三迫川に沿って標高1000mオーバーの終点いわかがみ台を目指しひたすらに山中へ突き進む山岳路線であるが、その沿線には栗駒ダムがあり、その前後の区間は永く、路線中で最も狭隘な難所とされてきた。
しかし、平成12年に延長1200mにも及ぶ新玉山トンネルを中心とした高規格な新道が竣工しており、旧道の状況が気になっていた。
今回、遂に探索を決行したので、リポートしたい。
2003年7月31日、梅雨明けを期待されていたこの日も、結局パッとしない曇り空。
8月にもなろうというのに例年のようなうだる暑さは無く、山チャリには優しいコンディションといえる。
しかし、やはり遠くまで来たからには、青空の下がんがん走りたいものだ。
贅沢なヤツだな、自分。
それはそうと、慣れない土地ゆえか、或いはこの日は厄日だったのか、宮城県入りして以来。何度となく道を間違え相当のタイムと、体力を浪費してしまった。
しかし、やっと、この日の最大のお楽しみ、栗駒ダム周辺の旧道にたどり着いた。
ご覧の道は、新しくなったばかりの道で、右に曲がると、旧道が始まる。
旧道は、上田という集落の中を2車線のまま通り過ぎる。
ここまで、何の変哲も無い地方の県道である。
実は、この道は初挑戦な上、事前の情報は特に何もなかった。
せいぜい、地図上で旧道があるのを見つけ、さらに、そこに隧道が描かれていたことが気になって訪れたのだ。
故に、まったくの期待はずれな可能性もある。
ここまで来て、それは悲しい。
そんなことを考えながらも集落の端に着くと、何となく期待感を煽る古ぼけた表示が現れた。
どう見ても利用されなくなって久しい雰囲気、期待できるかも…。
前の写真の先に映るコーナーを曲がると、早速にして1車線になった。
しかし、下草はしっかりと刈られており、誰と会うことも無いが廃道という感じでもない。
やっぱり、こんな程度で終わってしまうのか…。
いや、廃道で無いとはいえ、これは相当に狭い。
そして、辺りの景観は相当に険阻である。
1車線の確保で精一杯という感じの断崖の道が数コーナー分続いており、ここに新道が必要であったのも頷ける。
こんな道を、上流にあるスキー場や高原のアクセスに利用できるのは、せいぜい乗用車だけだろうから。
まして、冬季はどうしていたのか…。
そうこうしている内にも、緩やかだが高度を稼いでおり、三迫川の清流は遥か眼下に遠のきつつある。
先にあるダムの比高を稼いでいるのだ。
旧道分岐から約3km、道は二手に分かれている。
左は旧県道、右がダム管理道 …だと思った。
が、
実際は、左は林道(現県道にも合流する)で、右の封鎖された道こそが、旧県道であった。
すなわち、進むべきは右!!
おもわず、興奮任せにガッツポーズである。
久々の旧道ヒット作に恵まれる予感がした。
喜々として、比較的厳重な(しかし、脇が手薄な)バリケードをすり抜ける。
最新の地図上でさえ、旧道にもちゃんと県道の色が塗られており、このような封鎖があるとは思っていなかった。
普通の感覚では無いだろうが、私にとっては、嬉しい誤算である。
やっと、一人の世界になれるー(笑)
ゲートを越えて少し進むも、路面はしっかりとしており、下草刈りがなされていない分廃道っぽくはなってきたが、古さは感じられない。
そして、行く手には巨大な橋梁が現われた。
一見して、現道のものと分かる立派な橋だ。
この少し先で、現道は長い新玉山トンネルに吸い込まれるはずだ。
旧道は橋の下を掠めるものの、そこで再び進路を転換すると、更なる奥地へと向かってゆく。
突然の豹変である。
閉鎖されてまだ3年足らずだと思うのだが、路面に降り積もった落ち葉や、雪の重みでへし折られたような倒木、強靭にもアスファルトを突き破って這い出して来た雑草…、既に自然のパワーの跋扈する異界に変わっていた。
しかし、そこは我が山チャリ、この程度の悪路は屁の河童のはずなのだが…
どうも調子が悪い。
それもこれも、この…クモの巣のせいだ。
まずクモの巣の多さといったら、嫌になった。
薄着のチャリは、こんなとき辛い。
顔面にクモの巣の残骸はおろか、その住人たちまでを引きずったまま、苦い表情で突き進む私。
突如その眼前にあわられた、比較的新しい標識。
立派な標識はあるが、肝心のトンネルが…。
ああ…あった。
あの森の中の暗闇だ…。
ブルッ。(←武者震いとご理解ください)
もう小さな隧道は、森に呑み込まれる寸前。
数年後にはスッカリ姿を消してしまいそうである。
幸い封鎖されてはいない様だが、何か坑門に違和感が。
なんだ、あの影は??
