そして、その内部へと誘われるように踏み込んだ。
果たして、どこに通じていると言うのか。
隧道は、決して長い物ではない。
入り口に立った時点で既に出口がすぐそこに見えており、20mほどの延長しかないだろう。
隧道独特の冷気も余り無く、風の通り道となっているようだ。
内部の様子はご覧の通りで、完全な素掘り。
露出しているのは天井も側面も足元も全ておんなじ様に見える岩盤であり、巨大な一枚岩をくり貫いた隧道のようだ。
直線の隧道だが、内壁は凹凸が激しい。
特に私が入洞した南側坑門付近は、自動車も通行できるのでは無いかと思えるほどに広い。
ただ、この部分は多数の瓦礫が堆積しており、自然に崩落した結果、洞内の容積が増えただけのようにも見える。
このように崩落が進んでいる形跡があって、いつ大崩壊を迎えるかは分からない。
ただ、地山自体は一枚岩と言うことで強度がありそうなので、完全に崩壊することは無いかもしれない。
素人考えだが…。
一体この隧道は、誰の為に掘られた者なのだろう。
太平山地と言えば真っ先に思い浮かぶのは森林鉄道や軌道用の隧道だが、手持ちの資料ではここにこれらが存在したと言うものはない。
また実際に現地の地形を見ると、とても鉄道が登ってこれるような感じはしない。
もちろん自動車用の道とは考えられないし…。
かといって、徒歩で利用するだけにしては、心持ち幅が広すぎるような気もする。
隧道の先にこの謎を解くヒントがあることを信じて、出口を目指す。
あっという間に通り抜けることができるが、ちょっともったいぶって、振り返り入り口の写真を撮る。
いかにも手掘りらしいいびつな坑門だが、坑門自体が土砂に埋もりつつある感じは無い。
坑門の向こうには、滝を囲む擂鉢状の急な斜面が続いていて、道の痕跡は全くない。
これまでのどの廃隧道とも異なる、異様な状況である。
出口の先には、なんとフェンスが見える!
ということは、やはり道が続いていると言うことなのか!?
それに、岩盤の裏側には何があるのだろう?
慎重かつ迅速に歩みを進め、再び外の世界へ。
フェンスの向こうには、先ほど崖をよじ登ってあれほど距離を置いたはずの沢が、勢い良く流れていた。
流れの速度は左から右へ、徐々に自由落下に近付いていた。
ここは、まさに滝の落ち口そのものであった!
興奮して落ち口を望む。
これは、望遠で撮影した物ではない。
肉眼で見たのとほぼ同じ眺めである。
落差20mの小又大滝を、このような位置から眺めることになろうとは、想像だにしていなかった。
この決定的な景色と、滝へ落ちぬためと思われる場違いなフェンス。
これらを前にして、この隧道の用途として考えられる可能性は、一本に絞られつつあった。
ずばり、観光用の遊歩道なのではないか。
ただ、どうしても腑に落ちないことがある。
フェンスで沢と隔てられた道は、隧道からほんの10mほどで、行き止まりとなったのだ。
フェンスが尽きると同時に、道も尽きる。
その先には、ご覧のように狭く険しい沢が続くのみである。
現実問題として、この沢を無理やり遡行する事は可能かも知れないが、フェンスや立て札など、多少は安全対策に考慮していると思われる“滝観覧用遊歩道”の姿としては、どうしても腑に落ちない。
もしかしたら、対岸に渡る橋が流出してしまっただけなのか?
そうかもしれないが、その痕跡も、対岸に道らしき姿も、認める事はできなかった。
本当にここで行き止まりなのだろうか?
謎が残ったが、この沢を濡れずに渡る事は困難と判断された上、仮に沢を渡っても、滝の高さ分の高度は稼いでいるとはいえ林道までの比高は大きい、しかも相当に急である。
以上のことから、これ以上の進行は断念した。
歩道の終点から隧道を望む。
やっと少しだが隧道の全体像を掴めるような写真をお送りできた。
深い峡谷の底であって、辺りは湿り気を帯びている。
ここは、まるで密林のような深い緑に隔てられた人外の世界であった。
たどり着く道は、今のところ…
この隧道のほかに知られていない…のか?
