伊豆半島の弓ヶ浜の近くに弥陀山隧道という旧道のトンネルがあります。このトンネルと新トンネルの間の山にトンネルのようなものを見つけましたが、藪がすごく、妹と一緒だったので近づけませんでした。
しろすけ様より提供の情報
こんな情報が平成20年5月19日に寄せられていたことを、私はもちろん忘れていなかった。
新旧のトンネルの間の山…。
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2010/1/14 15:45 《現在地》
東西を結ぶ隧道では珍しいことではないが、当隧道の夕暮れ時における東西坑門の明暗差は非常に大きい。(←参考:前回紹介した東口)
それは坑門自体の印象も左右しており、特に夕日を満面に浴びた煉瓦アーチの燃えるような赤は美しく、東口で下した「不調和」という低評価を撤回したくなった。
というか、撤回させてください。
すみませんでした!
両坑門の印象を異にする第一は日光だが、第二は植生である。
東口が南国風の闊葉林と濃緑のツタ植物に覆われていたのに対し、この西口は冬枯れ混じりの草々に取り囲まれていて、数千キロの隔たりさえ感じさせるのだ。
なお、坑門胸壁を這うツタは冬枯れのために葉を落とし、裏側に立派な扁額が存在することを教えてくれるが、解読までは許さない。
非常にもどかしく感じるものの、文化財の景観を保護する観点から、これを無断で刈払って良いものか。
目を凝らしてしばし見上げるも、解読は断念した…。
珍しくフォトジェニックな写真が撮れた。
弥陀山隧道の一番美しい一瞬を、ちょっとだけ切り取れたかも。
そしてこの景色。
この景色がまた、たまらない。
<たまらない、遠景。近くにはドライブインしかなかった東口に対し、こちらは小稲集落のまっただ中で、急な山腹が背後に迫るなか、多数の民家が坑門を取り囲んでいた。
ブロック塀、生け垣、そして木の電柱。
この極めて日本的な集落風景の中に忽然と現れた、西洋風煉瓦アーチ環。
これが弥陀山隧道、立地の妙である!!
なお、
ちょっと気になるのがこの“線形”だ。
西口前の道には約45度の屈折があるのだが、ここを折れずに直進する道がほんの数メートルだけ存在している。
しかも、すぐ近くにあった「急傾斜地看板」の地図においては、それが本線であるかのような太さで描かれている。
正面の道は現道の弥陀山トンネル西口の方向に向いているが、家屋に遮られていて辿ることは出来ないし、さらに家屋裏手の山腹はコンクリートによる崩壊防止工が施されているために、一瞬脳裏をよぎった「旧々隧道」は夢に終わった。
まあ、特に深い意味はないのだろう。
続いて、現トンネルへ。
15:48
海岸線に沿ってというよりは、自ら海陸を画するような現在の県道。
伊豆半島を周回する道路の一部であり、石廊崎観光の主要ルートである。
その弥陀山トンネル(昭和47年開通、全長82)は旧隧道から100mと離れていない場所に口を開けているが、周囲の家並みは疎らで、あってもそっぽを向いている。
総コンクリート造りツライチの坑門について、特に語りたいことはない。
全体にカーブしたトンネルをくぐり抜け、東口の新旧道分岐(スタート地点)に戻る。
伊豆半島の弓ヶ浜の近くに弥陀山隧道という旧道のトンネルがあります。このトンネルと新トンネルの間の山にトンネルのようなものを見つけましたが、藪がすごく、妹と一緒だったので近づけませんでした。
しろすけ様より提供の情報
こんな情報が平成20年5月19日に寄せられていたことを、私はもちろん忘れていなかった。
新旧のトンネルの間の山…。
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新旧トンネルの間は、山裾に沿って測ったとしても50mと離れていない。
しかし、実際に現地の地形を見てみると、全く手掛かりがないことに気付いた。
山裾は全て藪に覆われていて、直接地山の見える場所はなく、
これでいったいどこを探せばいいのか…。
これは意外に難儀かもしれないぞ。
手掛かりがないので、仕方なく、
どこでも良いから地山を確認してみようということに。
立派に育った椰子の木の裏側。
とても濃い笹藪(↓)に…
突 撃!
むおー!!
ガサガサガサ
ガサガサガサガサ
ガサガ…
むおっ!!
