7:22 《現在地》
隧道出口から歩くこと20分(書き忘れていたが、竹藪を見たときにどうせ引き返すのだからと、チャリを乗り捨てていた)、距離にして500mほど進んだところで、ついに尾根に到達し、同時に房総スカイラインとの合流地点が現れた。
やはり、この廃道は房総スカイラインに合流していたのである。
この合流直前には、かなり高い鉄製の柵とゲートがある。
向こうは有料道路なので、何らかの方法で封鎖されているだろうことは予想していたが、単なる封鎖ではなく施錠されたゲートであるところに、まだこちらの道も完全に無視されているワケではないことを感じた。
地図から消えた廃道と、今を生きる房総の大幹線。
この2つの意外な邂逅は、私をかなりワクワクさせた。
この高いゲートの向こうでは、廃道など意に介さぬ人々が、平和に車を走らせている。
生きるためにはまったく必要ないそんな知識に自惚れる辺り、はじめて「山チャリ」をはじめた15年以上前から、私はたいして進歩していない。
楽しいんだから、しょうがない。
なお、柵の辺りは既に房総スカイラインの敷地であるらしく、「道路公社」の境界標がそこかしこに建っていた。
房総スカイラインは千葉県道路公社が建設した道で、現在も料金の徴収業務を行っている。
しかし路線としては歴とした県道であり、千葉県道92号「君津鴨川線」の一部である。
ゲートおよびその両側の柵は高いだけでなく、有刺鉄線で乗り越えられないようになっていた。脇にも隙はない。
そして向こうにあるのは有料道路で、全長10kmの途中には一箇所も信号がないため、法定速度以上の速度で車は駆け抜けている。
当初構想のごとく清澄山系を横断するのであればいざ知らず、それを諦めたこの道は、実質的に「スカイライン」という名の産業道路なのである。
はっきり言って、この柵はヤバい柵のような気がする。
でも、房総スカイラインというのは自動車専用道路ではないから、自転車も有料で通行できるし、歩行者に至っては無料で通行できるはずである。
まあ、途中まったく歩道など無いので、料金所で歩行者は止められるかも知れないが、法的にはなんら問題ないはずなのだ。
ということでスカイライン側に出るべく、
柵に沿って左の藪に分け入ると、
意外なものが……。
あ、あれは…
なんと合流地点の脇は、小さな墓場だった。
しかしあたり一帯は既に森と同化しており、
苔生した墓石の中には倒れているものもあったし、それを木の幹が支えているようなのもあった。
供花の一輪もない、物寂しい忘れられた墓地である。
墓石に刻まれた年号を見ると、明治末から大正、昭和初期までで終わっている。
かつてはこの近くに寺院でもあったのだろうか。
地形図によると、付近の集落はいま来た二入のほか、
ここから真っ直ぐ山を下った所に、東日笠もある。
おそらく後者の方がより“裏山感覚”で、ここに墓地を置いていたかもしれない。
集落を見下ろす所に先祖の墓を設けるのは、よくあることだ。
数メートルの隣ではアスファルトをバンバン車が駆け抜けているのに、
なんとも時の止まったような一角だった。
妙に脇に長いバリケードだとおもったら、実はこんな風になっていた。
ちょうどこの場所で道は2本に分かれ、左は今来た二入への道、右は東日笠へ下る道だったようだ。
右は調査していないが、元もと車道ではなかったようで、左と違ってフェンスで完全に塞がれている。
そして、この2つの道の間の出っ張った所に、小さな墓場があったのである。
冒頭の巨大な隧道の存在もそうだが、この墓場の存在によっても、これが単なる林道ではなく、集落同士を結ぶ生活道路だったことが感じられる。
なお、柵に一枚の看板が取り付けられているが、意外にも「立入禁止」などではなく、「ゴミの不法投棄禁止」だった。
こちらは千葉方向。
チャリを持ってきていれば、このままスカイラインを進んでしまっても良かったのだが(料金を取られるが)、今回は置いてきたので戻らなければならない。
新旧地形図を見るまでもなく、いままで辿ってきた道は、この先ではスカイラインに呑み込まれている。
そしてその旧道の起点は、図らずも房総スカイラインと一致している。
それはここから3kmほど先の、東粟倉地区である。
レポートは省くが、向こう側にも僅かに旧道が残っていた。
こうして、房総スカイラインの一部区間が、明治以来の古い車道を改築したものであったことが確かめられたのである。
振り返って、分岐地点。
房総スカイラインの料金所は起点である東粟倉にしかないので、
もしこのゲートが開いていれば、料金を払わずに済む抜け道になっていたところだが、
そうは問屋が卸さないのであった。
廃道を突き詰めたので、満足して来た道を戻りはじめると間もなく、ちょうど朝日が真っ正面に来ていた。
これが竹叢に没してしまうまでの数百メートル、眼を細めて歩く景色はとても清々しく、改めて廃道がときおり見せる優しさと美しさに酔ったのだった。
さて、こうして往復1kmほどの“朝の廃道探索”は幕を閉じるのだが、その後の簡単な聞き取り調査も成果を上げ得ず、解決できないままになった問題は以下の通り。
1.なぜ隧道はあれほど大きな断面を有し得たのか。
2.隧道は明治期に開鑿された当初から、現在のサイズだったのか。
3.廃止の経緯はいかなるものであったのか。
このうち最後の問いだけは、高確率で房総スカイラインの開通が廃止の直接の原因であろうと推測できるが、残りは今ひとつはっきりしなかった。
まあ、あらゆることに明確な理由を求めようというのは無理があることで、単に「大きくても良いかなぁ」くらいでがつがつ掘ったのかも知れないが、やはり理由を探してしまう。
今後再聞き取りの予定もあるので、ご期待いただければと思う。
遅い朝日を待つ “房総の大石隧道” こと、
二入隧道(仮)。