ついに「コワシ」の穴へと踏み込んだ我々の前に現れた分岐。
しかし、パタ氏のライトの前に、左が行き止まりであることが判明した。
念のため終点を確かめようと接近する二人。
そこには、明らかに人工的に塞がれたような木の壁が立ちふさがっていた。
残るは、右の穴だ。
はたして、我々はどこへ向かっているのだろうか?
天井に、たわわに実るコウモリ達の群れ。
動きはない。
ただ、近づけば、口をぱくぱくと開け、ピンクの口蓋と可愛らしい牙が覗く。
一人だったら、こんなに冷静に観察できなかっただろう。
パタ氏は言った。
「かわいい」と。
すばらしい余裕だと思った。
行き止まりの左の穴を、分岐点へと戻る最中、ついにこの穴の正体に関する、重大なヒントを掴んだ。
いや… ヒントどころか、そのものズバリだ。
途中の壁に、チョークで書かれたらしい、消えかけの文字。
そこには、こう書かれていた。
5号集水坑
ほぼ決まりだろう。
この穴は、隧道内部で湧出する地下水を集める為の横坑だったのだ。
ただ、現在では多量の水で半ば水没しているとはいえ、流水の気配はなく、利用されていないのかもしれない。
いずれにしても、この穴の中には、本線隧道にあった落書きなども一切見られないことを含め、この穴の正体を示していると見て良いだろう。
分岐に戻った我々は、右の穴へと進んだ。
こちらは、パタ氏のライトで照らしても行き止まりは見えてこない。
また、水深が一段と深まり、飛び石状の足場もなくなっている。
故に、長靴が必要となった。
構造自体は、左の穴と同じであり、立って進めない低い天井が続く。
天井には相変わらずコウモリ達がぶら下がっている。
本線隧道に比べて、集水坑は明らかに気温が高い。
本線には常時風の流れがあるのに比べ、狭い集水坑の空気に流れはなく、その温度差は熱気に感じるほど顕著だ。
最初に立ち入った時など、私は温泉でも湧出しているのだろうかと感じたほどだ。
コウモリ達が越冬の場として選んでいるのは、もっともなことだ。
こちらは想像以上に長く続いている。
しかも、左右に緩やかな蛇行を示しつつ、なかなか行く手を明かそうとしない。
洞内に反響する二人が水を蹴って進む音。
外部からは600m以上遮断された地中の狭き空洞に、我々はいた。
そのことを考えるたびに、私の体が興奮に火照るのだ。
分岐から進むこと4分間。
実際に歩いていた時間は、その半分くらいだったと思うが、長い回廊の奥に終点が現れた。
やはり、隧道は唐突に木の壁によって塞がれている。
閉塞の手前30mほどは、洞床の水たまりも浅く、または地面が露出している。
正確に計った訳ではないが、本集水坑の規模は、本線隧道から分岐まで20mほど、左が分岐から20mほどで終点。
右は分岐から80mほどで終点だ。
左が「5号」だとすれば、右は「4号」か「6号」なのか?それとも一連の集水坑全体で「5号」なのかは分からなかった。
いまここに、闇の奥に秘められた狭き横穴の全容が解明されたのである。
全体的に、物理的障害は少なく、誰でも探索は出来よう。
ただし、ライトだけは三重位の備えが欲しい。
万が一、この横坑の内部で明かりを失った場合、貴方は発狂するかもしれない。
ここが、絶対暗黒の世界だからだ。
ただ、二人が心残りだったのは、いずれの穴も、壁によって塞がれていたことだ。
コンクリートで目張りされ半ば半永久的に閉鎖されてしまった集水坑が、元来は我々が侵入してきた旧隧道に付随した施設ではないことは明白である。
すなわち、これら集水坑は、旧隧道から地中を30mほど隔てて並走する現在線の「新大釈迦トンネル」の設備であろう。
それは、旧隧道と集水坑の接合部が不自然な破壊形状であったこと。
また、そこに書かれた「コワシ(=壊し)」の文字や、集水坑コンクリートの状況の良さなどから断言できる。
この壁の奥には、現在線の2240mトンネルがその長躯を闇に侍らせているものと想像できる。
想像する以外に、無いのが悔しかった。
パタ氏は言った。
現在線の隧道に立ち入れないだろうか?
私は言った。
「(正気か?) …無理だろう。電車が10分に一本は通過しているし、リスクが大きすぎる。」
私は正論をぶったが、旧隧道の待避坑に幼い落書きを残した連中は、もし彼らの残した日付が真実であれば、同じようなリスクを背負って入洞していたことになる…感心するやら呆れるやら…。
終点で達成感と、少しの悔しさを肴にその空間を満喫する我々に、迫る影があった。
それは、壁一枚隔てた鉄路上を猛スピードで駆け抜ける、見えざる鉄獣である。
微かな地鳴りが狭い洞内を包んだ時、私ははカメラの録音機能を即座にスタンバイし、その時を待った。
こうして録音されたのが、次の音声である。
この音声が、今我々がどのような位置になるのかを、如実に語ってくいた。
このリンクをクリックすると、その音声を聞くことが出来る。
(注意)容量:74KB ファイル形式:wma
再生には、 WindowsMediaPlayer などの再生ソフトが必要です。
再生には、 WindowsMediaPlayer などの再生ソフトが必要です。
音が最も大きくなる直前、微細な振動が我々を包んだ。
それは、しばし続いて、我々をバイブレーションしたのである。
私の大釈迦に於けるマキシマムエキサイティングであった。
来た道を辿り、脱出を図る我々。
この様な集水坑が、密閉された状態で他にも残されているのだろうか?
だとすれば、なぜ、この穴だけが、旧線の隧道に穴を穿ち、接続していたのだろう…。
閉ざされた何かが、光を求め厚い壁を崩したのか…。
そして、閉ざされし時を振り返り、“5号集水坑”を記したチョークで、「怖し」と、恨みを込めて…。
そんなあり得ない妄想が、光の元へたどり着くまで私の脳裏に反芻した。
本隧道では、実際に建設中の落盤事故で、12名が一時閉じこめられたと言うが…。
その恐怖たるや、想像を絶する。
最初に入り、そして今、最後に出る。
コワシの穴との決別。
最後に一つ。
私は洞内にて一つの物を、失った。
それは、青い手袋の片手。
狭い洞内でポケットから落としたにしても、探して見つからぬはずがないのに…どうしても見あたらなかった。
青い手袋をもし、洞内で拾った人があれば、ご一報頂きたい。
もし、洞内以外で発見したという人があれば…
… 怖いので、そのままにしておいてください。
左の穴の終点で、デジカメの電池を交換した際に、壁から突きだしたパイプにかけておいたはずの手袋。
この直後、無くなってしまった。
帰りにもう一度この場所を探したが、見あたらなかった。
一体、私の手袋の片割れは、どこへ消えてしまったというのか?
こうして、長かった地中の旅が、
ただ一つ謎を残したまま、 終わりを迎えた。
完