隧道レポート 大仏公園 謎の穴  終夜

所在地 青森県弘前市石川
探索日 2006.12.14
公開日 2006.12.21

城墟ダンジョン

最後の通路


 時刻は午後4時45分。

広間の最も低い位置、殆ど床にめり込むようにして口を開けた穴。
いきなりの匍匐前進と言う展開は、「通路2」とよく似ている。
心臓は、既にバクバクもの。

 これが、最後の通路。


 瓦礫を肱で掻き分けながら、泳ぐようにして最初の匍匐地帯を突破。
この通路も瓦礫が満ちており、かつて一度は塞がれようとしたのかもしれない。
戦のさなか、落城を悟った南部家の家臣達が、抜け穴から殿さまを逃がして後自ら埋めたのだろうか。
いくら何でもそれは無いか。

 しかし、なぜ坑口を塞ぐ手間をかけながら、内部にもまた塞がれたような痕跡が多数残っているのだろう。
通路は左にカーブしながら、下り始めた。



 床の瓦礫は姿を消し、しゃがみ歩きの出来る通路が復活した。
これが本来の姿であったろう。
しかし、この周囲の壁は白っぽく、しかも沁みだした地下水で濡れている。そして、触れると白いセメントのようなものが付着する。
この様子はいかにも崩れ易そうで、気を遣わせられる。
もっとも、引き返すほかに安全策など何もないのだが。



 珍しく幅のある通路、緩く下りながら左にカーブし続けている。
ここは床にうっすら水が溜まっており、また白っぽい壁はフラッシュがよく反射して、結果こんなに明るい画像が撮影されていた。

 そう。
実際に探索しているときには、いちいち撮った写真をモニタで再生して確認したりなどしていないので(ましてこんな場面では)、帰宅後にPCの大きな画面に再生してみて初めて気がつく事や、驚くことも少なくない。
この画像には、目を瞠る白さだけでなく、別の驚きが秘められていた。

 はたして、この金属の得物のようなものは、一体何だろう。
現地では、写真ではこんなに目立っていながら、全然気付かなかった。
いや、マグライトの黄色っぽい灯りでは、それもやむを得なかったと思う。
隣にある、猛烈に腐食した空き缶の方は、まあ良い。
この持ち手の付いた金属の棒……。

 まさか……。


 背中の擦れ合うような天井にぶら下がった、一匹のコウモリ。
この洞穴内のコウモリ達は、なぜか群れておらず、しかも絶対数が少ない。
糞の量から考えても、そう多くは棲息していないようである。
この地を住処として見つけた彼らは、稀少な存在なのかも知れない。
絶対的に天敵の現れぬ暗闇で安心しきっているのか、私の息が懸かるほど近付いても、微動だにしなかった。
しかし、その艶のあるからだ、柔らかな胴体、ほんのりと温かくて……  めんけ。



 オゥ……


 やっぱり…・・・。

ここに通じていたか…。

忘れもしない、あの「地底のクレバス」。
私が最初に足を踏み入れ、危うく滑り落ちそうになったのは、この向かいの穴からだ。
あんなに滑ったのも頷ける。
なにせ、その穴から滑ってきた砂が崖下に大量に堆積して居るではないか。
まさか本当に罠だったのか?!

 しかし、こちら側からならば、比較的安全に下の通路へ下りることが出来る。
遂に、洞内完全解明への道が開かれたのか!



 時刻は4時48分。
この場所は「十字溝」と名付けよう。
溝の底には、左右に口が開いている。

 私は、この溝の底へ降りることには、少なからず抵抗があった。
この辺りには全くといっていいほど空気の流れが無く、ましてこれ以上低い位置に行くというのは、尋常ならざるものがあった。

 だが、このまま溝の底の通路を見ただけで引き下がると言うのも、悔しかった。
この両方の通路の終わりさえ確認できれば、私は晴れてこの洞穴の全ての通路を解明することになる。
そしたら、どんなに晴れ晴れした気持ちになれるだろう。

 私は1mほどの斜面を下り、「通路」へと進んだ。



下層 「通路A」

 たー

 こうもりキター!

