じつは、事前に『山形の廃道』管理人fuku氏からの情報を提供頂いた際にも、この上部隧道の話は出ていた。
そして、この穴というのは、
最初に掘られたものの、水位が下がり取水ができなくなったために放棄された跡
と、伝わっているものだとだという。
確かに、そのように記載された朝日村の関係資料を目にすることもできた。
だが、
この点にも、私は疑問といわざるを得ない!
まさか、260年という時間で、これほどに水位が低下するだろうか?
もし、上部隧道が取水できるほどの水位だとすれば、今よりも優に3mは高い。
…あり得ないだろうと、私には思えるのだ…。
そもそもが、全く見当違いな水路計画であったのだろうか…?
木々を手がかりにして、上部隧道の坑口へとたどり着く。
ほぼ垂直な崖であり、転落には十分に注意してほしい。
私も、結構ヒヤヒヤした。
そして、この写真は上部隧道から見下ろした河原の様子。
この高さまで喫水していたなどと言うことは、常識的には考えられない…。
さて、坑口側に向き直ってみると、
なんと、穴はそこから両側に続いていた。
どうやら、見えていた坑口は、下部第一洞の途中にあった横穴のようなものだったらしい。
陰性の植物が密かに茂る洞内へと、一歩を踏み出す。
まずは、上流側だな…。
そこにあったのは、下部の隧道よりも一回り小さな、中腰でなければ頭を打つくらいの狭い隧道だった。
やはり、支保工などの痕跡はいっさいなく、岩盤を鑿で削ったままの姿である。
ちょうど下部隧道とは数メートル離れた場所を、平行していると思われるが、洞内接続はない。
むろん、水路であったのならば、高低差のある両隧道が接続しているとは考えにくいのだが。
ライトを奥へ向けつつ、静かな洞内を一歩一歩踏みしめる。
そう、ここまでは、静かだったのだ…。
これは、私の大好きなモヤシだろうか?
すぐ傍には、クルミのような殻の破片も落ちており、これらに関連性はないのかもしれないが、おそらくは鳥が運んできた種が、たまたまこの暗い地下で発芽したのだろう。
とはいえ、永く育つことは、おそらくないと思うが、しばらく後に行ってみて、洞内一面がモヤシ畑になっていたら、それはそれで気持ち悪いだろうな。
洞床の様子は、下部隧道とはやや異なり、土っぽさがある。
おそらくこの違いは、上部軌道にはいっさい水流が生じないことが大きいのだろう。
ちなみに、この洞床にはただひとつの足跡も、見られなかった。
fuku氏が仰られたように、本当に上部隧道に進入した者は、もう相当に長い間いないのかもしれないと思った。
入洞から15m。
振り返ると、まだまっすぐ先に、淡い緑の光を漏らす坑口が見えていた。
この先、隧道の様子は、想像外の変貌を始める。
意味不明な小刻みなカーブを描きながらも、総じて川に沿った方向へと進む上部洞。
中腰姿勢が続き、さすがに圧迫感は禁じ得ない。
やや幅が広くなった様に見えるだろうが、それは目の錯覚である。
実は、天井がさらに低くなったのだ、そのせいで、中腰からしゃがみ歩きに変わらざるを得なくなった。
ますます、人が通る穴ではない様相を増し始めた上部洞に、「先客」の姿が、ちらほら見え始めたのが、
“きっかけ”だった。
最初は、奥に数匹ぶら下がっているなという認識。
でも、自分が進む以上は、奥にぶら下がっているモノは、やがて頭上に接近してくる。
すると、この日の彼らは非常に活発で、すぐさま不快感を露わにキーキー鳴くとともに、けたたましい羽音を耳元にはためかせ、さらに奥へと飛び去っていったのである。
これまで、多くの隧道で出会った彼らは、多くは眠ったまま微動だにしなかったが、(例外もいくつかあり、そのうちの一つは「二井山隧道」である。真夏は活発なのか??やはり)今日はただ事でないムードを感じた。
彼らを奥に押しやりながら進むと間もなく、洞内分岐が現れるではないか!
