おかげさまで、最近は皆様から日々多くの情報をご提供いただいており、私自身が地図や地誌と睨めっこして探さなくても、それなりに探索のネタが集まるようになってきた。
しかも、多くは地元の方から寄せられるそういった情報の方が精度も深さも上であるから、私の仕事はますます少ない。
だが、オブローダーならば忘れたくはないのが、事前に情報の無いモノを、地図一枚で探す興奮だ。
今回は、伊豆半島の南の端からお送りするのは、そんな “なつかしい” スタイルのレポートである。
【周辺地図(マピオン)】
左の旧版地形図(大正15年5万分の1「下田」)を見て欲しい。
場所は下田市の西に接する南伊豆町一條で、伊豆半島の南端にも近いエリアだ。
赤い○で囲んだところに描かれているのは、隧道の記号に他ならない。
しかも、珍しいのは隧道が破線の道に描かれているということだ。
破線、すなわち徒歩で通るような道に隧道があるとしたら、それは…。
隧道の中でも希少な人道専用の小規模トンネルか、或いは車道用が荒廃してしまった「廃隧道」に近いものではないかと考えられるのである。これがセオリー。
しかもなんと嬉しい(?)ことに、いまの地形図で同じ場所を見てみると…
隧道も道も全く何も描かれてない!
跡地が宅地などとして開発されてしまっている様子もなく、まさに廃道&廃隧道の在処としてはもっとも上等な状況を、この新旧地形図の対比は示していたのであった。
発見できれば、存在自体がレアな大正以前モノが確定する場面…。
これは、行くっきゃないっしょ!
廃道へ行き始めた頃は、どこへ行くにも感じていた。
これは変なプレッシャーとかの全然無い、純真無垢なワクワクだ。
2010年の初探索は、ここでキマリ!
2010/1/14 9:28 《現在地》
今回は道の駅下田に車を停めてきているので、後顧の憂いは全くない。今日は存分にチャリと足とでこの一帯を探索する予定。
そして、ここが旧地形図にある破線道の東口だ。
左に見える立派なアスファルトの道は静岡県道119号「下田南伊豆線」で、脇を流れる川は一条川、そして奥に見える小さな橋が私の進むべき道である。
目指す隧道は、対岸の家並みの裏手に見える、あの低い山の中にあるらしい。
坑口までの想定される距離は、せいぜい500mほどであるから、気軽な探索である。
例の旧地形図をゲットした2週間前から焦がれていた場所に、いざマイル!
最初に一条川を渡る橋はなんとも質素なもので、親柱に銘板はおろか、欄干さえ無かった。
だが、対岸にある数軒の家々はいまも健在であるから、その唯一のアクセスルートである橋も重要なライフラインである。
その事を味わう間もなく、あっという間に渡ってしまったが。
最新の地形図では、橋を渡った先にはもう全く道が描かれていなかった。
だからいきなり廃道が始まる事も覚悟していたのだが、実際にはひび割れたコンクリートロードが続いていた。
写真は橋を渡って20mほどのところにある分岐地点。
正解は真っ直ぐで、右は行き止まりだった。
真っ直ぐ行って1軒目の家を過ぎると、道幅が早くもやばい状態になった。
一応軽トラが通れる幅でコンクリート舗装がされているのだが、轍のあるべき場所はすっかり苔生していて、中央にシングルトラックが刻まれている。
い い 感 じ に、草臥れてきた感じだ。
橋を渡った後は、せいぜい3軒くらいしか家はなかったと思う。
気付いたときにはもう山道が始まっていたが、それでもまだ“軽トラぴったりフィット”の舗装路が続いている。
路肩などという余裕はないので、ここを走りこなすには相当熟練した車体感覚が必要となるだろう。
しかも、そこまでして突き進んだ先に待ち受けているのは…。
ん? 何かあるぞ。
道は申し訳程度に広くなっているが、とても軽トラが方向転換できるスペースではない。
しかも、路肩の方は路盤が宙に浮いてしまっているではないか。
まるで“板チョコ”みたいな薄っぺらなコンクリートの路盤は、罠であるくせに妙に整っていて白々しい。
ここは、行き止まり?