 これまでで最も下層部にあるこの通路。
幅に対し天井が低く、匍匐とまでは行かないが土下座の姿勢で進む。
ここでも、一匹のコウモリが私を驚かせた。

 通路にはいると、既にすぐ先に十字路が見えていた。
この十字路は正確にはT字路であり、正面と右には更に通路が続いていたが、左は窪んでいるだけだった。
まるで、更に掘るつもりがあったかのように…。



 また、正面の通路も交差点から10mも行かずにぶっつりと行き止まった。
周囲の壁にも、特に不審な点はなかった。
また一つの終わりの壁に接し、すなわち探索の完遂が近付いた筈なのに、直前で別のルートを一本見いだしていたこともあって、殊更喜びはなかった。

 交差点に戻り、残る通路へ進入する(写真左)。
この通路は左へカーブしていて見通しがなかった。
写真には白い蒸気が写っているが、これは自分の吐き出した息だ。
非常に強力な明るさを持つ「現場監督」のフラッシュの副作用だ。
このカメラを風のない洞内で使うときは、5秒ほど呼吸を止めてからというのが、鉄則なのだ。



 ジャガイモ大の土に汚れた瓦礫が、再び洞床を埋め始めた。
その先に待ち受けていた景色は、遂に瓦礫によって完全に塞がれた通路だった。
一度その終わりまで這い蹲って進んでみたものの、抜け穴はなかった。
何者かが塞いだに違いない。
ここは、早期に採掘が中止された廃坑なのか、あるいは、部外者に触れられてはならぬ何か秘密があるのか…。
分岐からここまで20m程度だったと思うが、歩いて進むことが出来ない洞内では、その距離あたりの濃密さが半端でない。



 「通路A」では、この洞内の探索で初めて、「もっと先がありそうだが入れない」という場面に遭遇した。
だが、いまはそれさえも喜んで受け入れよう。
いよいよ次の通路で、この洞内を全て辿ったことになるのだ。心晴れやかにこの洞穴から脱出することも出来るだろう。
はじめ、奧の広間に4本もの分岐を見つけたときには、この地底空間はキリがない気がして萎えたが、いまや、その終わりは確実に見えはじめていた。

 今度こそ、最終通路  進行!



 螺 旋


 午後4時53分、再入洞から約23分が経過した。
この通路の終わりさえ確認できれば、晴れて帰還できる。
そんな期待を持って望んだ通路だったが、目の前の光景は、私を捕らえて離さなかった。

 そこには、まるで螺旋のような下り坂が見えていた。
フラッシュで照らされた写真は美しいが、手持ちの細い光源だけで見るこの光景は、心底心細いものがあった。
なにせ、急な下り坂である。
足下を照らせば行く手は闇の中、行く手を照らせば足下は暗闇…。
しかも、再び砂の流れるような滑らかな斜面なのである……。



 終わった!!


 私はほっとした表情を見せたに違いない。
だが、よく見ると、突き当たりだと思った壁の左に、細い抜け穴があった。
何故こんな構造になっているのか不明だが、これはただの窪みなどではなく、本当に先へ通じていた。

 何をきっかけに引き返せるか。
そんな姑息なことを考えつつあった私だが、これではまだ、その理由は十分でない…。




 いま下ってきた斜面を振り返る。

この大量の砂は、なぜここにあるのだろう。
そう言えば、この洞内ではただの一箇所も支保工と言えるものが見当たらない。
それだけ岩盤が安定していたと言うことだろうか。
また、松明をかざしておく為の凹みらしきものも見当たらず、当然電気を引いていたような痕跡もない。
灯りは…手持ちの松明だけに拠ったのだろうか…。

 ここが鉱山だとしても、その不自然さは拭いきれない。



 横穴は狭く苦しかった。
普段なら、「こいつは大ネタだ!」などと写真を撮りまくっている所だろうが、あいにくこの時はそんな余裕はなかった。

  …この展開……

 どーにかしてくれッ!

どこまでも下っていく……。
おいおい、この下にもちゃんと空気はあるんだろーな!

横穴1mを突破すると、そこからまた螺旋のような下り。
正確には螺旋と言うにはあたらない。横穴を挟んで180度カーブを2つ組み合わせた“S字カーブ”だ。




 ファイナルフロア?