さらに姿勢を低くして、彼らを刺激しないように留意しつつ前進。
分岐の一方は外部へと続いていたが、土砂が堆く積もっており、脱出は不可能。
いったいここが何処なのかは、下部一洞途中の上部なのだろうが、ハッキリとはしない。
おそらくこの小さな穴も、彼らの格好の通用口になっているに違いない。
逃げ道を失った形の私は、そのまま奥へと前進せざるを得なかった。
彼らとのスキンシップは好まないが、やむを得ないだろう。
そして、ここからコウモリ好きには至福、
一般の私のような者には、不快な時間が始まった。
横穴を過ぎると、奴らの密度は一気に増した。
そして、いずれも活発な反応を示し、見る見るうちに、飛び立ち始める。
まさに、蜂起の様相を呈してしまったのである。
その上、仁井山隧道と決定的に異なるのは、ここは中腰が精々の極狭の隧道であるという点だ。
もはや、飛び交う彼らを避ける術はないのである。
最初のうちは、彼らも冷静に私を避けて飛んでいたようだが、
蜂起状態になってからはパニクったか、
ボトボトぶつかってくる!(笑)
今写真に写っている、まだ天井にとまっている奴らも、私が進むにつれて皆、飛び立つことになる。
進めば進むほど、猛烈なアタックが続発するのだ。
頭を抱えながら、早足でしゃがみ歩くが、奴らも私の強烈ライトがイヤなのか、私の侵入自体のイヤなのだろうが、かなり激しく抵抗しているように感じられた。
もう耳元から鼻面から、背筋まで、至る所に感じる羽音、伴う風、鳴き声。
そして、肌と肌の、ふ れ あ い 。
だが、私も負けじとフラッシュを炊いて撮影をしまくる。
なにせ、こんな接近ショットは滅多に撮れるモノではない!!
おかげで、トップページに紹介したときにも「ベストショット」と絶賛された左の一枚が撮れた。
これぞまさしく、下手な鉄砲…の撮影であった。
この場所で撮れば、誰でも撮れるって、絶対。
未だかつて無い、コウモリとの肉体接触隧道。
冷静になれば、まだ坑口から50mも進んでないはずだ。
でも、やや下部一洞よりは長いようである。
いっこうに収まらない蜂起を無視して、なお前進した。
進むほどに狭くなり、もうしゃがみ歩き以外にないほど天井が迫る。
地面には、白い斑点のようなものが生じており、おそらくそれらはコウモリたちの排泄物に生じたカビなどだと思われる。
以前の二井山隧道では、獣のような猛烈な臭気に鼻を顰めたモノだが、今度はそれほど気にならない。
私が慣れた?
いや、おそらくは自信の慢性鼻炎が進行し、ほとんど臭いをかぎ分けられなくなってしまっただけだろう。
とりあえずは、ここではそれにも救われる。
この狭さだ、これで臭かったら、さすがに滅入るに間違いない。
隧道は、ぐねぐねと蛇行しつつ、続く。
やっと行く手に光が見えてきた。
なんと、上部隧道も閉塞はしていなかったのだ!
このころになると、彼らとのスキンシップにも慣れ、顔面にぶつかってきても気にならなくなっていた。
この隧道内だけで、それこそ数十回のアタックを食らったのだから。
そして、彼らの蜂起も、終息を迎えつつあり、大概が行く手にある出口から脱出した様である。
振り返ると、そこには一匹の姿も見えなかった。
数百、いやおそらく数千匹はいただろう大群は、真夏の晴天に放り出されたことになる。
…すまん。
熱気がもわっと頬に感じられる出口。
水路であったといわれるが、とてもそのような痕跡は感じられず、何故にこのような2階層隧道となったのか、私には分からない。
本当に、水面から3m以上も高いこの穴にポンプもモーターも無い時代に通水しようとしたのだろうか?
それとも、実はこの先何キロも上流から、取水する計画だったのだろうか?
脱出してみると、そこは下部水路の上の崖の中腹だった。
ここから降りおることは難しく断念したものの、位置的には下部二洞と三洞の合間あたりと思われる。
一番驚いたのは、その先には続くような水路痕はなく、ただ切り立った斜面が続いているだけであったことだ。
さらなる隧道も見あたらず、果たしてどのような取水計画があったというのだろう?
水車だろうか??