“けもの道”的なものはまだ続いているっぽいが、少なくとも車道は終わっているぞ。
……。
ここまで道が曲がりなりにも整備されていたのは、最後の一軒がここにあったためらしい。
となれば、ここから先はいよいよ廃道となるのも自明なわけで、これは期待通りの展開と言って良い。
9:32 《現在地》
現在地はすでに入口から200mほどは来ているから、残りはこの倍くらいの僅かな距離であるはず。
ちょっと冒険になるが、チャリも持ち込む事にしよう。
仮に隧道が抜けれなくて戻ってくることになっても、そんなに大変じゃないだろうしな。
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廃道が始まった!
なんか、いきなり “濃い” 廃道。
別に険しいわけでもないし、藪が深いわけでもないのだが、道の痕跡がとても乏しいのである。
廃道がどうのと言うよりは、元々の道も廃道とあまり違わないような程度だったのかもしれない。
…きっとそうだ。
破線で描かれていたというのは、車道が荒廃して歩道になったのではなく、元々歩道程度の道だったのであろう。
これはオブローダーの中でもさらにマニアックな嗜好かも知れないが、廃道も大艦巨砲主義ばかりではいけない。
こういう里山のささやかな廃道というのも等身大の魅力があるし、そういうローカルな廃道に隧道があったとなれば、それがどんなモノか興味深い。
これは無理に盛り上げようとして言っているわけではなく、こういう人が歩くために作られたような道に隧道がある(あった?)というケースは珍しいからだ。
隧道というのは、道路造りの中では最も距離ベースでの手間とコストがかかるモノである。
出来れば作りたくないはずだが、それでも敢えて隧道が必要となるのは、勾配に耐えられない車両交通のためだというのが大半なのである。
人が通るためだけのトンネルというのが今日、地下道や遊歩道を除けばほとんど無いことからも、私の言っていることが嘘でないと分かるだろう。
なぜ、こんな見るからにド・ローカルな場所(失礼)に、大正時代以前から隧道が存在していたのか。
車道じゃないとなると、いよいよ謎は増すばかりだ。
9:37
廃道に入って5分後の状況は、川。
写真中央のいかにも砂利道みたいに見える部分は、おそらくただの涸れ沢であり、道じゃない。
道はたぶん右の藪の中を通っているのだが、倒木と下草のコンボがきつくて、チャリを通すことが出来ない。
そこでやむなく川の中を通っている次第。
9:47
で、その10分後。
まだ藪の中にいる。
たかが10分ではあるけれど、ちょっと不測の事態(笑)。
なにせ、廃道が始まった時点で隧道まで2〜300mと踏んでいたにもかかわらず、未だそれらしき物に出会えていないばかりか道自体もほとんど見失っているのである。
まあ、地形は一本筋の沢で分かり易いので、進路はロストしていないはずだが……。
侮りガタし。
どこが道かもほとんど分からないような谷底なのに、しっかりあります道の痕跡。
古き廃道の定番商品、「割れ欠けの小皿」である。
ローソンが“山崎春のパン祭り”で可愛い小皿をプレゼントするなら、我がモーソンは“山行が春の廃祀り”でこんな情念混じりの小皿を差し上げたいわ。
冗談はさておき、戦前の廃道ではどうしてこうも陶器の小皿を見るんだろう。
昔の人はこういうお皿を持って、山を歩いていたのか?
それとも山で仕事する人が使っていて、その落とし物なのか?
昔から気になりつつも、今ひとつ納得できる答えが見えないこの“小皿問題”。
皆さんのお知恵を拝借したい。
続いてはレアグッズの登場か!?
一瞬、ゴングかと思ったが、まさかそんな物が落ちているはずもなく。
ステンレス鍋の蓋だろうか?
光沢が残っていて古さを計りづらいが、表面に刻まれたこの刻印が気になった。
で、滅多にお持ち帰りをしない私だが、この蓋らしきモノを自宅へ連れてきてしまった(笑)。
これまた、あなたの鑑定をお待ちしている!
9:51
出発から20分ほどで、これまで辿ってきた涸れ沢が尾根にぶつかって四散した。
セオリー通りならば、隧道の在処はこの地形に違いない。
地形図もそう教えている。
だが、私は相変わらず道を見失ったままだ。
というよりも、幅1mにも満たない歩道は、沢と森の交わりの中で散り散りになってしまい、痕跡を留めていないのだろう。
正直、がっくり来る展開ではある。
だが、本当の正念場はこれからだ。
次にすべきは、この広々斜面での隧道捜索!
次回、あなたは“異形の穴”を目撃する?!