小様隧道
役目を終えた、銅鉱山への門
秋田県 阿仁町小様
 
 阿仁町は県内有数の山岳立地であり、熊牧場を観光の目玉とする、旧マタギの国である。
また、金・銀・銅などの主要な鉱物資源にも恵まれ、阿仁銅山と言えば、日本三大銅山にも数えられた程である。
森吉山西麓に端を発し、同町北部を渓流を伴い流れ落ち、阿仁川へと注ぐ小様川。
その小様川沿いにも、三枚、一の又、二の又といった、1700年代に栄えた銅鉱山があった。

 現在、一帯に栄えた当時の面影は殆ど無い。
それどころか、山間集落の過疎化の流れは一向に止まる気配が無い。
付近には、幾多の廃村、廃田、廃屋、そして廃道を見て取る事が出来る。

 この道も、その一つである。
ただ、幸いにして、この廃隧道には立派な後継が認められた。
役目を譲り、自然へと還る旅路を静かに歩む…そんな隧道を、紹介したい。



 この日、小様川上流の三枚や、高津森を走り終えた私は、心地よい疲労感を感じながら、ここ数年に完成したばかりの快適な新道であっという間に小様集落を駆け抜けた。
ここで道は、それまでずっと寄り添ってきた小様川の流れを離れ、阿仁川沿いの小渕集落へと小さな峠を越える。
隧道は、ここに位置している。


 写真は、小様橋から来た道を振り返って。

 奥に写る、高くなだらかな山が、樹氷で有名な森吉山(標高1454m)である。
その山域は、標高のわりに非常に広い。



 新道の緩やかな登りは、あっけなく峠越えのトンネルへと私を誘った。





 現れたトンネルは、立派なものであった。

 小様トンネル、1997年竣工、延長463m。
出口付近(小渕側坑口)が少し湾曲しているために、反対側は確認できないが、ほぼ直線のトンネルである。
坑門の瀟洒な意匠が、たまたま繁茂したらしいツタ植物とマッチングしており、まるで、西洋のお城のようである。


 しかし、これは何か違う。
私が期待していた、小様トンネルとは、明らかに前後の線形が異なる。
かなり古い地図でも描かれていたトンネルが、この有様とは考えにくい。
…あるいはこれは、前後の道と併せて、トンネル自体も改修された姿だと言うのだろうか…。

 敢えて引き返し、それらしい“旧道”の入り口を探してみる事にした。




 そして、怪しい道がすぐに発見された。
小様トンネルの坑口から、戻る事200mほど。小様橋の袂であった。

 この小道には、舗装がされており、しかし落ち葉が、少しだけ多めに、落ちていた。
「におう。」

「これは、廃道の醸し出すにおいに違いない。」

「突入じゃ。」




 そこで見つけた、珍し目の地名標識。

 実は、この小様川一帯では、ほかにも数箇所この標識を発見した。
しかし、一帯以外では見られないものではないか?


登りはさして急ではないが、道は狭い。
それに輪をかけて、路傍の植物の侵食が著しい。
この有様…明らかに、キマリである。

 まだ見ぬ隧道の姿に、ワクワクが抑えられない。
道は、新道のトンネル坑口の上部をかすめて、さらに登ってゆく。




 しかし、舗装のおかげで走りにくくは無いが、周りは凄いツタの園である。
地面といわず、木々といわず、とにかく空以外のあらゆるものが、ツタに覆われつつあるようだ。
次第に、アスファルトの路面すら、ツタの下に消えて行く。
道はさらに登っていくが、すこし、気色悪い。



 どんどん道が心もとなくなってゆくのを、不安な気持ちで登る事、5分。
意外に早く、そのときが訪れそうだった。

 「あの角を曲がると、きっとそこには…。」

 幾多の峠の経験より、道の線形と周りの景色から、峠のトンネルを“予感”する術を身に着けた。

 「今行くぞ、廃隧道君!」




 キターーーーーーッ!!!

このツタの森をして、やはりと言うか…。
ツタの中にぽっかりと暗闇を晒す隧道。夜は絶対一人では来たく無い感じの場所である。
残念ながら、坑門の姿や扁額の存在を確認することはままならなかった。

 まるで、この隧道から、ツタが溢れ出てきているのかと錯覚するような、異様な繁茂ぶりである。
直前では、アスファルトは完全に緑の底に沈んでしまっていた。



 ツタを掻き分けるようにして坑口を覗き込む。

内部はそれほど荒れてはいないようだ。
97年ごろまで現役であったのだから、不思議ではないが。
 入ってすぐのところに、カーブミラーが一基打ち捨てられていた。
もっともミラー自体はどこかへと消失していたが。

 鉄パイプで組まれたバリケードの隙間をくぐって、いざ、通行!



 延長は短く、200m程度と思われる。
線形は直線で、路面は舗装、壁面はトタンのような巻き付けである。
多少雨漏りがあったが、まだまだ現役で通用しそうな有様である。
ところどころに、蛍光灯を設置していたと思われる跡が残っていた。
やはり、断面の狭さと、前後の道の狭隘さが、この隧道の死因だろうか。


 外には、わが世の春を謳歌するセミたちの音が洪水のように氾濫していたが、ここには音は届かない。
静かな空間だ。

 …。

 しばし余韻に浸る。

 …。

 古くは、上流に栄えた数々の鉱山。
そこに暮らしていた、数千数万もの人々。
自動車も、自転車も、全く無い時代。
ある者は、こんな小さな峠の向こうに、広い広い世界の有ることを知らぬままに、一生を奥山の坑道に尽くしたのだろうか。


 この地に染み付いた思念が、そうさせたものか。
ここでの余韻は、いつもよりも少し深く、長かった。

 脱出!

 小渕側の坑口は、小様側とはうって変わって、全くツタの類は見られない。
しかし、やはりこちら側も、バリケードがしかれていた。

 年季を感じさせる、変色著しい坑門。

 一つ気になったのが、写真にも収められている、大きな扁額の跡と、その下に申し訳なさそうに付けられた小さな小さな銘標。
なぜ、扁額が再生されなかったのか、気になる。
それに、現在の断面よりも一回り大きな亀裂の存在も謎。
もしかして、以前は一回り大きな断面であったのを、コンクリや鉄筋の巻きつけで補修したものであろうか?
他の隧道では、このような痕跡は見たことが無く、皆様の情報をもとめたい。




謎を残しつつも、この地を後にする。


 峠からの下りは急な直線。
落ち葉が湿った路面に積もっており、滑走注意である。


 そして、まもなく道は、明るい現道と合流する。

現道の小様トンネルの小渕側坑口の間近だ。



 比較的状況も良く、走りやすい廃隧道であった。
景色的にも、廃された道のわびさびが十分に感じられ、手軽である事も手伝って、これはお勧めの旧道としたい。


 一帯は、人家が近いとはいえ、野生の熊の出没が多い地域です。
出来るだけ一人での行動は慎み、十分な警戒をした上で(!)楽しんでください。
2002.8.27

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