2007.3.31 8:50 【逗子市小坪 住吉神社境内】
戦国時代の山城があったという小高い丘の南向き斜面の一角、訪れる人も稀な住吉神社の境内に、その穴は果たして実在した。
これが、数十年前の地形図には記載されていた隧道なのだろうか。
正直言うと100mばかり、地図上の位置とは異なる感じもするのだが…。
まあこの程度なら、当時の地図の正確性を考えれば誤差の範囲と言えるだろう。
坑口の前で目を引く存在は、この水の溜まった直径60cmほどの円形の穴だ。
溜まっている水は泉の底から湧いているのではなく、岩場からしみ出した水がここに流れ込んで溜まっている。
おそらく、それを見越してこの穴は水溜として掘られたものだろう。
ここは城跡と言うことで、どうしてもその関連の中で物事を考えたくなるが、単純に住吉神社の御手洗の泉として掘られたと考えるのが自然だろう。
或いは、住吉さんと言えば海の神様であるから、境内に海原を模して泉を設けたのか。
いずれにしても、隧道とは直接関連はないだろう。
では、内部へと進入する。
一切塞がれていないどころか、立ち入り禁止の立て札一つ無い。
これでは子供も喜んで入っていきそうだが、何も危険はない穴なのだろうか。
むしろ、拍子抜けするほどだ。
地図では100mほどの長さで描かれていたが、とりあえず狭い坑口から出口の光は見えない。
内部で曲がるか、或いは勾配でもあるのだろうか。
古くは大正時代の地形図から記載されているほどだから、人力だけで掘ったに違いあるまい。
また、その後現代に至るまで、人以外が通行したことも、おそらく無いだろう。
ちなみに私も、神社の石段の下にチャリは置いてきてしまった。
まあ、どうせ通り抜けは出来ないのだから構わない。
山の反対側は、マンション工事現場なのだから。
内部は意外に乾いている。
周囲は粘土質の岩盤で、良く安定しているようだ。
特に崩壊している箇所もなければ、亀裂なども見あたらない。
そして、結構な勾配(5%程度)で上っている。
その断面は円形に近く、平均の幅が1.5m、高さは2.4mくらいだろうか。
狭いは狭いが、人以外が通らない穴だとすれば十分なサイズである。
廃隧道なのかどうかもはっきりしない感じで、今も使われていると言われればそれも信じられるくらい。
特に荒れていないから、こういう隧道に不慣れな人でなければ特別に恐怖を感じることもないだろう。
ただ、何故か行く手に明かりが一切見えないのが気になる。
この風通りの量と空気の乾き方、土臭くなさからから考えて、向こうが見えないような崩壊があるとは思えないのだが…。
それに、崩壊していればいくら何でも立ち入り禁止になっていそうだし。
おわっ! なんぞこれー…。
入口からここまでおおよそ30m。
ずっと上りではあったが、何故かここで急に勾配が増すと同時に、左にガクッと曲がっているようだ。
隧道は粘土層の中をくり貫いているから、地層の模様がはっきりと壁に浮き出している。
そして、これが概ね水平に近いと言えば、洞内の勾配の激しさがわかると思う。
う… うーむ…。
何ともいえぬこの くねり。
よく言う「胎内洞」の様な雰囲気か…。
しかし、この「立体的なシケイン」のような構造は、一体何だろう。
敵の侵入を防ぐための罠?
いやいや… これはきっと…。
私には、経験的にこれがなんなのか、ピンと来るものがあった。
苦労して掘られただろう方々には大変申し上げにくいのだが……
まあ、はっきり言えばさ、測量ミスだよね。
この立体シケイン部を、「測量ミスによる摺り合わせの結果」と考えた場合の、その誤差の大きさ目測から試算してみよう。
右の写真は、シケイン部の先から振り返って撮影したものだが、画像にカーソルを合わせていただくと見易くなる。
こうやってみると、やはり明らかに二本の直線を地中で強引に結びつけた形状であると分かるのだが、その誤差は鉛直方向に約1m、水平方向には2m近くにも達している。
そして、隧道は全長が50mにも満たないほどであったから(もうすぐ背後に出口あり)、その誤差率というものは水平方向に関して4%にも及ぶことになる。
全長が短かったからまだ、両側から掘られた穴はズレながらも地中で邂逅出来たが、もし全長がこの倍あったら錯綜していたに違いない。
出口の話をしてしまったので、「もう終わりかよ」の声が聞こえてきそうだが、紹介してしまう。
シケインの10mほど先で、木壁で塞がれた坑口に辿り着いた。
結局、全長は50mを満たすかどうかと言った程度で、地図で測ったより半分くらいしかないような気がする。
しかし、この出口が塞がれていたことで、とりあえず隧道が「通行止め」であったこと、そして一応は「廃隧道」だったことが分かったので、苦労して捜索した私の気持ちは満たされた。
通り抜けが出来ないのは残念だが、この薄壁の向こうからはこれまでで最も近くに建設機械の音、そして作業員達の声までもが聞こえるので、無茶は出来ない。
