぎりぎりまで充たされていた。
天井にも、四方の壁にも変わったところはなく、この地下室が何のためにあるものなのか分からなかった。

 そして、私の目はこのプールにただ一つぽっかりと浮かぶ、真っ白な白粉の塊のようなゴルフボール大の物体に釘付けだった。
これは、一体何だろうか。
マリモ? んなわけない。
ゴルフボールが腐ったもの??
触ってみたら、何か分かるかも……。



 物体を、ほんの少し指先でつついてみた。
つつかれて一瞬沈んだ物体は、思いがけぬ高速回転をしながら、プカプカと浮かんで移動した。
そして、その身に纏っていた白い何かを水の中に拡散させた。
その鮮やかさに一瞬目を奪われた。
しかし、当たり前だが、その動きは物理的な常識通り、すぐに沈静化した。

 なにか、新しい都市伝説の“種”になりそうだ。
まだ我々が全く知らない何かが、この地底で“最初のひとつ”を、産み落としたのかもしたのかも……。

 私は、仲間達の元へと戻った。
この物体については、上手く説明できる自信もなかったので、今のいままで誰にも喋らなかったが、本当に なんだったのだろう?



ラスト200メートル


 さて、数時間前にやり残した、“あの壁の向こう”をやっつけよう。
これで、不快の極みだったこの穴とも、おさらばできる。

 午前10時19分、出口側から水路隧道へ再侵入。
鍵十字の悪戯書きと共に、隧道の大半を塞ぐようなブロック塀が見えていた。
我々は、その奥へ進んだ。



 ブロック塀の正体は、狭い隧道内に築かれた、個室の壁だった。
まるで廃墟になった海の家のシャワー室か、デパートの試着室のような、コノ字型に区切られたスペースがいくつも並んでいた。

 もはやこれは、水路としてあり得ない構造。
やはり、水路廃止後に何らかの再利用がなされたのである。
そして、それは電気を必要としていた。
隧道内に残る碍子や電線は、その時のものに違いない。
防空壕? 軍事施設? はたまた秘密研究所?!



 何とも言えぬ異様な雰囲気。
コンクリートブロックの塀と、鉄の柱でしっかりと区切られた内部。
むかしここに何があったのか。
厩舎?
現在のこの情景からは、ただ不気味さと、不快感しか伝わっては来ない。



 壁に穿たれた何かを据え置いていたらしい大きな凹み。
そこには鑿の跡が痛々しく刻まれていた。
どうやら、この辺りの地質は先の方よりもかなり固いようだ。
奇妙な台座のような構造には、どんな意味があったのだろう… 分からないことだらけである。
そして、手掛かりさえない。



 焼けた跡…。

 嫌な想像しかできない。
流石にメンバーの誰もが、不快そうだった。
みな無口になる。


 いくつ目かの個室。
その入口を塞ぐように取り付けられた、汚れたブルーシート…。

 猛烈に気持ち悪い。
人の気配が、あるような??
ま、まさかな。
でも、一人だったらこの先には行けなかったかも知れない……。



 少し捲れた隙間から、シートの向こうを覗く。

 見てはいけない気がした。
が、目は背けられなかった。
狭い個室のコンクリートのままの冷たい地面、その上に積み上げられた夥しい量の衣類、毛布、そして、雑誌。
壁に貼られた、ヌードポスター。
男だ。
だれか、男がここに暮らしていたのだ。

 …主はどこへ消えたのだろうか…。

全てがぐっしょりにと湿気を帯び、腐りつつあった。



 更に進む。
すると、これまで以上に荒れた一角に出た。
そして、個室の連なりは終わり、本来の隧道の光景が見えてきた。
また、水が溜まっているようだ。


 再びの水没隧道。
ここで、トリ氏が離脱。
はくちょう氏も付き添って撤収。
私と細田氏だけが進んだ。

 全長1400mと言われる水路隧道。
もう残りは100mもないはずである。
私も細田も、全然楽しくなかったが、全てを終えてスッキリしてしまいたいという気持だけで、折角泥の切れたズボンを再び濡らした。



 様々なものが、この隧道が果たした第二の役割について、我々に語りかけようとしていた。
しかし、もうその声は我々に聞き届けられなかった。

 この隧道は、キモチワルイ。

 早く出てスッキリしたい。


 壁。

 脇の隙間を通って、貫通。

 午前10時26分、最初の穴へ。

 そして無事生還。



 仙台の地底に潜む、大正時代の水路隧道。
だがたった10年間の“正史”後に、まだ我々が知らない歴史がある。
そのことだけは、分かった。


 いまも、あの泥の感触は、忘れられない。