雪中隧道(雪中トンネル)と呼ばれる、特異なトンネルが存在する。
これは個別のトンネル名ではなく、トンネルの利用方法を表わす一般名詞だ。
雪中隧道は、日本の特に雪の多い地域に見られる。
その名の通り“雪中”にあることに意味があるトンネルで、その主な目的は、通行人を雪崩災害から守ることにある。
豪雪地の道路によく見られるスノーシェッド(雪崩覆い)と同様の役割だ。
そして雪中隧道の多くは、人道用(歩いて通るスケールのもの)である。
加えて、公共事業によって行政が整備したものよりも、地域の住民が自主的に、自らの生活路の安全を確保するために手掘りで着工したものが多い。
また年代的にも、集落周辺における道路除雪態勢が全国的に概ね整う昭和40年代よりも前に作られたものが大半だ。
雪中隧道とそうではない隧道を明確に区別する基準はないが、昭和52(1977)年に新潟県長岡市(旧山古志村)に完成した、その名も「雪中トンネル」は、全長623m、幅2m、高さ1.8mという規模で、年代的に最後発だが、おそらく日本最長の雪中隧道だ。かの有名な“日本最長の手掘隧道”である中山隧道を掘った人々が手がけたこの隧道を、私は平成23(2011)年に捜索・発見・探索し、平成29(2017)年に執筆した書籍版『山さ行がねが 伝説の道編』でレポートしている。
また、平成30(2018)年に探索したレポート「国道353号清津峡トンネル旧道 第3回」に登場した人道サイズの手掘り隧道が、同レポートの机上調査によって、昭和26(1951)年に掘られた瀬戸口“雪中隧道”であったことが判明している。
今回はまた別の雪中隧道を1本、皆さまにお披露目したい。
この隧道との出会いは、前掲した清津峡トンネル旧道探索の机上調査にあった。
その時に熱心に読み込んだ『中里村史 通史編下巻』(平成元年刊行)に、ほとんど1行だけの記述であるが、次のような内容を見つけたのだった。
昭和42年3月 倉俣へっつり雪中隧道が完成(昭和33年度着工、271メートル、総工費1300万円)した。
これは中里村の雪害に関する年表の中の記述であった。
このほか、巻末の年表にも、「昭和42年3月 倉俣のうち、へっつりに雪中隧道が完成する」と、ほぼ同じ内容が出ているが、情報はこれらの短い記述しかなく、これら以外のことは不明であった。
未知の雪中隧道の存在に強く興味を引かれた私は、「倉俣へっつり」とか、「へっつりの雪中隧道」といったさまざまなキーワードでネットを検索したが、それらしい情報は見当らなかった。また、歴代の地形図にもそれらしいトンネルは見つけられなかったために、未発見の雪中隧道がある確信を深め、さらに徹底的に捜索する心構えを持った。
右図は、現在の十日町市の一部にあった旧中里村のさらに一部を占めた旧倉俣村の位置を示している。
旧中里村のうち清津川の西側全てが、昭和30(1955)年まで存在した旧倉俣村の領域であった。見ての通りかなり広いわけだが、さらにその中に倉俣という(村役場所在地である)大字があり、“倉俣へっつり”は、その辺りにあったのではないかとあたりを付けた。
わざわざ雪中隧道を掘るくらいだから、人跡稀な山奥ではないはずだ。それなりに交通量の多い道だった可能性が高いと考えた。
そして、旧倉俣村の領域を通る幹線的な道路は限られている。
中でも最大の幹線は、領域内唯一の県道である新潟県道284号中深見越後田沢停車場線だ。
前出の『中里村史』によれば、この県道の路線認定は昭和26(1951)年とのことだが、それよりずっと以前の明治27(1894)年に、旧倉俣村が清津川左岸に沿って整備した幅9尺の道路がこの県道の北半分の由来であり、かなり長い歴史を有する道だ。
以上のようなことから、倉俣へっつりは、おそらくこの県道のうち大字倉俣近辺にあるものと推定するに至った。
そして次に、現地調査の準備として、可能性がありそうな場所を絞り込むべく、県道上で撮影されたグーグルストリートビューの画像をくまなくチェックする作業を始めた。
――作業開始から、おおよそ30分後。
なんと
見つかる。
雪中隧道らしきものを発見してしまう。
家にいながらにして、未知の廃隧道を発見してしまう時代……安楽椅子オブローダー(笑)。
探索時点では最新版だった、平成25(2013)年8月撮影のストビュー画像をご覧下さい。(↓↓↓)
お分かり、いただけただろうか?
たぶん、かなり分かりにくいと思う。
これはストビューから切り出した画像。
この部分に、道らしきラインに続いて、坑口らしき闇が見えるのである。
私は病気だろうか?
それとも、本当にここに坑口があるのだろうか。
現地で確かめる必要がある。
この場所のストビュー画像は、2022年3月と2023年3月にも更新されており、
そちらを見ると多分笑ってしまうので、本編のネタバレが嫌なら後で見てください(笑)。
なお、この場所は――
あたりを付けていた通り、県道284号上で、現在の十日町市芋川という大字だ。
大字芋川は大字倉俣の隣で、津南町との境にあたる。
ここは地形的にも、清津川に沿って崖の記号が居並ぶ上を県道が掠め通っており、いかにも、“へっつり”(へつりとは崖道のこと)な場所である。
なぜか地形図からは省略されているが、左図に描き足した位置には県道の「倉俣スノーシェッド」があり、ストビューで見つけた坑口(位置的にはおそらく北口?)は、スノーシェッドの北口からさらに100mほど北の山側法面にある。
また、雪中隧道の全長は271mと記録にあるが、ストビューでは出口に当たる坑口(南口)は発見出来なかった。
県道に沿って存在していた可能性が高いので、位置的にちょうどスノーシェッドにつぶされてしまっているのかも知れない。
果たして。ここに本当に雪中隧道はあるのか。
いざ、現地へ!