 4時56分、何度かカーブして、一際天井の低い場所へ出た。
いや、「出た」というのは正確な印象ではない。
最初は一本の通路をひたすら下っているつもりだったのだが、ここがあまりに狭苦しく、しかも行く手を遮るように大きめの岩塊が現れ始めたことから、特に強い不安を覚え、それで振り返ったのだ。
すると、真っ直ぐ後方に続く、別の通路が見えた。
私が下ってきたのはこの通路ではなく、左の窪みの奧に続く斜面だった。

 そして、結果的にこの通路(下層通路)は、いまもって私の侵入を受けていない。
あまりに瓦礫の散乱がひどく、また精神的な抑止力もあって、立ち入れなかったのだ。





 これらの地図がどのくらい正確か、私には検証する術がない。
複雑に分岐し、しかも3次元的に展開する洞内。
方位磁石は一応持っているが、それを使ってマッピングしたわけでもなかった。
あくまでも、洞内の景色から現地で即席に描いたものだ。
だが、もし大きく間違っていないなら…
この通路が行こうとしている場所は、おそらく、
探索の最初に平川沿いの市道脇に見つけた「塞がれた穴」なのではないだろうか。

 大仏公園は一つの山というか丘だが、そのてっぺんの水準点の標高は97.4m。
私が進入した崖の穴の標高は大体80mくらいだと推定される。
そして、市道脇の塞がれた穴は50mくらいだ。
その高低差は30m程度… さっきの急峻な下りを考えれば、そのくらいの比高は十分考えられる。
そして、向かっている方角も明らかに東寄りである。

 塞がれた坑口へと下っているのか。
だとしたら… この先の展開には、余りにも希望がなさ過ぎる!


 狭い!
おそらく、このように極端に狭い場所はどこも、後世に埋められかけた場所なのだろう。
その証拠に、そんな場所の床は、いつも瓦礫が散乱している。
一方で天井は素堀の割りに整然としている。
いや、もしこの天井の安定感がなかったとしたら、とっくに引き返していただろう。

 ライトに照らし出されるのは、2〜3m先の悲痛に狭い空隙。
瓦礫と堅そうな岩盤に挟まれた、僅かな僅かな隙間。それが唯一の通り道。
数万トンの岩盤の無言の圧力を背中に感じながら、自分の荒い呼吸音と、足蹴にされた瓦礫が奏でる衝突音だけを耳に、なお這い蹲るように、または仰向けに平べったくなって、進む。
そうだ、まだ俺は進む。
不安と恐怖に押しつぶされそうになりながら、なお進む。


 壁に鮮明に残された鑿の跡。
深い部分の岩盤はどこもかなり固かったのか、黒っぽい壁の随所に苦労の跡が偲ばれた。
間違いなく、手掘りによる隧道だ。



 これは別に、写真に大きさの分かる比較対象物を出そうとして足を伸ばしたわけではない。
成り行き上、足を前にして仰向けで進む体勢となり、その時に撮影したものだ。
しゃがみ歩きが出来る高さすら既にない。
メットも付けずに来たことを少し後悔した。

…あと、酸素は平気なのか……。
それをずっと気にしていた。



 最も狭い部分は5mほどであった。
そこを突破すると、本来の断面が現れた。
が、これもしゃがんで歩くのが精一杯で、中腰は不可能。
そして、相変わらず下っている。
しかも、結構な角度である。
もうかれこれ上の広間を出てから、ずっと下り続けている。
自分のじゃりじゃりと砂礫を擦る音が、この長い一本道の通路でよく反響した。



 水ッ!

下り続けた通路の“私にとっての結末”は、期待された閉塞壁よりも先に来てしまった。

確かに、最下層の通路はいままでで一番湿っていたし、最後の方はチョロチョロと音さえ立てないものの、僅かに水流もあった。
そして、その結末は、回避不可能な地底湖だった…。

ここにも一匹のコウモリが、身じろぎもしないでぶら下がっていた。
こいつの目と体を借りて先を見に行きたかった。



 靴が浸水しないギリギリまで進んでみたが、もう決着は付いていた。
しゃがみ歩きしかできない高さの洞窟が、下りながら水面の洗礼を受けている。
この状況が意味することは、ただ一事。
進行不可能と言うことである。
推定だが、市道脇の出口まで続いているとしても、なお50〜100mの延長は有るはずだ。
市道側から入ったとき、最初が下りっぽくなっていたことを考えても、そしてこの写真の光景を見ても、洞窟はもっと下るのだろう。

