JR奥羽本線 院内・及位間の廃隧道群
借り手は現れるのか?!
秋田県 雄勝町院内
 
 現在、『秋田県内の廃トンネルの完全制覇』というなかなか達成し難い目標を持って探索を続ける私だが、今回紹介するこの隧道群と出会うまでは、“鉄道の旧トンネル”は、調査対象外であった。

 それが、方針を転換して“対象”としたのは、この隧道が気に入ったからである。
以下に、紹介したい。

 なお、この隧道群については、以下のサイトで廃線の経緯等を含めた詳細が紹介されております。
当レポートの作成時にも大変参考にさせていただきました。

⇒ http://homepage2.nifty.com/tilleulenspiegel/index.htm …『 NICHT EILEN 』  作者様には、本当に感謝です!




 右の地図は、雄勝町院内から雄勝峠に至る一帯である。
今回の主役は、国道13号線ではなく、併走するJR奥羽本線である。

 1966年に地図上で青で示した1600mが、赤で示した新線に切り替えられたそうである。
複線化の工事によるものらしい。
(なぜ、新線を単線で作り、旧線も上下線の何れかとして継続利用することをしなかったのかは不明。そうしたら、コスト浮きそうなものだけど…)

 それでは、現地のレポートに移ろう。





 旧線跡へは、国道13号線から入る。
ちょうど、県境へ向けて国道を走ると、途中二度、鉄道の下をくぐるのだが、この一度目の交差地点に、写真の入り口が有る。
特に標識などは無いが、ほかに紛らわしい分岐も無いので発見は容易だ。


 鉄道と国道とはずっと併走しているが、この旧線跡とは高度差が10mほど有る。
旧線跡は、土手のような盛土上にあり、ここに登る短いのぼりが、急だ。
しかし、すぐに旧線跡に出会う。(写真右)

 ここまで登って来た道は、旧線跡を十字に切って、さらに山中に上っていくようだが、入った事は無い。

 さて、旧線跡に立って、南を見る。
(旧線跡は北にも少しあるのだが、余りにも草道になっていた為に、後回しに…)
土手のような道の向こうには、目を凝らしてみるとコンクリートが見えている。
 あれはもしや…。

 早速出現したトンネル。
この時点では、まだ名称は不明(そもそも慣れない鉄道トンネルということもあり、事前の知識は非常に少なかったのだ。)。
 しかし、初夏の日差しに萌える緑の奥に、独特の存在感がある。
なんていうのかな、…
洞窟とか廃トンネルとか、灯りの無い暗闇が日の光の下にある時、必ず感じる違和感。
一際濃密で、凝縮された暗闇の持つ不思議なパワー?
うまい表現が見当たらないが、いずれにしても、すっごい存在感が、この緑の奥から伝わってくるのだ!
惹きつけられる! ゾークゾクするぜッ!



 ばーーーーーーーん!!
 キタキタキタキターーーーーーッ!!!
入り口からは、出口の明かりが見えない。
一応、車が通った形跡があり、路面は締っているようだが、暗い!

 やや迫力に気圧されながらも、トツニュー。

 入ってみると、左側にカーブしていて、すぐに出口の明かりが見えてきた。
どうやら短いぞ。

 内部は、まるで機械の内部のような、異様な様相。
鉄筋の巻き付けが、蛇腹のように白と黒のコントラストを作り出しており、無機的とも有機的ともいえない有様はまるで、ギーガーの世界のよう(エイリアンっぽい。)
もともとこういう造りなのか?
謎の光景であった。

 ひんやりした空気が嫌に居心地悪く、枕木の下に敷くような馬鹿にデカイ砂利に車輪を取られながらも、そそくさとココを突破した。
…なんか、この隧道、空気が刺々しいぞ?!(いつものように洞内の空気に浸る気持ちになれなかった)



 脱出!!

なんかホッとした。

さらに旧線跡の踏跡は続いている。
先に進む前に、振り返って見ると…。

 やっぱ、ぶきみー。

でも、ここで一つの発見が。
竣工時に設置されたと思しき、銘版が、坑門に設置されていました。
 それが次の写真。



 ここではじめて、この廃隧道の名前が判明。

岩崖ずい道 
 形式 : 特1号型
 延長 : 103,63m
 竣工 : 昭和32年11月10日

“特1号型”って…、チンプンカンプンでしたが、人さまの知識を借りますれば、これは、「交流電化に対応した」の隧道と言う事らしい。
しかし、この隧道が廃されたのは、1966年、すなわち、昭和39年である。
すると、なんとこの隧道、わずか7年足らずの現役であったのか!