出口を塞ぐ壁には、洞内を歩いてきたチャレンジャーに対しての説明書きがあった。
ご丁寧なことで。
しかし、このあとマンションが出来たりしたら、本格的に埋め戻されやしないだろうか。
私は、それが心配である。 とても。
先ほども書いたように、壁の向こうには人の気配がある。
だから、壁を叩いたり押したり蹴ったりと言うことは慎まねばならない。
だが、壁には外へ通じる隙間があって、どうしても気になる。
通り抜けは諦めるにしても、せめて外の景色を確認したい。
どんな坑口なのかを知りたい。
私は奥の手として、地面に這い蹲って片腕とカメラだけを外出させる策に出た。
そうして撮影された写真がこの2枚。
左は、地平の高さから望む坑口前の景色。
どうやら、土道の掘り割りになっているようで、しかも木々が道に覆い被さるように生えており、とてもいいムードだ。
ここがマンション予定地だなんて、悲しい。
落ち葉がかなり堆積しているのは、ここ数年通る者がなかった証拠だろうか。
この景色の記録として、これが最後の写真かもしれない。
右の写真は、腕が攣りそうになりながらどうにか捻って撮影した、坑門を塞ぐ壁の外側。
鉄パイプでしっかり補強されており、蹴破るなど不可能だ(笑)。
これなら「立入禁止」なんて書く必要もないのでは。
さて、後はゲジゲジだが…。
気づかなければ幸せだったさ。
でも、それは有り得ない。
この隧道を通る者ならば、必ず目撃する。
奴らが生息する場所は…
どうしても通る人が“上”を見なければならない、
あのシケイン部の、天井である。
もう、十分に前置きはした。
だから、見てしまった後になっての、
「気持ち悪い」という苦情は受け付けない。
見たくなければ、このリンクで先へ進んで欲しい。
ゲジゲジ画像だけをとばして、レポの続きへワープできます。
では、行くぞ。
あれ?
なんだか壁の凹みが黒っぽい。
あれはなんだろう…。
そんな気持ちから、私の恐怖体験は始まったのだった。
勇気がある人、怖い者見たさの人、慣れている人は、画像にカーソルを…。
ギャアアアアアア…
ゲジゲジは、別に人に噛み付いたりはしないし、毒もない。
飛びかかってくるわけでもないし、ただ、薄暗い場所で「もぞもぞ」「もぞもぞ」「もぞもぞ」しているだけの、温厚な昆虫である。
いや、昆虫じゃないのかな。厳密には。
ともかく、不快虫という風に分類されている。
そう、外見がね、ちょっと不快なんだよね。
それと、物凄く密生する気質もね、ちょっとね…。
上で懲りてないなら、もう一枚、見ていくかい?
カーソル合わせると、“ワラジ祭り”が始まっちゃうよ…… 知らないよ。
ギャアアアアアア…
9:00
無事にワラジ祭りを見届けた私は、爽やかな風の吹く海の見える境内へと帰還。
別に生死を感じるような危険な箇所もなく、至って穏やかな小隧道であった。
隧道を取り巻く環境も素晴らしくて、それがずうっと続けば良かったのだが、数年後にはきっと消滅…
ほんと惜しい隧道だ。
この結果に一応満足し、下山を始めた私だったが、下りの途中でまたま、この隧道について詳しい人の証言を得ることが出来た。
珍しく、私から声を掛けてみたのだが、市史にも無い情報を得ることが出来た。、
60歳ぐらい地元男性の証言より
あと、隧道の名前を聞きたかったが、特にないとのご回答。
だから、私が勝手に命名したのだ。「ゲジ穴」と。
あれ?
なんだか、矛盾してないか?
だって、地形図に描かれていた隧道は、大正時代からあるんでしょ?
なのに、男性の証言によれば、「掘られたのは戦後」。
この誤差は、小さくないぞ…?
それにこの隧道、確かに最新版の地形図には載ってないのだけれど、もっと縮尺の大きな、例えばデジタル地図ソフトなんかの大縮尺の市街図では… 右の画像の通り、描かれてたりする。
だけれども、よく見るとこの隧道って位置が違うよ。ゲジ穴とは違う。
長さも違うし。
となると、古い地形図の隧道というのも、右の地図に記載された隧道と同じものだろう。
(ちなみに図中の「ゲジ穴」は私が書き加えたものなので、念のため。)
嗚呼、なんだ。
全てが繋がってしまった。
途中で感じていた坑口位置の違和感も、長さの違和感も、全部意味があったんだ。
この「ゲジ穴」は、正真正銘に地図に載っていない穴だった。
それを発見したのは良かったが、肝心の「地図から消 え た隧道」については、全くタッチできていないじゃないか!
あっはっはっはっは。
なんたる茶番。
こんな事にも気づかないとは。
今しがた、レポを書いていて気づいたよ(泣)。
本来目指すべきだった隧道の海岸側には、こんな建物があるようである。
何となく気になって撮影していたのだが、どこかの別荘か或いは研修施設か。
全く海岸側からは近づく術がなさそうな場所だった。
そういえば、門扉に阻まれた国道脇の道が、そのまま地図の隧道を潜ってこの施設に通じているのかも知れない。
だとすれば、それは今も現役なのか?
すべては、 振り出しに戻った。 (あーあ…)