 私は、もうこれ以上進めない。



 水面が天井まで達するのは、見えなかった。
先が再びカーブしているせいだ。
それを見届ければ一番スッキリしただろうが、あいにくこの状況で湖に浸かって進むのは嫌だ。
ヨッキれん一人で出来る、これが限界だ。
城墟地下の極細洞穴、下りに下って辿り着いた、暗黒の地底湖。
もうそれだけで、心細すぎる。怖すぎる。

 私は遂に、自分自身へ開放令を発令した。
撤収開始時刻、午後5時ちょうど。
細田氏と別れて30分を経過していた。




 遁 走

 淀んだ渚と別れを告げ、踵を返したその瞬間。
闇しかないはずの背後から、呼びかけられた。
私は一瞬凍り付いた。
それは、人の声と間違えるような音ではなかったはずだが、全く想定しない素っ頓狂な高音が、耳元に聞こえた。
ぱこ〜〜〜ん というような、もの凄く抜けの良い音だった。

 それはおそらく、私がふと水面を蹴った音が反響したものに過ぎなかったが、とても不思議な聞こえ方だった。
谺ならば波のように繰り返し聞こえるが、ここでの反響は、たった一回だけ。
しかも、もとの音より遙かに高音となって、しかも大きく聞こえてくる。

 水面と天井とが、徐々に近付きながらやがて一つになる。
そんな特殊な状況によって生み出された、不思議な反響だったように思う。



 この一事で、私の心のバランスは不安定になった。
妙に耳の後の辺りが熱を持って感じられた。
焦りに突き動かされ、私は帰り道を急いだ。
無様な不協和音をかき鳴らしながら、岩を蹴って、払いのけて、よじ登って地上へ急いだ。



 十字溝から出口へ最短の斜面も、無理やりよじ登って攻略した。
このとき私の動きは、怯えた鼠のように素早かった。
あの地底湖から出口のすぐ近く、洞内最初の分岐地点まで、ほんの2分で帰ってきていた。
息を乱しながら、駆けずってきた。
用が済んだのだから洞外で待つ仲間を早く安心させたいという気持ちもあったが、なにより、長居無用の気持ちだった。


 逃げてきたのだ。 



動画

 洞内では、一つだけ、いまでも不思議に思えることが起きていた。

 それは、洞内で私は4度ばかり動画の撮影を試みていたのだが、帰宅後映像を確認してみると、そのうち2度は撮影開始から2秒ほどで唐突に終わっていた。もちろんそのような操作をした覚えはなく、考えられるのは電池切れの症状だったが、その後も撮影は問題なく行われた。
また、1度はファイルサイズ0という、どうしょうもないゴミファイルを造っただけで、これは再生さえ叶わなかった。

 たった一本だけ持ち帰ることが出来た動画は、最後に撮ったものだった。
本当に探索の最後の最後、入口付近の通路を駆けずっていよいよ脱出を図る場面だ。
もとより光源が乏しく映りは最悪だが、宜しければ見ていただきたい。
しゃがみ歩きで走る私の姿が想像できるだろうか?

 →動画(約1mb、avi形式)



 午後5時04分、生還!

 おまたせー、細田〜!

 やったー。 オブ・ジャーーーんぷッ!!



 いま思うと、最下層には他の部分と異なる特徴があった。
余裕が無くて写真を撮れなかったことが心残りだが、それは、ゴミの多さだ。
しかもそのゴミは、子供が持ち込みそうなもの… お菓子の袋や空き缶であった。
それらは、ビニール以外の部分は思いっきり腐食し、空き缶にもラベルが読み取れるようなものはなかった。
だが、現状ではもっとも接近が困難な最下層にばかりゴミが多いという状況。
また逆に、現在唯一進入できる崖の穴付近には全然ゴミが見当たらない事を勘案すると、やはり、昔は市道脇の穴が開いており、下層部はそこから比較的容易に接近できたのではないかという推論が成り立つのだ。

 これ以上のことは、再調査に拠らねば断言しかねるのだが……。

 また、ある読者が以前、麓の林檎畑で働く老夫婦の口から、「入口が2箇所、出口が6箇所…」という、摩訶不思議な謎かけのような言葉を聞き出している。


 大仏公園の地下には、まだまだ我々の知らない無数の空洞が存在しているのかも知れない!!