ちょっと、江戸時代のテクノロジーは想像ができない。
私は、こうして上部隧道もまた通洞していることを確かめた。
ここから降りることができないので、気は進まないが来た穴に戻った。
しかし、今度は本当にコウモリ一匹いなくなっていた。
あれほどたくさんぶら下がっていたのに…。
そして、上部洞の横穴地点に戻った私は、まだ確かめていない穴があることを思い出した。
そう、この目の前の穴だ。
横穴よりも下流側の先がどこへ通じているのか、それを確かめなければならないだろう。
立って入れる高さもあり、もう一がんばりとばかりに、いざ入洞する。
そして、
これが最後の、へぐりのまんぼだ。
上部・下部洞ともに、下流に行くほど天井が高い傾向がある。
余裕で立って歩ける高さがあり、下部一洞と同程度の内空間がある。
そして、実はここに立ち入った瞬間に、今までにない違和感を感じていた。
それは、なにやらモワッと暑いのだ。
普通は、地底に進めば外気よりも涼しいのが常識。 だが…。
この洞穴、果たして何かがおかしい!
果たしてどこへ通じているのだろう?
もうすでに、下部一洞の下流側坑口よりも下流へと進んだ(50mほど)と思われるが、ぐねぐねと蛇行する、まるでダンジョンのような穴が続くばかり。
そして、いくつ目かのカーブを曲がった先には、再び、彼らの姿があった。
元々こちらの穴にいたものか、それとも、先ほどの私の襲撃から避難した奴らなのか。
すでに彼らは洞内をせわしなく飛び回っている。
早くも蜂起状態なのだ。
そして、足下にも変化があった。
猛烈な泥濘である。
それは、瞬く間に私のブーツを飲み込んで、ズボンの裾を汚した。
さらに、この泥は狭い洞床の一面に一様に堆積しており、コウモリたちが多くぶら下がっているだろう中央部の真下に当たる部分だけが、まるでティラミスのように黒い色に変化している。
これは、この大量の泥の主成分は、
お、おそらく、
彼らの糞尿なのではないだろうか…。
進むほどに下っていく洞内は、それに従い、泥の深さも増していく。
私がヌッタラヌッタラと、その泥をかき混ぜながら進むほどに、彼らの蜂起は激しさを増すようでもある。
それでも諦めずに一歩一歩進むが、いよいよ足取りは重くなっていく。
この異様な熱気…、まさか、大量のメタンガス?
生物には詳しくないが、危険な予感を感じた。
地底でこの暑さは、紛れもなく異常なのだ。
まるで、チョコレートを流し込んだような洞内の様子。
写真は、振り返って撮影したもの。
私の足を引きずったような痕跡が、深く刻まれている。
おそらく今も、残っているだろう。
むろん、私の前に足跡など一つもなかった。
壁に身を預け、少しでも浅い場所を探りつつ、一歩ずつ進んでいく。
しかし、泥の丈は増すばかりで、しかもほとんど水を含まない、タールのような粘性の高いそれは、もう私の足を離してくれようとはしない。
も、もう限界…。
入洞から50m
ここで、無念の取材断念である。
もう、一歩も進めない。
無理に足を進めれば、靴を引きはがされ、転倒すれば身動きができなくなる、最悪は窒息のおそれも。
ライトが無ければ完全なる漆黒、行く手には明かりも、風もない。
ただ、さんざめくコウモリたちの羽音、警戒音。
パニックの彼らは、激しく泥濘に突き刺さり、まるで竈に落ちた蛾のように激しくのたうち回っている。
この辺が、私にとっても、この地を安住の地とする彼らにとっても、折衝の限界であると感じた。
隧道はどこ知れず続いていたが、もはやその先を探ろうという意欲は、かつて無い特殊な状況に気圧され、消散していた。
私は、この地点で進行を断念し、撤退を余儀なくされたのである。
へぐりのまんぼ、完全解明ならず!
簡単な地図を用意した。
図中に示したが、実はもしかしたら上部洞の行く手にも関係するかも知れない怪しい発見が、既になされている。
それは、おそらく直線距離では100mも離れていない下流の国道沿い民家の軒先に、岩肌に扉を拵えた場所が一カ所あるのだ。
以前から、貯蔵庫か何かだろうと思っていたが、位置的には、あの扉もまた、横穴の一つである可能性を捨てきれない。
現時点では、これ以外には、隧道出口と思われるものは発見されていない。
だが、河原を詳細に調査すれば、これ以外の発見もあり得ると思う。
内部探索には、かんじきが効果的である可能性もある。
しかし、綺麗好きの人にはつらい隧道である。
コウモリ好きにも、果たしてどうだか。
260年の時を隔ててよみがえった、なぞの水路洞穴群。
謎を秘めたまま、いまもなお静かな河原に無数の口を開けている。
まだ未発見の何か(財宝?!)が潜んでいる可能性も、完全には否定できない。
へぐりのまんぼ、
山行がを破りし、謎の穴。
完