…いや、そんなはずは無い。
この区間が営業を開始したのは、奥羽本線全通1年前の、明治37年に遡るではないか。
すると、この銘版の表記は…、上記「特1号型」に改良された、その改良工事の竣工と言う意味のようである。

 しかし、ここでもう一つの問題が。
せっかくの「特1号型」だが、実際にこの区間が電化されたのは改良工事竣工の16年後である。
それは、複線の新線が開通した9年後ではないか。 …工事は、無駄だったの??




 先に進むと、まもなく、次のトンネルが現れた。
それは、トンネルというよりかは、雪崩覆い(スノーシェード)のようだ。

 ちなみに、ここで一人のオヤジに遭遇。
絶対、わざとらしい驚きと、「どっからきたー?」、そして、「ぬけれないや。」の、3点セットで迎えてくれると思ったが、うざかったので(笑)、さっきのトンネルからここまではす少しばかり駆け足でした。


 内部の様子。
個人的には、この旧線跡で最も気に入ったのが、この景色でした。
付け足しを繰り返されたと思われる、変則的な構造で、短いのに、迫力があります。
繰り抜かれた壁面から入り込んでくる強い朝日が、斑に汚れたコンクリに描く影は、どこかオリエンタルな優美さを醸し出しており、これまたひとつ、“廃美”と言うものに魅せられてしまった。



 スノーシェードを抜けると、いよいよ踏跡は不明瞭になってきます。
しかし、旧線跡は地形的に容易にそれと分かりました。(鉄道跡は、殆ど真っ直ぐなので)



 ついに、現在の線路と合流です。
この先は、残念ながら、私の領域では無いし、すぐ脇を走る国道に下りる道も無いようなので、引き返しにかかります。
ちょうどそのとき、見慣れた奥羽本線が通過していきました。
写真撮ったのですが…、焦っていたため、手にぶら下げていたHandyGPSばっかり写ってました。  却下!



 引き返し、再び、旧線へ登って来た道との十字路まで戻りました。

 今度は、南側の攻略です。


 最初、敬遠しただけあって、北側に比べ踏跡の植物がスッゴイ元気イッパイ!(笑)
プニプニと葉っぱを掻き分け、ほんの少し進むと、早速現れましたる隧道。

 進入ううう!!


 これは、トンネル?
それとも、スノーシェード??
微妙。
延長は50mほど。


 壁面の繰り抜きから外を見ると、そこには、すぐそこに国道の路面が。
なかなか見られないアングルである。


 で、脱出。
するとそこには、現線路が。
こうして見ると、やはりトンネルのようだが、ハテナ?

 引き返しにかかろうとしたその瞬間、足元から嫌な感触が。
恐る恐る、当時の愛車の“爆弾”であった、リアディレイラーを見てみると…。
…あーーあ、やっぱり。 (←ご想像にお任せします。)

 ここでのアクシデントが、この日、「松ノ木峠」「新沢平林道」「直根林道」と経て、最後に自走不能となった、その端緒であったのです。
そしてそれは、愛車の、最期でした。
この故障を結局克服できず、彼は、逝ったのですから…。

 正直、なんか嫌な予感したんだよなー。岩崖隧道で。
こじ付け?かな?




 私の、この場所でのレポートは以上です。
どうにもまだまだ知識不足で、鉄道の廃線跡を堪能する術を知らず、また、その魅力を十分にお伝えできないのがもどかしいのですが、いやはや、ヤッパリ廃されたものに、惹かれますな。


補足です。

 国道から、この旧線を見上げたのがこの写真です。
ちょうど、一番北側のスノーシェードが写っています。

さらにもう少し国道を院内方向に南下したところで、こんな看板を発見しました。
それが下の写真です。



 どなたか、借りてみませんか?
もし私なら…、うーーーーん、「使い方工夫次第いろいろ」なんて書いて有るけど、せいぜい倉庫だよな。
さすがに、ローソンの物件にはならないだろうし。
酒も、菌糸も、ウドも、もってないしなー。(左に挙げたものは全国各地の廃トンネル跡を活用しています。)
しかし、一つ言いたい。
「L=110m」って、不正表示だよ。
実際は104m弱しかないじゃないですか。四捨五入しても、110mにはならないでしょ。
…んなこといっても始まらないか、ぽよよんぽよよん。

2002.9.3

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