ちょっ…
いきなりドンピシャかよ。
強運だな、おれ…(笑)。
これは間違いなく人工的な穴。
釣鐘形の断面、綺麗に均された路面、確定的だ。
しかしこれは、なんだ。
まさか、本当に弥陀山隧道よりも古い旧々隧道が存在したというのか。
『南伊豆町誌』には、こんな隧道の存在は全く触れられていなかった。
いや、まだこの段階では人工的な穴だと言うだけで、隧道とは断言できない。
防空壕、農業倉庫、地下水路、もちろん坑道という可能性も…。
完全なる素堀の洞内へと、いざ侵入!
ここから見える範囲に出口はなく、5mほど奥で左にカーブしていることだけが知れる。
洞内の壁は黄土色で土っぽい岩盤だが、崩れている箇所は見あたらない。
そして洞床は乾ききった土に覆われていて、蹴れば土埃が舞い上がるだろうだろうが、その下の地は硬い。
天井がかなり低く、立っているだけで圧迫感を覚える。
幅、高さとも2mくらいと思われる。
カーブしている辺りの床に、一本の小瓶が落ちていた。
「家庭壜(びん)」「純良無比」などと書かれたラベルが貼られており、酒瓶と思われたが、暗かったのとちょっと気持ち悪かったので、はっきり確認しなかった。
しかし落ちているゴミはこれくらいで、近時人の通った形跡は見られなかった。
側壁の岩盤に、金属の棒が何本も突き刺されていた。
潮風のせいか腐食が著しく原形をほとんど留めていないが、位置から考えて、ランタンや架線を設置していたのではないかと思われる。
だが結局、穴の正体につながりそうな発見は、これだけで打ち止めだった。
というのも、穴は坑口からおおよそ10m。
左に折れて5mほどで、唐突に終わっていたのである。
それも落盤閉塞などではなく、最初からここまでしか掘られていなかった。
この穴の正体は、なんだ。
それに、いつ頃掘られたのだろうか。
ドライブインにお話しを伺いたかったが、この日は無人であった。
最後まで通路のままで終わっていることから、倉庫的なものではないと思われる。
奥行き的には防空壕のようでもあるが、それならば集落の側に掘る気がする。
しかし、隧道にしては少し狭いし、何よりも途中から左にカーブしているのが疑わしい。
特に大正時代よりも古い隧道だとすれば、測量の未熟もあり、基本的に直線の隧道が掘られたはずだ。
次の地図の通り、位置的にも決して隧道で山を抜くのに適しているとは思えない。
この穴がもし直線であれば、旧々隧道の未成遺構と判断した可能性も高いが、流石に入坑直後の左カーブは解せない。
そもそも山の鞍部ではないところに坑口があり、それから左に曲がるとなると、さらに隧道が長まることにもなる。
残念ながら、道路に関する遺構ではないと思うが、では何なのだと言われると、答えは謎のままだ。
現道が開通する以前は今より坑口の近くまで海岸線が迫っていたとすると、西伊豆に多く見られる大戦中の「震洋」格納庫(木造ボートの特攻艇)のようにも思われるが、私が知る実物よりもこの穴は小さすぎるし、カーブしているのも出し入れ上不便であろう。
結局、カーブがあるせいで何とも結論づけられない、不可思議の穴である。
ひとつだけ、この場所ならではというような夢のある想像を披露して、この不完全なレポを閉じたいと思う。
弥陀山隧道が掘られた岬の突端部には、海上に幾つもの海蝕洞が存在している。
その中のひとつが冒頭に紹介した「弥陀ノ岩屋」で、それは海上にのみ開口する行き止まりの洞穴で、陸上から洞内にアクセスする術はない。
そして、これが昭和9年に「国の天然記念物」に指定された際の解説文には、こんなこと書かれている。
入口ヨリ數間ニシテ洞内全ク暗黒トナル
コノ時突然前面ノ岩壁ニ当テ
三個ノ佛像ノ如キ影像現ハレ金色燦然タリ
入洞者之ヲ彌陀三尊ノ出現トシテ禮拜ス
もしーかしたら…
伝説的な「弥陀ノ岩屋」内部へのアクセスを目指し、
何者かが掘り進めていた“穴”だったのではないか…。
もし開通していれば、遊歩道になっていたかも。
なんてにゃ……。
蛇足ついでに、あともうひとつだけ…。
この隧道の行き止まりの壁なんだけどさ。
あるものが、“ひとのかたち”に見えるんだよね。
心臓の弱い方、この先の閲覧注意!
ゲジゲジの大群がね。
キモッ…。
流石にこれを阿弥陀如来さまの影に喩えるのは、罰当たりな感じがするので自重。
レポ制作途中まで上の画像に「波乗り阿弥陀如来」とかコメントしていたのもヒミツです。