それにしても、見れば見るほどに場違いなフェンスである。
でも、かつて私を惑わせた“行けず”のフェンスと立て札は、一つの線で結ばれた。
やはり、そこには道があったのだ。
ただし、想像以上にたどり着きにくい場所ではあったが。
さて、再び隧道をくぐり下流側の坑門へと戻った。
無事隧道の探索を終えた安心と開放感から、少し無理をして(オイオイ)こちらの坑門の遠景を捉える試みを行った。
不安定な足場の中、必死に体をひねったりして撮影した精一杯の写真がこれだ。
岩盤が露出している部分が坑門である。
正確には、坑門の額の部分か。
如何に険しい場所に口を開けているのかお分かりいただけただろう。
下りは来た時に登ってきたガレ場を敢えて避け、草に覆われた急斜面を強引に滑り降りた。
実は、余りこの辺りの草や地面には触れたくないのだが…。
この一体は、全国でも特に山ヒルが多いもんでね。
昔から、どうしてもヒルは好きになれないんですよ。
何度も喰われてますしねぇ。
写真は滝壺付近から降りてきた斜面と、隧道が隠れる岩盤の眺め。
このような場所に隧道があったとは、驚く以外にない。
再び沢を渡り、急な、急過ぎる登りを、林道へと向かう。
その途中、木々の隙間から白いカーテンのような滝や、隧道が貫いていた岩盤が少し遠くに見える。
少し距離を置いてみて、ますますその有り様の特異さが際立つように感じた。
これにてレポートは終わりだが、謎は残った。
隧道と、その前後にフェンスや橋、立て札などを誂えた道は、なぜ、どことも通じていないのか。
そもそも、何のために人跡未踏といっても差し支えのないような絶壁に隧道が掘られたのか。
もしこれが観光の為だとしたら、なぜ建設が中断したままのような状況になっているのか。
少なくとも、10年前も同じ状況であったことを裏付ける貴重な写真が出てきた。
それは、保土ヶ谷氏と共に初めてここに来たとき、図らずも見つけたこの滝の大きさに圧倒され、思わずシャッターを切った写真のうちの一枚であった。
それは、アングルから考えて、右の写真とほぼ同じ位置から撮影したと思われる。
まずはご覧頂こう。
この写真は、確か4月頃に撮影された物であり、辺りには所々残雪も残っていた。
さて、肝心の隧道だが、左中央付近に、白い点のような物が見えるだろう。
これが、立て札である。
そして、この立て札のすぐ右上にぽっかりと空いている丸い穴が隧道に間違いないであろう。
さらに、そこから雪解け水で豪瀑と化した滝の落ち口に視線を動かすと、うっすらとフェンスの青が見えるではないか。
大概の植物がないおかげで、現地の地形が手に取るように分かる。
隧道の全体像は、現地に立った私ですら、立体的に複雑な地形に惑わされ判然としなかった部分があったが、この写真によって明らかになった。
当時この写真を見たときは、さすがに隧道が存在していると言うことには気がつかなかったが。
最後に、この隧道の正体について有力な情報が寄せられたので、紹介したい。
それは、「秋田市ふるさと名所百景」という本の中で、小又大滝を紹介する部分に
「滝の中段には切り出した木材を馬で運ぶのに利用したといわれるトンネルが残され、かつての人々の暮らしぶりをしのばせています。」
という記述があるそうだ。
これが事実であるならば、この隧道の正体は、林業用の通路だったということになる。
急峻な地形ゆえ、森林軌道も延びることのなかった小又川上流部での切り出しでは、馬力が利用されていたというのも頷けるが、一帯いつ頃まで利用されていたのかなど、興味は尽きない。
なお、最後になったが、この情報をほぼ同時期にお寄せ頂いた「FTDティー」様と「せんぶり」様に感謝の意を表し、レポートを終わる。