県内には、正確に数えたことはないが、100を越える隧道が存在する。
その中のいくつかは、すでに使われなくなっていたり、ほとんど通るものもない状態にある。
次に紹介する隧道も、そのような隧道のひとつである。
ただ、例外的なのが、この隧道のある道が、現役の県道であるということだ。
私はここに惹かれ、何度も通っているが、そのたびに、新鮮な驚きを覚える。
それほどに、懐の深い、でも短い、そんな愛すべき隧道を紹介することに、多少の興奮を覚える私であった。
その隧道があるのは、四方を山に囲まれた東由利町。
その南の外れに近い、黒沢の山中。(写真は、黒沢集落遠景)
もう少し北には、県内でも著名な湯治場滝温泉がある。
隧道は、その滝温泉を経由し、大内町と東由利を結ぶ県道上にある。
滝温泉は、著名なわりに、そこに至る道はいまだに細く、公共の交通手段からは断絶されている。ある意味、秘湯だ。
その効用は、事故の後遺症をはじめとした古傷に効くといい、山チャリストにも無縁でない。
大変古くから利用され続けてきた温泉だけに、付近は、意外に古い時期から重要な交通網に組み込まれていたと思われる。
実際、これまでの、一帯の数度にわたる実走の中で、路傍に大変に古めかしい苔むした石垣を見つけたことがある。
なにより、この隧道の竣工年度の昭和26年は、なんと県内で3番目に古い。(渓后坂トンネル、それと、ここからすぐ近くの旧横荘鉄道由来のトンネル群に次ぐ)
当時の未成熟な技術で、トンネル以外の選択肢を捨てて、あえて掘られた隧道である。
それだけ、県がこの道に寄せた、観光面への貢献に対しての期待は、大きかったのだろうと思う。
一帯は、出羽丘陵の只中であり、壮大な丘陵地形が広がる。
丘の上の平地は、ところどころ牧草地として利用されており、谷部には、小さな集落と細長い田畑が広がる。
特にこの付近は、迷路状に似たような農道が張り巡らされており、一歩間違うと、非常に過酷(勾配がきつい)な道間違いをやらかす危険がある。
この日は国道107号線沿いの大琴から滝温泉に至る農道へ進入、途中慎重に道を選び、小さな山を越え、ついにたどり着いた、県道284号線との合流点、黒沢の集落である。
ご覧のように、この地点の青看は、数年前からこの有様だ。
この先、県道284号線を南下すると、まもなく集落を離れ、峠ののぼりへと差し掛かる。
少しきつくなって来たところで、意外にもすぐに登りは終わり、そして、あっけなく隧道は現れるのだ。
何度来ても、この“登場シーン”はイカスなぁ。
黒沢隧道北側口は、切り立った山肌に囲まれており、年中日陰気味。
おかげで、やっぱり陰気な雰囲気。
ここまで登りに限っては二車線を堅持してきた道も、トンネル前の広い待避所を最後に、トンネル内極狭。
それでは、さらに接近してみよう。
ぐおー。
無意味に興奮してしまう、このお姿。 アツイのひとこと。
苔むし、茶ばみ、ひび割れた坑門の、昭和26年竣工の重みはどうだ。
他では見ることのない、美しい山型の上部造型はどうだ!
より圧迫感と、荒廃感をアップさせる、蛇腹のような内部の巻き付けはどうだ!!
ほとんど用を成していない、薄暗さマックスの電灯と、先の見えないいような蛇行はどうだ!!!!
おうおうおうっ!
いま、私が、通り抜けて進ぜよう!!
こじゃれた扁額などない。
無名なのだ。
この隧道名「黒沢隧道」は、県の公文書館で、やっと知ったものなのだ。
当然竣工年度も、その“延長176m”もだ。
『道など、通り抜けるためにあるのだ。それ以上でもなんでもない。』
といわんばかりの質実剛健なこのお姿、もう、なんか惚れ惚れである!!
…隧道に倒錯する、危険だぞ自分!
激しい蛇行。
その狭さとあいまって、この隧道の異様さがここに尽きる。
昭和初期でも、ましてやそれ以前でもない、昭和26年…、戦後まもない当時の技術が、これほど未熟な訳はあるまい。
何ゆえに、トンネル内部にこれほどの屈曲を設ける必要があったのか、地質的な制約があったのだろうか?
謎である。
コーナー外側の内壁に反射板代わりに設置された木馬状の設置物が泣かせる。
はじめの急カーブを越えると、後はもう、真っ直ぐである。
全体で曲がれば、先ほどまでの急カーブは必要なかっただろうが、やはり何か秘密があるのだろう。
とにかく、非常に薄暗い内部。
水量も多く、ランダムで水滴の直撃を受けるのが、スリリングである。
当然のように、対向車は一切なし。
すれ違いは不可能であり、先ほども述べたように、非常に多くの道が張り巡らされた一帯に於いて、いくら県道であるとはいえ、この道を選ぶ者はそうそういないのだろう。 それは正解である。
古くは通行量があったのかもしれないが、だとしたら、すでに改良されていそうなものだ。
ここは、“天下の名湯”滝温泉のお膝元なのだが……。
じっくりと空気を、においを、闇を、味わいながらペダルをこぐ。
脱出!
南側は、いくらか明るい印象であるが、やはり扁額などはない。
あるのは、威嚇的な色合いの看板「歩行者に注意」「頭上注意」だけである。
…って、歩行者なんているのか????
この、南側口からの眺めは、大変に良好である。
東由利町の町役場のある老方や、現国道のトンネルがとても目立つ蔵集落が足元に一望できる。
遠くは、天気のいい日には、鳥海山は当然として、県南の主要な高峰すべてを一望できる。
また、私は一度体験し、忘れえぬ感動を覚えたのが、一面が霧のベールに覆われた、ある夏の朝の眺めである。
湖のように静かな水面を霧の海に見立てると、雲上の松島を錯覚するほどの、美の極みであった。
謎の屈曲を持ち、短いながらも、二つのまったく異なる景色を結ぶ。
それはそれは、たいそう魅力的な隧道なのである。
まだ、この隧道の魅力は尽きぬ。 が、
ひとまず、これにて。