接近してみる。
なんとも中途半端に土砂によって道が塞がれていた。
高さにして70cmくらい。
両方の坑門に設置されているが、内部はまったく綺麗なままだ。
パッと見たとき、内部が水没していることを覚悟したが、幸い地下水の流入も少ない様で、通行は出来そうだ。
もちろん、2輪車に限られるが。
しかし、隧道をこのように封鎖した意図はまったく不明である。
扁額は健在であり、いささか苔生してはいたが、左書きで『川台隧道』の文字。
これは、昭和28年に延長50.0mで竣工したものであると、『山形の廃道』サイト様提供の資料が教えてくれた。
ほんの数年前まで現役だったはずだが、訪れるのが一歩遅かった。
もはや二度と利用されることはなさそう。
荒れるに任せられている。
狭い隧道ではあるが、短く直線である為、恐怖感は余り無い。
造り的にも、近代的とは言わないまでも、コンクリが巻かれており珍しさは無い。
路面には瓦礫一つ落ちておらず、封鎖されてはいるものの年代のわりに状況が良いとさえ思える。
しかし、ただ一点だけ、解せない点があった。
それは、この退避坑らしい横穴だ。
というか、これはまず間違いなく退避坑だと思うが、車道由来の隧道では珍しいものだ。
いくら狭いとはいえ、乗用車だったら十分に隙間はあったはずだし、むしろ前後の谷間の方が道は狭い。
この横穴が一体何の為に掘られたものなのか、興味深い。
とりあえず、この奥の壁に不気味な人影のような染みでもあったら、心霊スポットとして悪名高くなったかもしれない。
そして、栗駒ダム側の坑門。
こちらは簡素な坑門であり、地形の改変は最低限だ。
坑門の先はすぐに直角のカーブであり、足を踏み外せば遥か崖下の三迫川にまっさかさま。
夜間など、相当に緊張できる道であったろう。
さて、隧道を後にして、先へと進もう。
隧道前よりもさらに路面状況は劣悪に。
道幅も1車線のままで、所々には朽ちかけた警告標識(大概が「落石注意」か「ヘアピンカーブ」であった)も残っていた。
やはりクモの巣と格闘しつつ、さらに奥へ。
ああ、廃道だなー。(素朴に)
緩やかではあるがさらに登りは続いており、もうV字の峡谷の底は木々に覆われ見えないほど、川との比高は大きくなっていた。
山肌の微妙な凹凸にいちいち付き合って、グネグネと蛇行する旧道。
さすがにこれは隘路だ。
どこまで続くのかと、先の見えぬ不安が押し寄せてきた。
旧道分岐点から約4.5km。
ゲートが再び現れた。
そろそろダムがあってもいいはずだが、閉ざされたゲートの向こうにも人の気配はまったく無い。
しかも、今度は断崖とガードレールに挟まれ、なかなかこのゲートの突破に苦労した。
ここは担ぎが必須であり、チャリや徒歩のみに赦された道となる。
川台隧道
竣工年度 1953年 廃止年度 2000年頃
延長 50.0m 幅員 3.5m 高さ 4.0m
坑門には土が盛られており、4輪車の侵入は無理。
洞内は現役さながらの良好な状態。
竣工年度 1953年 廃止年度 2000年頃
延長 50.0m 幅員 3.5m 高さ 4.0m
坑門には土が盛られており、4輪車の侵入は無理。
洞内は現役さながらの良好な状態。
この先、私はさらに2本の隧道と出会う。
そのレポートは次回!